”... and we were meant to be.”

過日のエントリーで、学力テストの出題そのもの、テスト問題そのものの評価をどこが行っているのか?という問いかけをしていた (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20081022) のだが、先頃発表された、平成21年度の小6、中3の国語・算数 (数学) のテスト結果も平均点だけが取りざたされていて、どのような問題で学力を測っているのか、そもそもその測定は妥当なのか、信頼が置けるのか、平均点で過年度の結果との比較が可能なのか、ということに切り込む記事に出会わないのが不思議。点数云々の前に、まずは、国立教育政策研究所で公開されている資料に目を通すのがこの問題を語る基礎資格だろうと思うのでご参考までに。(ファイルのダウンロードはこちら→http://www.nier.go.jp/09chousa/09chousa.htm)

この問題自体の適否・是非に関しては誰がどういう責任と資格でもって検証しているのか、相変わらずよくわかりません。国語教育の学会、数学教育の学会は何か発言しているのでしょうか?発言しているけれども、メディアが取り上げないだけなのでしょうか?おそらく、ちゃんと出るところには出ているのに、私の調べが及んでいないだけなのでしょう。さらには、今後、小6と中3で英語のテストが課される日は来るのでしょうか?他人事ではないので余計にもどかしく思います。

先日読んだ『原弘デザインの世紀』からの流れでどういうわけか、今橋映子『フォト・リテラシー 報道写真と読む倫理』 (中公新書、2008年) に行き着いた。この後、何処へ行くやら。

帰宅後は、ステレオでルー・リードを聴きながら、『ジョーン・ディオン集 60年代の過ぎた朝』 (越智道雄訳、東京書籍) を読んでいるうちに微睡みの中。といっても、1時間くらいしか寝ていなかったようなのだが、ルー・リードが効いたのだろう。物凄く脳がリラックスできたような気がしたので、英語に取りかかる。このところずっと気がかりだった、Unicorn English Course (文英堂) のBook2 の第一課で出てくる、Evelyn Glennieの話しの英語表現の疑問に一定の見通しが立った。
教科書から該当箇所を引くと、

  • Then one of my teachers said, ‘Evelyn, put your hand on the copper ball of one of the timpani drums.’ I could feel the vibration.

という記述の、the copper ball という語の選択が気になっていた。kettledrum (timpani) の部品で銅製の部分といえば、胴体にあたるところで、一般的に ”bowl” と表現していることは周知の通り。では、なぜ、ここでballという語を用いたのか?ここが解せなかった。編集部とのやりとりで、この課を執筆した際に参考にしたという記事を紹介してもらい、その元になった記述にあたると、

となっており、教科書と同じく、”ball” が使われている。
私の疑問・違和感の源は、

  • the ball of something と表現したときに、somethingに来るものが「球体」ではなく、単に「丸みを帯びたもの・部分」になるケースは極めて稀である。

という自分の言語直観しかないので、COCAで ”the ball of” と”the bowl of” それぞれの検索をし、グーグルの画像検索で、”the ball of “ を調べてみた。(画像検索は1000件までしか表示されないのですね。トホホ…。)
また、上の記事は伝聞であり、下の記事はTV放送のトランスクリプトであるので、聞き書き・書き起こしの際にballとbowlの誤解が生じたのでは?と疑ってみて、彼女の肉声での発音・発声をTEDにあるスピーチで確認してみた。

確かに彼女はスコットランド出身でロンドン育ちなので、少々癖のある発音ではあるが、いくらRPが変化してきているとはいっても、さすがにこの二つの音がマージするとは考えにくい。自分の家にある英系の音声は、と、リチャードの英音を聞いたり、今井先生の音声を聞いたりするが決め手にはならず。
恩師のRon Forbesに絞ってネット検索をかけ、2007年のThe Sunday Times, April 1, 2007にある、”Pastoral sympathy”という彼女に関わる記事 (http://property.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/property/article1584930.ece) に辿り着く。
ここでようやく、彼女の自伝、一人称で語られている文章に出会う。件のティンパニの記述は、恩師のRon Forbesの指導に言及し、

  • We would use tiny practice rooms with thin walls, and together we experimented, trying to perceive sounds from a different angle. A lot of those instruments really resonated ― if you’re sitting behind kettle drums or timpani, you realise that a lot of vibration comes from them. Ron suggested that we put our hands on the bowl of the drum, or on the piano or the wall, and we gradually realized there’s an awful lot that can be played through the body if you listen and focus on that.

とあり、the bowl of the drum となっていて、私の疑問になんとか答えてくれたように思われた。

上にリンクを貼った、TEDでの彼女の感動的なスピーチ&パフォーマンスを見てしまえば、”ball” だろうが、”bowl” だろうが小さいこと、と思うかも知れない (実際それくらい素晴らしいスピーチで、スクリプトもついているので、高校2年生くらいから使えるでしょう) し、本人に確認したとしても「どちらでもいいのでは?」などと答えが返ってくるやも知れぬ。しかしながら、a materials writer の観点から言えば、こういうところこそ、無駄骨と思えるくらいきちんと確認して、「おそらく著者はこういう意図で書いたのではないか」という推測のもう一つ先へ踏み込む気概が必要なのだと思っている。文英堂編集部の方のお手もずいぶんと煩わせたので、この場を借りて改めて御礼。
今回は、自分自身、教材研究の原点に戻ったようで、物凄く勉強になり、感動的なスピーチにも出会えたので、「プラマイプラスです!」 (inspired by M.M)

本日のBGM: The Proposition (Lou Reed)