かくして、また艇は行く

  • 英文法の学習参考書と英語学的な概説書との中間に位置するような、わかりやすくて詳しく、それでいて語学的基盤のしっかりしたものはないか?

という旨のリクエストをブログのコメント欄で頂戴し、暫し考えていた。
以前、FTCで「文法・語法」を中心として発表した際 (2004年12月当時) にまとめた一覧表には次のような書籍が並んでいる。

A. 参考書・学習参考書
『英文法解説』 金子書房 (江川泰一郎)
『英文法詳解』 学研 (杉山忠一)
『マスター英文法』 聖文新社 (中原道喜)
『コンフィデンス総合英語』 三友社 (黒川泰男)
B.辞書
『ロイヤル英和辞典』 (旺文社) (絶版)
『ジーニアス英和辞典』 (大修館)
『グランドセンチュリー和英辞典』 (三省堂)
C. 解説書・概説書
『現代英語・語法ノート (I / II)』 教育出版 (金子稔)
『英語教師の文法研究 (正 / 続)』 研究社 (吉田正治)
『教師のためのロイヤル英文法』 旺文社 (綿貫陽・M. ピーターセン)
『英語教師の文法指導研究』 三省堂 (太田垣・小寺他)
『詳説レクシスプラネットボード』 旺文社 (鷹家秀史・林龍次郎)
D. 英語学の知見
COBUILD English Grammar (1990)
CGEL (1985)
Comprehensive Descriptive Grammar of English, Declark, R. (1991) (開拓社から邦訳)
『例解現代英文法事典』 大修館

あれから、5年以上が経ったのだが、「ハート」とか「イメージ」とか「フィーリング」は華やかなれども、痒いところに手が届くような「説明」「解説」との出会いはほとんどないように思う。
宣言的知識の構築や養成を目指した明示的な文法指導を Focus on Formsとして批判するのはたやすいが、私の勤務校を含む多くの高校では、その宣言的知識の伝達にも苦労しているのが現状だろう。暗誦の前提となる「正しい理解」には、一定の認知負荷がかかるのは避けられない。いかにお膳立てをして教室内活動で情意負荷を下げたとしても、結局は「頭の働かせ方」が「英語的」「英語モード」にシフトできなければ、自力で次のステージには進めないということなのだろう。もどかしさ、じれったさを受け入れる学びの場の土壌作り、頭を使うことの充実感、分からなかったことが分かる達成感、など「脳」を喜ばせる工夫をもっと授業に取り入れていくことが求められているのだろうか。藻掻き、足掻きはしばらく続きそうである。ここまで書いてきて、安藤元雄の詩、

  • 『この街のほろびるとき』

の一節を思い出した。あの、「街」の部分を「学び」に置き換えて詠んでみた。これもまた、自分の聞きたい声か。
木曜日は代休消化。
北海道から帰ってきたら、プリンタが動かなくなっていたので、市内の量販店を回り、最安値のE社のプリンタ複合機を購入。無線LANの設定に手間取り午前中が潰れた。
午後になり、昼食をとるついでに、商店街まで足を伸ばす。
オーダーしてあった宗川の財布をScotland mart に受け取りに行く。自転車で行こうかとも思ったのだが、あまりの暑さにめげて車で。今回のオーダーの中では、私の分のできあがりは早い方に入っていて良かった。この時点で既にいい発色。味わいが出てくるのはいつ頃になるだろう。オーナーは不在で、女性陣と少しお話をして帰宅。
早いものでもう7月。
同窓であり、尊敬するボート人でもあるYが新天地へ旅立つ日でもある。
先日、羽田で乗り継ぎを待つ間にメールを受け取り、電話でお互いの近況を話した。
本来なら、週末の送別会に出るべくいろんな予定を集めて東京で済ませようとしていたのだが、今回は急遽帰省が入り断念。でも、夏のインカレにはYも一時帰国するというので、そのタイミングで上京でもしようかと思っている。
思えば、2001年、彼が欧州から帰国するのに合わせて、再度、この本業の世界にG大の「監督」として引きずり込んだ。それから数年間、文字通り苦楽を共にした。漕手としての経験や実績に奢ることなく、コーチングを敬虔に学びつつ、誰にもマネのできないチームマネジメントを成し、今では私以上にどっぷりとこの世界に浸かっている。数年間、世界を相手にビジネスをした後、日本に戻ってきた時にはまた何か一緒にできればと思う。暫しのお別れです。今日は泣きません。

本日のBGM: O Barquinho (Ann Sally)