You should know better than to say so.

tmrowing2007-01-22

センター試験終了。リスニング導入で注目を集めた新課程の2年目。ただ実施方法の不備のみを採り上げ「いくらリスニングテストを導入しても、トラブルやミスが続出では英語教育の改革に寄与するのか」などという大騒ぎは滑稽である。日本の高校卒業生全体に占める受験者の割合は40%に満たないのだから。半分以上の高校生にとってセンターテストのリスニングは全く意味を持っていないのである。
今年は「出題傾向が変わった」などという声を聞くが、日本語が間違っていないか?単年度で見た場合には「出題形式」や「出題内容」「難易度」に変更や変化はあっても、出題傾向「が」変わるわけではあるまい。そういう各年度での「ブレ」を均したものが「傾向」なのでは?今までの出題傾向「と」変わった、というのであればわかるのだが。ともあれ、英語力があれば問題ないだろう。英語力があるのに得点できないとすれば、「出題傾向」の問題ではなく、テストとして機能していないだけのことだ。
易化だの難化だのと言うよりは、作問のセンスがないことをこそ問題とするべきではないのか。正答がわかる知識のある生徒には現行のセンター試験の持つ欠陥はあまり大きな意味を持たないだろう。錯乱肢は無視できるから。ただ、これから英語力をつけようという学習者にとっては大いに問題である。このような出題例がデータベースとして教材が作られ、問題演習を通して学習することになる。赤いフィルターなどでの無味乾燥な反復練習の過程では、やはり「なぜ、その答えではダメなのか?」を考えざるを得ない時が来る。ところが、センター試験の錯乱肢の作り方があまりにもお粗末で、明らかに英語として誤っている語法が選択肢に使われていたりして、「頭を使う甲斐がない」のである。この被害が広がらないか心配である。
例えば、

  • 15番の、It was shockedとか
  • 16番の、on me to solveやthat I should be solved
  • 19番の、 a closer looking 

という選択肢は日常の談話として意味をなさない。その観点で非文法的と言える、このような選択肢を示すことに教育的意味はなかろう。高校生の文法力がないのは、このようにお粗末な多肢選択問題にあると言えるのではないか。採点に時間はかからないのだから、箸にも棒にもかからないだけではなく、有害な情報となりうる選択肢を苦し紛れに作るよりは、選択肢は3択にして、設問数の方を増やすとか、もっとちゃんと作って欲しいものだ。
設問の構成概念というか設定自体に首を傾げるものもある。

  • 22番のレストランの会話も、gorgeousなところなのであれば、テーブルで支払いを済ませるし、カードでまたはチェックでの支払いをするのではないかと思うので、設問としていかがなものかと思う。もっとも、高校生二人が英語圏の高級レストランで食事をしている場面というのは現実的ではないのですが。
  • 31番からのディスカッションの問題。これを何故読ませるのかがわからない。これこそ、リスニングテストで出せば済むことだ。
  • 大問第六問はこれまでフィクションなどそれなりに「読ませる」問題だったのだが、今年は再読しようとは思えないクオリティ。徒に難易度をあげなくとも津田塾大の物語文や長崎大の論説文など90年代の長文問題では、良質の素材文を課していた大学があったのである。それらと比べれば、いかに読み応えがないかわかろうというものだ。総力を挙げて良質のライターを確保すべし。

昨日のブログで引用した伊村元道氏の小論の結びにこうある。

  • 口慣らしのための英語、単なる注釈の対象に過ぎない英語、考えなくてもすむ、道具としての英語、それをよしとする最近の英語教育のどまん中に「机はまん中にある」というこの文章が重たい石のように転がっているような心持ちがする。(『現代英語教育』1997年8月号)

大学淘汰の時代。最早、入試では知性の発露を見たいと思わないのだろうか?
高2の授業は、子音字+L、子音字+Rの発音指導、歌の練習。続いて、B & E Poemのフィードバック。その後、グループ活動で語彙指導。これは自分でやっていて面白かった。今後もいろいろ工夫してみたい。詳細は25日のFTCで。
学校近隣の古雑誌を扱っているお店で、LIFEとSaturday Evening Postを入手。Narrativeの素材に使う予定。
LIFEはOct. 7, 1966。特集はThe Real Story of Ian Fleming。Ian自身がMoonrakerで使われたのと同じ型のベントレーに乗っている表紙。単純に格好いい。特集で学生時代の写真がいくつか載っているのだが、走り幅跳びの写真が圧巻(今日のブログの画像がそれです)。スポーツ万能だったというのが頷けるショットだ。

  • Ian Fleming’s childhood was to leave him with a lifelong set of antipathies. He hated horses and disliked dogs. He had a horror of family gatherings, particularly at Christmas. He had no interest in politics, no ear for music and, according to his brother Peter, “no feeling for land.” From the start it was apparent he had one of those natures which find the world uncomfortable. (p.102)

SEPはSep. 12, 1964。特集はMalcolm X。この後、アレックス・ヘイリーとの共著で出版される自伝からの抜粋。表紙もMalcolm X。コンディションも良好。

  • I dream that one day history will look upon me as one of the voices that helped to save my country from a catastrophe. (p. 31)

インターネット上で様々な情報が一瞬の検索で入手できる時代に、何故にそんな古雑誌を?と思うなかれ。時代の空気までは検索できないのだ。
本日のBGM: Young Wise Men (Carnation)