Let’s get upset.

いよいよ三月。
卒業式終了。礼服もそろそろ新調か。
今年は謝恩会の案内が来たのだが、電話の移設工事のため自宅にいなければならないので欠席。ようやく、自宅でのネット接続完了です。

洋間に入れた段ボールをせっせと開けては空け、開けては空け、で書棚にとりあえず押し込んでみる。東京勤務時代には物置に入れっぱなしだったものも段ボールで送っていたので、その分が完全にお荷物状態で棚に入れる余地無し。妻のデスクトップを机上に配し書籍をスチール棚に入れるとなると、細かなレイアウトや整理は春休みになるだろうか。以前、雑誌『新英語教育』(三友社)で見た萩原一郎先生の書斎のように整然とした部屋にしたいものだ。
以前授業でも活用していた『キーワードリスニング』(SSコミュニケーションズ、1990年)のテキストが見つかってちょっと嬉しい。これもカセット教材だから、デジタル化しておかねば。

CDラックはそれなりに片づく。意外にシングルCDを持っていたのだな。細川たかしの『Let’s 音頭アゲイン』なんかがある。ステレオは修理に出したのでしばらくはお預け。

学年末試験作成も残すところあと2つ。頑張りましょう。
4月の英授研に参加しようと思っていたのだが、大学の後輩でもあるK先生の結婚式に招かれて上京することになったので、披露宴後に横浜まで移動して、菅氏の講演に間に合うか微妙なところ。
本業の成年チーム候補選手の状況も見ておきたいし、忙しい年度初めになりそうな予感。

倫太郎さんから、「高校生にライティング指導をするにあたっての必読書」のリクエストを受けたので、メールにて概要を返信。入試問題の模範解答を作ることに躍起になっていてはダメだということは分かって頂けると思うのですが、なにぶん、大学入試の出題を「ライティング」の観点で視る(診る?)人は少ないのでね。こういうことならいつでもお役に立ちますのでまたお尋ね下さい。

相変わらず「文法的に誤りがなければ減点されないのだから、減点されない英文を書く」ことが最終目標となってしまい、「より適切で英語らしい文(章)を書くことを目指す」方向ではなく「稚拙」な方向へ逆戻りするような「自由英作文」指導が目立ちます。作文の教師は、Plain Englishや "Basic" English (またはGDM) などからもっと学ぶべきでしょう。また、個々の英語表現はこなれているのに、全体として課題の要求に応えていなかったり、(英語の)論理と相容れなかったりする解答が満載の教材が後を絶ちません。「受験英語」を扱うといえども教師はやはり、長谷川潔、中尾清秋、金子稔、ケリー・伊藤らの著作を踏まえた上で、生徒が竹岡本・大矢本を活用できるような指導をするべきでしょう。

入試問題が解けることを高校の英語学習の最終目標にするのをそろそろ止めにしてはどうかと思います。
例えば、東大・前期の英語。
今年の出題で求められる英語力を最終目標とする潔さは私にはないです。
まず、「要旨」ではなく、「趣旨」を日本語でまとめさせる読解問題。テクストタイプへの柔軟な対処を見たいのなら、ライティングを課せばいいのです。書き換え問題には我が目を疑いましたね。もう「ライティング」は要求できないレベルにまで、東大受験生の英語力が低下しているということなのでしょうか?まだ、和文要約英訳の方が「ライティング」力が分かると思うのですが。結局、今年の出題で本当に英語力の弁別が出来る設問は旧来型の「和訳」になったのでは?
一方の雄。今年の京大・前期の英語。
英語教育プロパーとか、テスティングの専門家からは諸悪の根元のように言われることの多いこの大学の出題ですが、今年は易化。大幅に読む分量が減ったので、和文英訳にも余裕を持って答案を練る時間があったでしょう。ただ、京大や、今年の大阪大・前期の第4問Bのィ、などの和文英訳の対策を「アウトプット」と称して授業をするのはいかがなものかなぁ、という感じです。
やはり要求される英語力を踏まえた上で、適切なシラバスを組み、タスク(教材)を整備し、授業をすることが大切なのであって、過去問にしろ、類題にしろ問題演習を授業の核にする発想をどう払拭するか、悩ましいところです。
今年のお茶大と奈良女の出題を早く見たいなぁ…。
本日のBGM: The time has come again (The Last Shadow Puppets)