英語教育の研究会やワークショップでライティングは不人気である。中学校ではスピーキングやリスニングをテーマにした企画の方が集客力があり、高校では文法やリーディングの扱いの方が圧倒的に関心が高い。センター試験でリスニングの導入が決まっているが、高校教員を対象にしたリスニングに関する講演は今ひとつ人気がなかったりする。まして、ライティングをや!学校現場でも科目として本当にライティングをやろうとすると大変なために、担当をいやがるケースもある。
そんな不遇なライティングではあるが、稀に熱心な実践者・教師・研究家がライティングを取り上げている。ただし、書くことの指導・評価が英語教育で取り上げられるときに、授業実践者は「和文英訳」「文法」を批判し、それに取って代わるものとして、「パラグラフ・ライティング」「自由英作文」「自己表現」を主張することが多い。巷でも「自己表現」を促す「発信型」のライティングが、これまで効果を上げてこなかった、さらには学習者に不評だった英語指導を変えるのだ、と謳う教材・書籍が人気を博している。私はこの『自己表現』という用語がどうも肌に合わない。そもそも、英語教育において、この「自己表現」という用語はいつ誰が使い始めたのだろうか?
2003年の全英連東京大会で「ライティング」に関わる分科会を担当したときに、まずもって考えたことは、「Show&Tell」、「スピーチ」や「ディベート」など「書くこと」に依存しなければ成立しない「コミュニカティブ」な指導を行っているにもかかわらず、きちんとしたライティングに関わる理論に不慣れな教師の意識をどう揺さぶり、ライティングそのものを見直してもらうかであった。リーディングの指導では、文法訳読に代わりスキーマを活性化させてから読みに移ろう、とか、bottom-upの読みだけではなくtop-downの読みをもっと取り入れよう、などと、まがりなりにも「理論」とか「体系」を取り入れようという意識が現場の教師にあったと思うのだが、ライティングに関しては、相変わらず「自己表現」「自由英作文」「パラグラフ・ライティング」という用語だけが一人歩きしている状況である。
もっとライティングを実践してもらうためには、まず「自己表現」とか「自由英作文」という用語が表している実体を吟味することで、「英語で書く活動を具体化する」こと、さらには「英語で書く能力」つまり「ライティング力」とは何なのか、をより明確に意識することが必要である。とりあえず、「『自己表現』でないのなら、いったい何なのだ?」という批判的質問への回答の「一つ」として、テクストタイプ・文章の種類での類型化だけを挙げておく。「これが生徒の自己表現です」というくくりで示される英語のプロダクション、さらにはその授業案でねらいとしている英語のプロダクションは以下に示す英語の文章の一部に含まれることが多い。(これが全てではないので念のため。)
Narrative passage
Descriptive passage
Persuasive passage
私の授業では、1年間のシラバスで扱える内容に限りがあるため、この3種類に限定して指導している。
他にも、国内のwebsiteで公開されている学習者のproductionでは、例えば慶応大学の水野先生が主宰している IWC (Interactive Writing Community)などを覗いてみれば、単なる「自己表現」とか「意見文」などという概念がいかに曖昧で不適切であるか実感できるのではないだろうか?
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http://www.sfc.keio.ac.jp/iwc/IWC/index_2004s.html
本日の提言:「自己表現」という用語をライティング指導で使うのを止めましょう!!