betwixt and between

新年度のシラバスを整備しようと、資料探しをしていたらいろいろ考えさせられるものに出くわした。
次のアドレスで、ある東京都立高校のシラバスが公開されている。この学校自身は、いちおう進学校と考えているようであるが、国公立大学への現役進学者は10-20名程度。地域での2番手校というくらいの位置づけであろう。サムネイルから、「外国語」とあるページを見てもらうと、「リーダー」「グラマー」と、20年前と少しも変わらない科目の呼び方が使われている。さらには、「グラマー」の科目は年度末に「オーラルコミュニケーション1」として評価がつけられるとご丁寧に説明されている。多くの学校では、次に示す学校のように「オーラル」のコマ2単位時間をオーラルに1時間、グラマーに1時間という妥協の産物となっているのだが、この学校では「グラマー」と銘打っていて、この科目で何をやりたいのかを正直に書いてあるのは潔い気がする。ただ繰り返して言うが、このシラバスは「公開」されているのである。学校のアカウンタビリティを考えたときにプラスに働くかどうかは疑問である。↓
http://www.joto-h.metro.tokyo.jp/doc/h16/syllabus_h16.pdf
埼玉のある県立高校のシラバスも公開されている。↓
http://www.ohmiya-h.spec.ed.jp/gakkou/syllabus/eigo.htm
このページから、それぞれの科目のシラバスをpdfでダウンロードすることになるのだが、「シラバス」とは名ばかりで、「進度表」に過ぎないものである。埼玉県の進学指導アドバンスプラン推進校に指定されているらしい。つまり、「授業+補習=学校の勉強」だけで、第一志望の大学に進学できるようにサポートする学校なのだそうである。国公立大学への進学者は40-60名程度。上述の都立高校よりは「進学校」らしい高校のようである。シラバスを見る限りでは、英語の授業に関して言えば、「ライティング」も文法シラバスのみで構成されており、かろうじて高3で選択科目として設置されている「オーラル」が科目名と内容の一致したものであった。
ここで取り上げた学校は、たまたま検索でヒットしただけであって、例外的少数なのかもしない。しかしながら「進学対応」を考えたときに、多くの高校で依然として「英文法の総合参考書」「準拠した文法のテキスト」「小テスト」をやっているのはなぜなのだろう?すごいところになると、1年生も2年生も3年生も、つまり高校に入学してから卒業するまで、いつまでも文法をやっている。1,2年で早々とテキストを終える学校でも、「英語構文」+「英文解釈」→「英作文」「長文読解」などといった流れで授業が構成されているところがまだまだ多い。受験指導の専門家である予備校の授業を考えてみると、予備校の講座はそもそも単科が基本で年度ごとに独立して構成されていることが多い。そのため、生徒はその区割りがいいものであるという思いこみから脱却できないのではないだろうか。
学校の教員も結局、それまでやってきた以外のやり方で、「英語の学力」がついたという証がないままだと、大きな変化には踏み切れないのだろう。
それでは、充実した科目・カリキュラム・シラバスを作りやすいように英語に特化したコース設定などをすれば解決するのかというと、そう簡単なことではない。全国の多くの「英語科・英語コース」「国際科」の経営者、教員にとっては、「生徒が英検の準1級レベルの力をつけ、英語の成績と運用力の両面できわめて優秀となっても、彼らはカリキュラム上でも英語にほとんどのエネルギーと時間を割いているために、理数系も含めてセンター試験での総合点で高得点を取ることは難しく、国公立大学への進学実績を上げるにはあまり効率があがらない」、という悩みがあるのではないか?

国を挙げてSELHiに投資するのも結構なのだが、普通の学校で、普通にカリキュラムを組んで、進学にも対応できる、ということを実証してくれた方が、現場はカリキュラム改革・シラバス改革に踏み切れる・背中を押してもらえるのだろうなあ。ただ、東大に何人入ったとか、早慶に何人入ったなどの大学進学実績という「限られたパイ」をこぞって争うような目標設定では、その学校の英語教育の成果が上がれば上がるほど、他の要因が制限因子となり、目標と行動の乖離が生じて、ジレンマに陥るだろう。
高校教員、生徒、そして保護者も含めて、大学進学に求める価値観、英語が使えるということに対する価値観、そのそれぞれにおいて、いまだ未成熟なままなのではないだろうか?