棚卸し、あるいは「学習の学習」

tmrowing2014-03-17

国公立の後期入試も終わり、入試も一段落。
受験生が持ち帰ったり、大手予備校サイトで公開されたりした「問題」を眺めて感じたことをいくつか。

今年の神戸大は前期に続いて、後期の出題も意欲的でした。
後期のライティングは、英文中に、部分的に日本語が書かれていて、その部分を英訳し、然るのち、「お題」が課されての英語による意見陳述。

主題から考えるに、”skill getting” vs “skill using” あるいは “learning learning” という観点で答案をまとめたいものですが、予備校などの「解答例」はどうなっていますかね? 帯?襷?問題の公開は、期間限定でしょうか、こちらのリンク先 (毎日新聞) でどうぞ。

一方、K塾による九州大・後期試験の評がこちら。

アドバイスとして与えられていた次の文言には違和感。

まずは自分が自信を持って使いこなせる基本的な英文をどんどん覚えること。その覚えた英文を問題に合わせて組み合わせたり加工したりすれば自然な英文が書けるようになる。

これって、余りにナイーブではないでしょうか。
これを、ありがたいアドバイスとして、受験生はどう取り組みますか?
そもそも「自分が自信を持って使いこなせる」ということがわかっているのなら、それはもう、覚えていて身についているということなのではないのでしょうか?
とここまで「?」を浮かべてきて、はたと気がつきました。
ああ、そういうことでしたか。そのように考えれば、神戸大の後期の出題内容と底流でしっかりとつながるということなのですね‼

同じくK塾から、上述の神戸大の対策を。

下線部の和文英訳が文脈無視の逐語訳や公式を当て嵌めて終わるのではなく、前後の英文とつながり全体がまとまるように書くという作文の原理原則を伝えて欲しいものです。下線部だけ中3程度の語彙構文で、この内容を書ききれるのか、少々不安になります。

同じ神戸大後期の出題でも、S台の講評はこんな感じです。

「実践する前に習得しなければならないか」という見出しがついていますが、この内容には「?」。筆者の主張である、「それを実際にすること以外にそれができるようになる方法はない」が楽器の演奏ではなく外国語の運用にも適用可能かを論じるのが、ここで問われている課題なのであって、「習得が先、実践が後」という意見についての賛否が問われているのではないでしょう。筆者の意見を出題者の意見にすり替えてはダメ。出題者は切り口を作っているだけですから。その出題者の意図を推測するのは結構ですが、解説者の意図にすり替えるのは「?」。

進学指導や入試対策に、このような大手の予備校サイトでの「過去問アーカイブ」や「講評」「アドバイス」というのは本当に有益なものとなっているでしょうか?
今、私がこのブログを書く参考に引いているように、自分の高校の生徒が受験していない大学学部の問題が入手できるというのは便利だと思います。しかしながら、その問題に対して「解答例」や「解説」、さらには「対策」が続くと、中には「?」がつくものも多いのです。入試対策と英語力向上とが上手く重ならなくなってくる分岐点のようにも思えてきます。

高校の授業で扱う、または高校生が取り組むことで英語力向上に役に立つ、という「良問」でも、大手予備校サイトでは全く扱われていない大学もあります。

たとえば、東京外国語大学の英語過去問。去年、今年と「英語の講義を聞いて(パワポスライドのハンドアウト資料的 なものでキーワードは読める)150語 (昨年は200語) の英語で要約+講義の内容に関して200語で意見論述」が大問6にあります。このような試験であれば、外部試験で置き換える必要はないでしょう?
最近盛んに英語の「外部試験」をアピールする情報が舞い込んできます。大学入学者選抜での活用が可能とのこと。でも、英語だけ外部試験で置き換えたところで、入試での「学力試験」で得点化するという前提を変えない限り、国語や数学、物理や化学、日本史や政経との「合算」で合否判定になるわけですよ。
英文和訳を忌避する人は「この英文の題として最適なものは?」という多肢選択の設問がtop-down でglobalな処理を求める「良問」であるなどと言ってくれたりします。でも、題として与えられる「英語表現」が難しければ、その表現の吟味に求められる読みは精緻なものにならざるを得ません。そんなに単純な話ではないのです。
ですから、外語大の入試はああいう問題になっているのだし、外部試験でもケンブリッジ英検ってああいう試験内容なんだと思いますよ。文科省には、内外の新たなテスト需要を睨む「誰か」の期待に答えるよりも、まずは「学校教育で育まれ鍛えられる日本人の英語の発達段階」の記述を実現させて欲しいですね。

私が個人的に「英語力が分かる良問」だと思う大学入試は、お茶の水女子大と東京外語大の作文。お茶の水女子大も大手予備校のサイトでは過去問が見られないことが多いのです。なぜ?どちらも「受験産業」の購買者たるマーケットを考えるときにマーケットニーズが小さいから?「ニッチ」ということ?せっかく、英語力向上に役立つ良問が目の前にあるのに、それに取り組む人はごく少数で、それには気づかず、他のものに躍起になっている人が大多数なのであれば、日本人学習者で英語ができる人っていうのも全体からみれば「ニッチ」になるんじゃないのでしょうか?

私は教師として教材の選定には責任を持ちたいので、酷いものは酷いと言うし、良いものは良いと言います。ブログでも密林レビューでも書いています。一方、 入試での「英作文・ライティング」はまだ「良問」が少ない段階なので、できるだけ「この出題のここが良い」という情報を発しているところです。

出題者が腕によりをかけて作成した良問も良いと感じるセンサーが受験者の側に備わって、機能していなければ、「入試の出来は悪くなり」、学生を受け入れる側の大学では「見直し」が行われ、以後出題されなくなる可能性が高いです。そうすると、他大にも広がらないまま終わります。しかも、受験生に、大学受験の時点でそのセンサーを備えておくことを期待するのは難しい (でも、志の高い受験生は「備える」べく取り組んでいますよ)。やはり「指導者」の目利きに期待するのが一番なんですよね。期待していますよ、本当に。

休日を読書で過ごしながら、「呟き」を眺めていたら、Michael Swan (マイケル・スワン) の本が話題になっていたので、連投。

BEUは(ちょっと単純化が過ぎる項目もありますが)いい本ですよ。問題集も別に出ていて、大判でイラストは豊富で、わかりやすさを前面に出していますね。
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所謂「完了形」に関わるところだけ写真を。
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Michael Swan は今こそ日本の英語教師に読んで欲しい本なんですけどね。教材だけでなく、こちらの「ELTこれまでの30年を振り返る」ものなどを是非。
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『よくわかる新高校英文法』(黒川泰男監修、早川勇著、三友社出版、1982年)は日英対比を基盤に、英語の仕組みを説きつつ、ソ連(当時)の”Situational Grammar”を活かして場面・機能に配慮した記述が随所にあります。
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『学習英文法を見直したい』でも参考文献にあげた、Allenの『問題集』はイラストは多くないけれど、説明が簡にして要。
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私が高校の教壇に立った1986年に、文法の教材を作る参考にしていたのはこのLeo Jonesのシリーズでした。
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2校目に移る頃に、使っていたのは、このCOBUILDのシリーズと、”Grammar Dimensions” のBook 2。2校目のOCでの指定副教材は、”Impact Grammar” だったように記憶しています。
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Leo Jonesのシリーズのような一連のGrammar Practice Activitiesは、効果がないものとして英語教育界では捨てられてきたような位置づけになっているように思います。新しいものを拾っては、それまで のものを捨てているわけです。何が身についたでしょう?

先ほどのCOBUILDのBasic Grammarでの「完了形」の扱い。今の中学校での導入や指導法との違いは?
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で、Michael Swanの ”Thinking about Language Teaching” に戻るわけです。目次はこちら。
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「気づくのはいつでも…」というわけで、思いつくまま、「昔出版された良い教材」の情報提供。
木村忠雄『高等英作文要覧』(北星堂、1941年)は全編英語で書かれた日本人向けの「作文マニュアル」。はしがきで木村はこう言っています。まだ「戦中」だった頃です。出だしから「完了形」の匂いが漂ってきますよね。
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木村忠雄氏の話は、以前、和歌山大の江利川先生から伺ったことがあります。『…要覧』執筆時の肩書きは、「藤原工業大教授」。海軍兵学校で教鞭を取られていたこともあるとか。
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中身もちょっとだけ。作文マニュアルなので、誤文訂正だけでなく、”improve” せよ、という練習問題も多数あります。
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ハロルド・プライスはこのブログでも何回か言及してきました。
その『英作文の盲点』の第一頁はこんな練習問題で始まります。深いです。
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本編でとりあげられた日本人がやってしまいがちな作文例、とその作文に含まれる典型的な表現例。一番上の語句のリストが「日本人英語で誤用が多く、できれば使わない方が良い」もの。clumsyなものをrightで添削しています。1964年の本です。
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とある大学の学生英字新聞の引用とその添削例がこちら。元の英字新聞例は、米週刊誌 The New Yorkerで揶揄されたもののようです。
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凡例の一つと言えるでしょうか。日本人による英語表現をどのようにみるかという解説。
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「英語は英語で」は、いつか来た道。文部省検定済教科書も、戦後最初の指導要領に沿ったものの中には「英作文」全編英語で書かれていたものもありました。
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作文の教科書なので、当然のように英語ネイティブも著者に名を連ねています。日本人の著者は、小川芳男と岩田一男。「英作文」で有名な岩田の最初の著書となるのでしょうか?江利川先生に訊いて見ないと。
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Book 1の時制。モデル文も文法の説明も英語です。
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ミスしやすいポイントの注意も英語。練習問題の指示も英語。
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モデル文の英語は平易で自然なものを目指しているようですが、右頁の英文と今のCEの教科書とを比べると、構文が難しいというよりは、高校1年生くらいではまだ出会っていない表現、文法事項が多く含まれているように思います。
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仮定法の解説も英語です。
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練習問題は直説法からの書き換え以外に、オープンエンドな単文(短文)での「自由」作文も。
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意欲的な教科書であったActive English はその後の「グラコン」の教科書、シラバスの原型となっているのでしょうか?なっていないとすれば、なぜ?昭和26年に高校生だった方のうちどのくらいの 方がこの教科書で学んだのでしょうか?そして、その方たちの英語力は?

これは大学教養課程用として作られたもの?中尾清秋 ”Learning to write by paraphrasingー書き換えによる英作文演習” (桐原書店、1977年)
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パラフレーズの課題はいくつかのパターンがあります。
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これなどは、定期テストや入試でも使えそうな形式。
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この桐原のテキストは1977年刊。「英語は英語で」学べる格好の教材だったのでは? 中尾清秋先生は当時の「NHKラジオ英語会話」のテキストにも同じような英作文の講座を連載されていたように思います。1980年のテキストのスクラップが家の何処かにあるはずなんですが…。
まあ、でもこの形式も「常用」されるうちに、「先生 、授業中に先生がパラフレーズした英語をプリントアウトして配ってください」となって、原文とパラフレーズ英文との両方を「丸覚え」して、「試験対策」することになるのでしょうね。

ということで午前中の連投でした。今日とりあげた書籍はほぼすべて、ELECなど、過去私が講師を務めた教員対象の研修会で紹介していますし、ブログでも書いていると思います。出版社の方、著者の関係者の方で写真の公開に問題があると思われる場合にはご連絡ください。

某所で「絶版先生」と呼ばれているようなので、その面目躍如ですかね。私の意図は「『無い物ねだり』をする前に、あなたの目の前に、手を伸ばせばそこに、 価値あるものが既にあるのだ、ということに気づくセンサー,感性を持ちましょうよ」ということ。でも、気づくのはいつも通り過ぎてから…。

古い本を読んだから、というわけではないのですが、寺沢先生の『「なんで英語やるの?」の戦後史』についてブログで取り上げるべく思いついたことを書き出していました。
「序章」で書かれている雑誌の言説を 「データ」として分析を実証的に行おうという姿勢と、参考文献で扱われている「書籍類」の取捨選択の基準がどうなっていたのかが、すごく気になり、書棚に手を伸ばしあれこれと。

「必修化」にまつわる様々な言説をまとめているのが本書ですが、宍戸良平を引く部分で、「英語教育課程論」(『英語教育論』現代英語教育講座1、研究社、 1964年)などは捨て置いたということなのでしょうか?「教育課程の基準における外国語の位置づけ」の中で、必修か選択かについても宍戸の持論を述べている個所が出てきます。
他にも、雑誌以外の扱いで、たとえば、伊村元道『日本の英語教育200年』(大修館書店、2003年)は文献で扱われているのですが、若林俊輔編集『昭和50年の英語教育』(大修館書店、1980年)は扱われていません。

ご本人から「呟き」でいただいたコメントでは、

この点については比較的方針がはっきりしていまして、雑誌も書籍類も言説データとしては等価と見なしています。ただし、雑誌のほうが、「全体( or 母集団)」が設定しやすいので雑誌を優先的に分析しています。
そのため、書籍については、雑誌の分析では確認できないような知見が得られる書籍が見つかった時に紹介するというスタンスをとっています。たとえば、禰津 (1950) や新英研系の本など。とまれ、丁寧に読んでいただきありがとうございました。

ということで、概ね了解。

とまれ、『寺沢本』のインパクトは強烈です。
寺沢先生のこの新刊を読んでいると、いろんなことが思い出されて、また新たに考えさせられて、家の書棚からどんどん本が引っ張り出されてきて大変でした。ある程度考えがまとまったところでブログ記事にする予定です。
冒頭の写真は今日読み直したその他の本。右下『井上正平の英語教室』(日本青年出版社、1972年)の第一章は「なぜ英語を学ぶのか?」という裏返しにもなっています。
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本日のBGM: 一回休み