Is your stomach bigger than your eyes?

tmrowing2013-01-28

先週末には、慶應大で大津由紀雄先生の「中締め講義」認知編があったのだが、私は留守番担当だったので、山口を離れられず、「呟き」などで様子を推測するだけのもどかしさ。今井むつみ先生とのやりとりは生で見たかったなぁ…。
同日に、早稲田大学では、「ライティング指導」に関した講演と研究発表もあった。

第36回日本言語テスト学会研究例会
テーマ:日本人英語学習者の特性に合った英語ライティング指導を目指して
〜自動採点プログラムと能力プロファイルによる評価の活用〜

講演には鈴木利彦先生、発表では工藤洋路先生の名前があり、参加したかったのだが、こちらも「呟き」のまとめであれこれ想像を巡らすのみ。高校の先生はどの程度参加されていたのかも気になるところ。過日の大井科研の発表といい、今回といい、アカデミックな内容になればなるほど、地方在住者にとっては厳しいものがあるように思うけれども、北海道から遙々参加している方もいるので、情報収集だけでなく、自分が動くことだな。
留守番担当の理由の一つには、勤務校の入試の「解答解説会」。
教科担当者が、受験生に、出題のポイントや弁別力の高かった問題を解説し、公立高校受験や他の私立高校受験「にも」活かせる、学習のアドバイスをするという会である。
進学クラスのみが担当で、受験生も全体の1/3程度の参加となるが、各教科とも、試験終了後、翌日の採点から、その翌日の解答解説会にむけての答案分析と、本当に大変なスケジュールで作業をこなしているのには、同僚として頭が下がる思い。
英語は私が担当。参加した受験生のうち、2/3位が普段の授業で、Read & Look up を経験済みだったので、今回出題された英文のうち、リスニングの対話文で出てきた短い文と、読解問題の中で出てきた、複文、重文とを Read & Look upで口に出してもらい、簡単にできるものと、途中で崩れてしまうものとを比べ、「何が自分にとってのハードルになっているか」を確認してもらった。
今後のアドバイスとしては、

・ Read & Look upからFlip & Writeへ。スラスラ読める→見なくても言える→見なくても書ける、ように。
・ 上手く書けない語を中心に、お手本の下に、「縦書き」で練習。まずはculture, country, come の母音と母音字/ playing, plays, played / studying, studies, studied / write, wrote, written, writing などの活用と綴り字から。
・文法や慣用表現の空所補充問題であっても、音読を繰り返し、「耳」で反応できるように。特に、不規則変化する動詞は日常の使用頻度の高い基本的な動作・活動を表すので、時制が変わっても対応できるように「音読」での復習を。その際には、大きな意味の固まりを常に意識すること。
・ 速読とか、速聴とかいった言葉に惑わされないこと。分かれば速くなるもの。ただ、読解の時は、文の終わりまでは必ず読んでみること。手がかりを増やせるから。
・ 長い説明文や論説文では「世間一般でよく言われていること」を足がかりに、話し手・書き手が本当に主張したいことが出てくるのだから、そこに焦点を当てられるように、第一段落やスピーチの序盤に集中。英語の論理は、 <意見・主張・主観的なことば→理由付け・事実・客観的なことば>
・ 会話の必須表現をただ暗記するのではなく→言葉の働き・機能・目的・場面を常に意識すること。対話文の過去問の見直し→この二人は何のために会話しているのか?会話のゴールはどこか?

というようなことを中心に。入試が学びの終わりにならないよう頑張って下さい。できれば教室でまたお会いしましょう。

週が明けての実作は淡々と。
進学クラス高1は、SevernのWord Reviewまで終了していたのだが、そこから本文復習の精度を如何に上げるか。英文を読んでいて、または口に出していて、そこに「私はいません」というような状態では困るのである。前文の内容を纏めて引っ張るための、代名詞 that を口に出しているのに、それが単に、音だけになっている生徒がまだまだ多い。1年後、2年後の「ライティング」で、it, that, this の使い分けに悩む前に、今、目の前にある it, that, this をしっかりと生き直すことだ。
進学クラス高2は、高校入試の準備で、教室にある「学級文庫」を全て学習室に移動して、会場設営をしなければならなかったので、「1人10冊を限度に、自宅に持って帰って読んできてもよい」という、期間限定の貸し出し増冊キャンペーンを展開。借りていく本もまた、人それぞれ。
どちらのクラスも、今年度の高校入試の「リスニングテスト」を解答してもらった。
1年生は、昨年自分たちが受験したものと、ほぼ同じ形式。2年生が受験した頃は、出題形式を全て「県立高校入試」に模して作成していたので、ちょっと形式が異なる。
どちらも私が作文・作問したもので、東京の某録音スタジオでの録音・製作。
今年も昨年と同じナレーターで、

  • Jack Merluzzi
  • Carolyn Miller

のお二方。市販教材や検定教科書の付属CDなど、多くのナレーションを手がけているお二人にお願いできた。深謝。
で、教室での上級生による解答。
設問に答えるだけなら、皆できてしまうので、今日は、「センテンスレペティション」と「ディクテーション」をしてもらった。設問には容易に答えられたのに、センテンスレペティションになったとたんに、「保持」できなくなるところが続出する。そうしている間に、「この二人の対話のスタート地点はいったいどこだったのか?」「この対話は、どのようなゴールに向かっているのか?」は、どうでもよくなってくると、軌道修正の手がかりを失うことになる。「スピーチ」などで、まとまった分量のモノローグを聴く時も同じ。「繋がり」と「纏まり」は、初歩ではなく、「基礎」なのです。後日、勤務校の公式サイトか、このブログで問題は公開できると思いますので、その時にまた詳しく。
前回のエントリーで、センター試験の出題英文に疑義を呈したが、受験産業等の「解説」で、私と同じ箇所を指摘したものには出会わなかった。「対話文」にしても、「ディスカッション」にしても、そのやりとりで紡がれる「ことば」の、意味と表現形式とを精査する必要がある。私が自分の指導のベースに置いている指導書の一つに、

  • Conversation and dialogues in action

がある。Prentice Hallから1992年に出たばかりの頃に買って、授業の構成を考えたり、「オーラルコミュニケーション」の教科書を執筆していたころには、自分のネタ本としていたもの。出版から20年が経つ。多分、絶版。

Conversation and Dialogues in Action (English Language Teaching)

Conversation and Dialogues in Action (English Language Teaching)

著者は、

  • Zoltan Dornyei & Sarah Thurrell

最近の日本の英語教育雑誌などでは、Dornyeiの名前を見る機会も多いのだけれど、この本を使っている人に会う機会は少ないように思う。みんな、このあたりは消化吸収し、越えてきたり、捨ててきたり、忘れてきたりしているのだろうか?

週末、居間の炬燵に入りながら読んでいたのは、こちら。

  • 西村嘉太郎 『ストーリーテリングのすすめ 三省堂英語教育叢書7』 (三省堂、1993年)

公立の2校目に異動した頃に買って読んで以来だから、十数年振りの再読になる。少し長いが、あとがきから引いて本日はお終い。

英語の教授法は氾濫している。われわれ日本の英語教師が、自らの教授法を作ろうとはせず、「外国人が、外国で開発した、外国人のための英語教授法」をうのみにしてきたからである。そして、もう食傷気味にもかかわらず、新しい学習、習得理論が輸入・紹介されるたびに、右に左になびきつづけているからである。

さらに悪いことに、われわれは、これぞ決め手といったものはないのだということを知っている。学問的究明と理論分析を怠ってはならないが、多くの現場教師にとってメソッドはもうたくさんである。今はそれよりも、それらを応用して実践の成果をあげることが必要なのである。そもそも教授法とは、一定の理論に基づくその人個人のもので、現場での闘いの中から編み出されたものでなければならないのだ。ある教材を、だれに、いつ、いかに教えるかを考え出すのは教師自身であって、一巻の極意書があるわけではない。 (p. 163)

本日のBGM: 一回休み