「今日の君は昨日の君ではない」

週末の出張を終え、新たな週の始まり。
週末は濃い時間でした。inputしてoutputして、ようやく自分に何がintakeされていたのかが分かるという感じ。T先生、Y先生、ありがとうございました。勉強させて頂きました。まずは教師が、いい授業とは何かを理解し、習熟し、習得することだと実感。骨太の英語力を求め続けよう。
これまで反応のなかったと思しきスギ花粉に反応が出ている模様で、山口に帰ってきたらまた朝からグジュグジュ。鼻づまりが酷く、点鼻薬自体が鼻腔に噴霧できない状態。頭が重く、右耳はまだ復活できず。
昨日が試験最終日で3クラス答案が出てきたので昼前から採点天国。今日は生徒は自宅学習日なのだが、私は寮の当番になっているので、部活も見られず。明日が成績提出締め切り。締め切りは13:00となっているのだが、午前中は薬物乱用防止講演と避難訓練。この時間設定の意味がよく分からない。午前中に採点とか成績の打ち合わせしている時間なんてないじゃないの。
国公立の前期発表も一段落。悲喜交々。
予備校の情報発信で気になるのが、「的中!」などといっている教材や模試と実際の出題との比較。英語では「話題繋がり」程度でも的中したことになってしまうので、なんでもありなのだね。的中させる研究の成果は素晴らしいことだろうと思う。でも、その教材で授業を受けた生徒は、他の問題が出ていたら解答ができなかったのだとしたら、それは「英語力」をつけたことにはならないだろう。
随分昔のことになるが、通信添削でZ会の陰でひっそりじっくりいい指導をしていた「オリオン」の講座から生まれた教材に『思考訓練の場としての現代国語』というものがあった(今でもあるのか?)。私は、この講座を受講していなかったのだが、高1で同級生のM君が時間が無くて解答できない回などを代わりにやっていたこともありこの講師を知っていたのであった。
その現代文の講師は、通信添削の課題を解く受講生で、

  • この問題文は以前読んだことがあったので、比較的楽に解けました。

などというメンタリティを痛烈に批判していたので記憶に残っている。「そういうコメントをする受講生ほど、出来ていない」というのだ。「一年前に授業か何かで読んで、問題を解いたことがあったとしても、それから一年の間に、君の力は伸びているのだから、過去の力に自分を引きもどしてどうするのだ。今日の君は昨日の君ではない。」というような趣旨・意図だったのだろう。良い先生だったとしみじみ思う。
私は教師として、「的中どころかかすりもしなかったけれど、その授業を一年間受けていたみなが合格している講師」の力量をこそ評価するのだけれど…。
本日のBGM: The certainty of chance (The Divine Comedy)