subjective or subjunctive

『常時英心』で目にした記事から。サッカー日本代表にも呼ばれている石川直宏選手のコメントが取り上げられています。

It may be early days, but Tokyo's current form is a far cry from its last season in the first division. The club began 2010 aiming for a first-ever title, but ended it in the bottom three as a squad packed with internationals confounded assumptions that they were too good to go down.

"At first I didn't think we would be relegated, but it's a slippery slope," said Ishikawa. "You lose one game and then you get nervous and lose another, and when that happens again and again you go down. It was difficult to take, and it was difficult to see the fans go through it."

But the tough times did not end there. Any hopes Tokyo had of breezing through J2 without breaking a sweat were dashed by a 3-0 defeat to JEF United Chiba on the second weekend, and the club's supporters were so concerned by poor early form that they displayed a banner warning the players not to take promotion for granted. (斜字体・太字は私)

http://www.japantimes.co.jp/text/sj20120331a1.html

この斜字体にした文は、文構造の正確な把握が内容理解の前提であることを教えてくれる格好の素材だと思ったので敢えて取り上げる次第。他意はない。

  • 内容理解のためには細かいところに気を取られず、木を見て森を見ない愚を犯さずに、主題・筆者の意図を掴むべし。

とか、

  • 「英語は英語で」読むべきで、いちいち日本語に置き換えたりしないで、自分の理解した内容を別の表現に言い換えたり、要約したりして内容を掴むべし。

とか、

  • 言葉はコミュニケーションのために用いられている以上、「意味」や「内容」も、常に文脈のなかで捉えるべきで、文脈があるからこそ、その表現、文の持つ意味が決まってくる。一文主義にとらわれていてはいけない。

などと言う前に、まず、「その1文がきちんと読めているのか」を問うべきだと思うので。
以下、一読で理解できなかった時にどうするか、という普段私が高校生相手の授業でやっているような頭の働かせ方。
" (any) hopes were dashed" 「望みが打ち砕かれた」という受け身の表現が主述の核となっていて、hopes のいわゆる接触節の後置修飾でTokyo had が続いています。(当然、前提としては「チームの思惑・欲目」を踏まえた、 “Tokyo had さまざまなhopes.” という文脈があるのでしょう。) hopesという名詞を受ける修飾語句が <of + 名詞相当語句>で、「…という望み」となっています。この続きが大変だと思えば、ここまでを当てはめて、「…という望みが打ち砕かれた」と足場を固めておいてもいいでしょう。
"hopes of breezing through (something)" 「to breeze through = to succeed in something very easily; to complete some task rapidly and easily; 楽々と通過する、あっさりと片づける」 という比喩的な意味を持つ句動詞が前置詞ofの後で動名詞として使われて、「楽々と通過する、という望み」という大きな名詞句となっています。まだ先は長いので、ここまでの確認で「楽々と通過するという望みは打ち砕かれた」と、日本語の助けを借りておくのは悪くないと思います。 “breezing” と動名詞になっているとはいえ、もともと動詞ですから、動詞を修飾するのは副詞の働き。その通過の仕方の更なる描写が、"without breaking a sweat" 「汗一つかくことなく」という<前置詞+名詞相当語句 = 副詞句>となっている、と考えられます。
このような部分の記述が読めるからこそ、「下のリーグであるJ2なら楽勝と高を括っていたが、ジェフ相手のいきなりの完敗で望みは打ち砕かれた」というような「文脈」を自分で辿れるのではないかと思います。脈が確認できたら、英語での辿り直し。左から右、上から下と読んでいき、理解の徹底です。音読でも構いません。
自分が理解した内容を、自分の守備範囲の中の英語で言い換えることは、発達段階としては好ましいことですが、例えば、 without breaking a sweatを、 easilyとか、without trying hard、と言い換えた場合に、それで本当に読めたことになるのだろうか、という疑問が拭えません。その without breaking a sweatという言葉の実感を自分のものにできるのか、ということが分からないまま通過していくのであれば、そもそも多様な表現を用いた文章で「読む」必然性はない訳です。easilyという語が使いこなせる学習者に、without breaking a sweatということばへと近づいてもらう、その「におい」や「てざわり」を感じさせるための方策を最近の英語教室は忘れてしまったかのように思うことが多々あります。反意語の援用で、ひっくり返して元に戻す工夫をしたとはいえ、with great easeでは立ち位置が変わってしまうことを忘れないようにしたいものです。同じ、副詞句でも without any apparent effortとか with no apparent effort あたりで、かろうじて近似値としての「意味」を保持していることになるでしょうか。
「英語は英語で」で読み進めるのは結構なのですが、肝心な学び手の「英語」がいつまで経っても成熟していかないのではまずいと思うのです。
sweatという語に関して、「汗をかく」という文字通りの表現では、break a sweat以外にも、break out in a sweatまたはbreak into a sweatが標準的な結びつきですが、当然、比喩的にも使われることがあります。口語では、No sweat. 「おやすいご用さ」「大丈夫」「心配ご無用」などという言い方でも使われます。では、この慣用表現を「文脈」を頼りに、 “No problem.” と言い換えられるものとして覚えていた人は、先ほどの “without breaking a sweat” という表現を置き換え、(?) without breaking a problem と表現できるでしょうか?ちょっと無理が過ぎるように思います。母語への置き換えは、出来うる限り等価に近いものでターゲットとなる言葉を捉え直すための有効な手段であると思っています。
このブログでも以前、安井稔先生が手がけられた『リップヴァンウィンクル』 (開拓社) を取り上げました (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20111009) が、優れた対訳教材や訳注教材の活用を、とりわけ高校段階の英語教育では見直すべきでしょう。

さて、
フィギュアの世界選手権も終わり、英語メディアでその反響を探っては呟いていました。自分の母語でなら表現できる、彼ら、彼女たちの「滑り」の素晴らしさ、美しさを、英語で表現するのは難しい。信頼できる表現のお手本を探すソニアのサイトを久々に覗いたら、何やら殿堂入りで揉めているようで、今回の世界選手権のレポートは出ていなかった。代わりに、彼女の書いたこちらの記事でもどうぞ。

Sport or Art? It is time to decide
by Sonia Bianchetti October 2011
http://www.soniabianchetti.com/writings_sportorart.html

本日のBGM: The Party’s Over (Gangway)