0限高2は『P単』から。授業は淡々と。
高3は読解の解説。入試演習の話題で、センター試験に言及。
- リスニングテストが入ったのに、なぜ筆記試験ではいつまでも発音・強勢問題を出し続けているのか?改善されないなら、全国約50万人の受験生が来年の受験をボイコットするぞ、と行動を起こせばすぐにでも改善されるんじゃないの?高校生、団結してみたら?
と啓蒙。
- もっとも、その分、リスニングテストが難しくなっても知らないよ。
と付け加えることも忘れない。
最後に、
- センター試験の受験料がどのように使われているか、会計報告を見たことある?受験料が高いか安いか、わからないよね。
と意地悪を言っておいた。
問題を解くのではなく、英語を読む力をつける授業を教室に取り戻したい。
高1は、『短単』の活用から。「詰め込み」教育の誤解を解く。
- 問題は詰め込んだつもりになっているだけで、実際には詰め込めていないこと。詰め込めるものは詰め込んでしまおう、ただしきちんと整理して。
という趣旨は伝わったことと思う。精選された、厳選された教材を覚えていく作業は、その教材が精選されていればいるほど、ともするとせせこましいものになりがちである。「教材や辞書の中の閉じたことばを開いて、そのことばに命を吹き込むのが授業」と見得を切って見せた。
高2の最後は『P単』自己テスト&ドリルを経て、残り約10分になったところで、「私のアンソロジー」の取り組みに関する注文。
- ことばをなめちゃいけない。
明日朝までにやり直して提出の指示。
7限後はSHR+臨時職員会議。
1日の仕事を終え、逃避行動で地元の書店へ。
途中で3年の生徒に遭遇。
- 細野晴臣著『分福茶釜』(平凡社、2008年)
- 佐藤雅彦編『教科書に載った小説』(ポプラ社、2008年)
- 山田詠美・高橋源一郎『顰蹙文学カフェ』(講談社、2008年)
以上新刊を購入。
細野晴臣以外は学級文庫入りか。『教科書に載った…』は、昭和時代の教科書からも引かれているので、『高ため』三部作の横にでも置いておこう。
学級文庫で準備した『星の王子さま』関連で、
- 塚崎幹夫『星の王子さまの世界』(中公文庫、2006年)
を読む。肝心な本編は「なんだかなぁ」、という感じ。面白かったのは「エピローグ」(pp.169-181)。長いが引用。
- 書物はとどのつまりはことばにすぎない。ことばは紙幣でさえもない。換金に時間と手続きがかかる債券か手形のようなものである。満期というものはないので、つねに割り引いて現金に交換するが、問題は取り引きが非公開で、割引率に個人によって大きな差があることである。同じ債券をもっていても、ほんのわずかなものしか手に入れることのできない人が少なくない。自分もまたそのような一人であるかもしれない。(p.169)
- 別の独善もある。自分を投影して自他の区別がつかなくなり、本に酔っているつもりで自分に酔ってしまっている場合である。文学好きを自負している人たちにこの例が多い。ひどい割引率で現金化している点は同じだが、安酒に慣れているので、まわるのが早いのであろう。彼らを麻痺させる符丁のようなことばがいくつかあって、これらの気にいりのことばが目に入れば、ほかには何も必要ないのである。他の部分は惜しげもなく捨てられる。(中略)自分の気にいったように読むという、その自分とはいったい何なのかをまず問うてみておくべきであろう。不完全の、怠惰の、甘えの同義語以上のものかどうか。書物に先達を求めるのであれば、自分の気にいったようには書物を読まないことを、誓うことからはじめる必要がある。(p.170)
若い頃、年間で120-130万くらい書籍費に費やしていた時期がある。独身で、教科書の印税もそれなりに入り、稼いでいたからそれだけ本を買えた幸運に感謝したいと思うが、私はそのように購入した書籍を読むことを自分への先行投資だと思ったことは一度もない。確かに、先行研究を精査するために読み込まなければならない論文や書籍を買うのにお金を出し渋っていては研究にならないのはよく分かる。「今月のERICはジャーナルで10本まで」とかやっていてはセコイ研究しかできないだろう、と言われてしまえばそれまで。でも、自己研鑽とか、自己投資として本を読むのでは楽しくないだろう。その投資により将来豊になる自分の姿をイメージしてほくそ笑むのではなく、その行為をしている今という時間を豊かなものにすることに悦びを見出したい。非常勤で年収が1/3になり食えない時代には、さいたま市、武蔵野市、大学、と図書館という図書館を利用していた。ケチるも何も、本を買おうにも先立つものがないのだから。立ち読みもしょっちゅう。同じ書店に長居はできない。かといって自分が読むような本を揃えている書店は限られている。そんな日々の記憶がまだリアルに残っている。
今日の書籍費もおよそ5000円。たかが5000円というなかれ。人によっては大金であり、「武士は喰わねど…」という訳にはいくまいて。本を読むのに使う5000円は尊くて、飲食に使う5000円は卑しいなどとは言えないはずである。しかしながら、こういうlifestyle discrimination自体を今の日本では少しも卑しいと思わなくなってきているかのようで居心地が悪い。本を買う余裕のある人は買えばいい、それで読んだ本は捨てずに、読みたい人の手へバトン宜しく受け渡すことくらいから始めてみるのが健全だろう。
本日のBGM: Everything has a price to pay (Paul Weller)