叫ぶな、囁け!

学年末試験終了。
あとは追試対象者があればその指導。
成績処理で科目の合算があり四苦八苦。新カリキュラムの編成を強く要望します(誰に?)。
国公立大学の後期入試も今週で終了しますが、気になった大学入試の出題(及び予備校等の示すいわゆる「模範解答〜再現答案」)情報をお寄せ下さい。ブログで取り上げ考察を深めたいと思います。

最近の辞書は、生きの良い用例に溢れていると感じる今日この頃。
例えば、「私は不注意にもドアを空けたままにしておいた」に相当する用例として、

  • It was careless of me to leave the door open.

があげられているのは、『オックスフォード英語類語活用辞典』(2008年)。
少し前の辞書になりますが、NODE(初版、1998年)では、「彼女は不注意にも、窓のカギを開けたままにしていた」に相当する用例として、

  • She had been careless and had left the windows unlocked.

があげられています。
ここで私が気にしているのは、話者の心理として、”careless enough”というコロケーションを避けようという意識はどの程度一般的なのかということです。COCAなどのコーパスを見る限りでは ”so careless as to” よりも”careless enough to” の方がヒット数が有意に多いのですが、例えば三省堂の辞書を『グローバル』『グラセン』『ウィズダム』と見てくると、用例としてこの”careless enough”をあげるのを避けているように感じられます。(以下用例は『グラセン和英』より)

  • 彼は不注意な運転で事故を引き起こした。 He drove carelessly and had an accident.
  • 窓を開けっ放しにしておくとは彼は不注意だった。 It was careless of him [He was careless] to leave the window open. // Carelessly he left the window open.

英語のできる方のintuitionをお寄せ下さい。
さて、
この週末・週明けに職場に届いた書籍。

  • 山田雄一郎、大津由紀雄、斎藤兆史『「英語が使える日本人」は育つのか? 小学校英語から大学英語までを検証する』(岩波ブックレット、2009年)

これは著者の顔ぶれを見ればさもありなん、という内容。福原麟太郎のようにその発言を同時代の知識人が傾聴するような大物のいない今、信頼に足る学者が真っ当な論を世に問う機会を生かし、支え、広めていくことが市井の英語教師にも出来ることだろうと思う。

  • 小島信夫『演劇の一場面 私の想像遍歴』(水声文庫、2009年)

苦手な小説家だが、この演劇論は波長が合いそうな予感。春までじっくり時間をかけたいものだ。2005年の12月号「特集 小島信夫を再読する」も再読しよう。

  • 高橋源一郎『大人にはわからない日本文学史』(岩波書店、2009年)

「書評空間」で早速阿部先生が取り上げていた。装幀の赤は想定外。奥深く流れ脈動する血潮のイメージか。タイトルにある『大人にはわからない…』のところを『○○にはわからない…』と空欄にして、そこに最近もの凄く話題になったあの作家の名前を入れて読んでも面白いと思った。悪趣味だけれど。

帰宅後、夕食までの時間を使って、某受験生向け市販教材の例文吟味。英語そのものにところどころ、論理にはかなりの部分で難がある。考えられる問題点というか原因は、

  1. 著者に高い英語力がない
  2. 著者には高い英語力があるのだが、実は著者本人が書いていない
  3. 高い英語力を備えた著者本人が書いているのだが、著者に良いものを書こうという良心がない
  4. 編集者が入稿時にミスをして、不備のある英語が世に出てしまった
  5. 印刷所で出力時にミスをして、不備のある英語が世に出てしまった

というあたりだろうか。どんな原因があるにせよ、これを学校採択などで一生懸命に使っている生徒がいるかと思うとやるせなす。他山の石か彼岸の火事か。

夕飯に回鍋肉とふかした里芋。回鍋肉にはキャベツの他に蓮根も。喉が痛いと漏らしていたのでアレンジしてくれた模様。感謝。

再開した自分のトレーニングで、まずはライティング指導の研究を振り返ることから。

  • 小室俊明編著『英語ライティング論 書く能力と指導を科学する』(河源社、2001年)
  • 伊東治己編著『アウトプット重視の英語授業』(教育出版、2008年)

を読み返す。リサーチデザインに資するための本と、授業実践の本とでは全く性格が違うが、この10年の趨勢などはわかろうかと。国内の先行研究を広く精査した『ライティング論』は流石に手間と時間とをかけただけのことはある。
新課程ではライティングに特化した科目は消えてしまうので、今現在、日本全国でしっかりとした成果を上げている高校でのライティング実践をきちんとした形で残しておく必要があるだろうと思う。「我が校のライティング実践こそは!」、という高校がありましたらお知らせ下さい。春休みに取材・調査に伺いたいと思います。

初中局メルマガが届く。
高等学校指導要領いよいよ告示。
年末に示された案と一字一句違えぬ文言に天晴れと叫びたい気分だ。
パブリックコメントへの回答は、
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?ANKEN_TYPE=3&CLASSNAME=Pcm1040&btnDownload=yes&hdnSeqno=0000050127
を参照されたし。
地球の真ん中で叫ぶだけではその声を聴くべき人の耳には届かないということか。
つぶやきシローの芸風から学ばなくては。
本日のBGM: Careless Whisper (George Michael)