『世の中馬鹿なのよ』と言っているだけでは何も変わらない

「英語教育にもの申す」で高校入試に関連した話が展開されている。私のブログでも、東京都立高校の独自入試とやらをまな板に載せたが、メジャーな英語教育雑誌そのものが今や大修館書店の『英語教育』と、三友社出版の『新英語教育』くらいしかないし、研究社の『英語青年』は中高の先生がほとんど読んでいないと思われるので、ブログやネット環境などで、「高校入試英語問題」に対してきちんとした論考を発信することに意義もあろうかと思う。
今日は、入試と言うよりは学校というシステムについて、また教諭という職業・職種について少々思うところを。
少子化で大学の多極化と淘汰だけでなく、高校自体の生き残り戦略が激化する一方、大学進学実績が高校の価値を計る物差しとして使われている現実がある以上、地方自治体としては、伝統校やトップ校を何が何でも維持し、できれば今以上に伸ばしたいと考えるのが性というか、業というものだろう。そうはいっても当然人的資源は限られているので、研修や人事異動、加配、予算措置、入試制度の特例など、あからさまな優遇措置を講じ当該校が「新時代を切り拓く」ための支援をする一方、管理職を当該校に送り込み上意下達の枠組みを強化するといった「前時代的」施策を行うわけである。
朝日、読売、毎日という全国紙と系列TV局の番組で教育問題に対する苦言や今の教育制度、教員の資質に対する批判が喧しく取り上げられている一方で、週刊朝日、読売ウイークリー、サンデー毎日などの週刊誌では「判明!東大合格者出身高校一覧」「東大戦線に異状あり、ドラゴン桜の影響か?」などといった季節の風物詩や、「国公立大学に強い公立高校」「生き残る公立はここだ」「これがお買い得の公立高校だ」というような扇情的な特集が毎年のように組まれている。京都の公立高校が学校改革により急激に進学実績を伸ばすと、それがrole modelとなり似たような施策をとる学校が全国に次々と現れるわけである。では、そういう学校は、教員集団の意識改革や行動改革でそれを実現しているのだろうか?改革の意向に添う教員集団を異動によって作り上げているところが多いのではないだろうか?だとしたら、異動でその学校を去った教員はどこへ行ったのか?何をして、何を思うのか?そこが気になるのである。入試のハードルを上げ、優秀な生徒を確保し、異動で優秀な教員を確保し、予算に恵まれ、パブリシティーに熱心で…。まさに公立学校が率先して「格差社会」に拍車をかけている。
定期異動があるとされる公立学校に任ぜられている教諭にも様々なタイプがいる(いたという方が正確か?)。専門の力量を備え、生徒理解・生徒指導のスキルも高く、校務分掌でも強みを持つエキスパートタイプ。これは希少種。この希少種に似てはいるものの、生徒理解に無関心で管理職試験や指導主事試験を目指し、教務や生活指導などの分掌に精を出すタイプもいる。教科専門の力量は高いものの、学校の方針や生徒との関わり方に馴染めず、大学院(修士のみならず博士課程も)に通ったりしてその環境からの脱却をめざすキャリアアップ志向タイプ。こういうマインドの人は、数年間我慢すれば、希望の学校に移動できると信じて管理職に諂ったりしたかと思いきや、生徒の共感を得ようと生徒の反応に神経質に反応したりと、軸足が安定しない。大学時代成績の優秀だった若い人に多いかもしれない。専門教科とは別に「部活命!」など校内に於ける存在感を確たるものとし、生徒からの信頼の厚い「体育会系」タイプ。勤務評定など意に介さず、分掌で閑職についても、「教師らしさ」を失わず、自らの信念に忠実に生きる「オレ流」タイプ。このタイプは今では、異動で辛い思いをするのだろうなぁ…。多種多様な個性をもった生徒が学校・教室にはいるように、こうしたいろいろな教員の個性によって学校というシステムは崩壊の危機を免れているのだ。入学・卒業という生徒の異動があり、教員の異動があっても受け継がれていた「何か」は急激に希薄なものになってはいまいか?
「世間」で良い学校と思われている学校の教員が楽だと思っている人は実は「世間」の中にではなく、「教育の世界」にこそ多い気がする。優秀な教員を確保したい学校が、公募制と称して教員の公開買い付けに走る時代では、自分の勤務する学校、任ぜられた学校は「自分の居場所ではない」と思う教員が今後益々増えてくるのでは、という危惧が強い。「我慢すれば、もっと(もう少し?)良い学校へ」という発想の通用しない時代。「良い学校」の定義そのものを見直すことが、「良い教師像」の見直しにつながり、現代の「教師業」における心の平静につながることを期待したい。
「自分の備えている高い教科の専門性が活かされない」「今相手をしている生徒は基礎学力が足りなく教え甲斐がない」「同僚が旧態然とした英語教育を続けていて我慢ならない」「事務処理や分掌、生徒指導などの『雑用』が多くて、教材研究の時間がないし、専門性を高める研修が出来ない」などとお嘆きの公立高校英語科教諭の方がもしいらっしゃるとしたら、私からアドバイスを一つ。
非常勤講師としてあなたの実力を思う存分発揮してはいかがですか?非常勤講師なら、あなたが思っている「良い学校」で働くチャンスが増えるかもしれません。ものすごく優秀で、教え甲斐のある生徒を伸ばすことが出来るかもしれません。あなたの教科の専門性を心おきなく発揮できるのではないでしょうか?
Don't be afraid to change!