Who does your hair?

土曜日は午前中が保護者会。
夜中から明け方までの豪雨も上がり、安堵。若干時間をオーバーしたが、評議委員決定も終え、閉会。昼飯を食べるまもなく、まずは急いで地元の湖へ。大学の艇庫に置いてあるリギング道具など一式を積み込み、大会の行われる別の湖へと移動。途中で雨脚が強くなる。3時前には到着し、配艇練習。雨の中、リギングに奮闘。ピン出しに苦戦しつつもセッティング完了。乗艇し、スタ練まで含めて課題を確認し、揚艇、解散。翌朝からレース、あいにくの雨模様。リギングの微調整を済ませ、開会式後にアップ。これがいけない。どうにも中学生気分が抜けきらないのか、自分のレースという意識が希薄。喝。予選はアップ不足がたたり、うねりの強いコンディションの中、不本意なレースに。順位決定では、気持ちも新たに、いいレースアップで臨んだのだが、スタート直後にブイをたたき、バウサイドのオールを離すという失態。沈をせず、グリップを掴み直してレースを続行したものの最下位。苦い高校デビュー戦となった。この教訓を来月末のインターハイ予選に生かせるか、普段の練習への取り組みが問われることとなる。生徒を学校に送り届けて、帰宅。
夕方妻が帰宅したので、娘の世話を任せ、ランニングの代わりに、近所の公園へボールを持ってバスケをしに出かける。若者数名が楽しむ中、マイペースでシューティングやドリブルのドリル。お互いのボールを拾ったり、パスをしたりと、若者たちが排他的ではなかったので助かる。久々のバスケ。年を取っても3ポイントは昔からジャンプシュートでないとタイミングがとれないので、序盤は快調にノータッチで決めていたのだが、流石に後半は脚が疲れてきて、精度が落ちる。気持ちよく綺麗に決めたら上がろうと思いつつ15分ほど予定の終了時間を越え、暮れなずむ河川敷を通って帰宅。いい汗かきましたが、ランニングより負荷が高いので、早速筋肉痛です。
思うところあって、『人物叢書 成瀬仁蔵』 (吉川弘文館、2002年) などを読んでいる。今風の英語教育に欠落した、教育学的・社会学的な考察を深めて、新たな洞察を得たいものだ。
多読に関して、まとまったものを書こうと思い、身辺整理。まずは、「教材論」というか「教材観」の話から。ずいぶん以前のエントリーで「百万語多書」の話を書いた。

  • 易から難へと視写で百万語を書く間に、知らず知らずのうちに、百万語多読を終えている。

というのが基本コンセプトなのだが、この壮大なプロジェクトのためには、本当に優れた教材の選定または開発が不可欠。
多読や佳。しかるに、その教材を、欧米の出版社が出すサイドリーダーなどのシリーズに任せていて本当に大丈夫なのか?という問いかけである。日本人の英文ライターが書いたものでは信用がおけない、という気持ちもわからないではない。であれば、

  • 誰が書いたか
  • 誰のために書いたか
  • どのような英語で書いたか

という観点で著者・編集者側での膝突き合わせの作業は保証されているのか?この点が現在の市販教材では甚だ心許ないのである。学校や図書館に揃えるサイドリーダーが1000冊だろうと3000冊だろうと、ただ出来合いの教材を見繕って難易度順やジャンル別にいくら整理したところで、製品そのものをコントロールしていないのでは仏作って魂入れずとなりはしまいか。
大学の英語教育学者・研究者、出版社、中高の現場教師の協力というものが、検定教科書でさえなされているというのに、それよりも学習者任せの要素が強いサイドリーダーでは英語母語話者ライターにお任せどころか、欧米の出版社にすっかりお任せしておいて、その教材をもとに「多読指導の効果」の有無や優劣を論じたり、実証的研究がなされたりしている現状に追従するままでいいのだろうか。
かつての国産、自前の副読本教材は、優れた日本人教師が「対訳」「訳注」「註解」を施すことで、英語母語話者ライターのretoldを補っていたわけである。輸入教材を段階的に用いて、「日本語を介在せず英語は英語のままで」というバナーは結構だが、

  • アーヴィング『スケッチブック』(小川芳男訳注、大学書林、1954年)
  • ボールドウィン『フィフティ・フェイマス・ストーリーズ』(伊藤健三註解、学生社アトム英文双書)

などの「昔の教材」よりも有意に優れていると言える根拠は何なのだろうか。
時流に乗ることも、棹さすこともたやすい。しかしながら、私は、床屋や美容院に行ったのにシャンプーで痒いところを掻いてもらえず、自宅に帰ってから入浴中に自分でシャンプーし直すような読解学習や読解指導ではダメだろうと思う。
今一度、自前の教材を開発するところから、多読指導を見直す時期だろう。
本日のBGM: Bitterness (Mark Eitzel)
↓一昔前、どころか大昔の「対訳」や「訳注」の副読本。

↓日本の大学で教鞭を執る英語母語話者ライターの手で、英検3級程度の英語でretoldされ、優秀な日本人教師による訳注を施された英教のシリーズ(絶版)。