2008_06_28講演録

Facing backward is my second nature.
後ろ向きで前に進む

タイトルの英語を翻訳したものが副題の日本語ではないので、その補足からさせて下さい。
まず、英語のタイトルにあるnatureという言葉は、カタカナにもなっているので馴染みがあるでしょうが、普通は「自然」という日本語に訳しているかと思います。このnatureのもともとの意味合いは「人の手が加わっていないもの」「あとから加工されていないもの」というようなものです。人の器量(みてくれ)とか性格・性質などは普通は生まれついてのものですから、natureというわけです。「天性」とでも訳せばいいでしょうか。
県鴻城の食堂の脇には藤棚がありますが、その柱にはこんな標語が書いてあります。
「よい習慣は第二の天性」
英語ではことわざでHabit is second nature. といいます。いい行いを日々繰り返して習慣となれば、それはあたかも、生まれついての天性であるかのように、その人そのものになるということです。
では、タイトルにあるfacing backward (後ろを向くこと)を日々繰り返し行い、習慣のようにしている人というと誰のことでしょうか?これは「黒板に向かって字や図を書く学校の先生」に特有の行動ですね。ですから、外国の方とのパーティーなどで自己紹介をするとき、私はこのように自分の仕事について語っています。
もう一つの、後ろを向いて行う習慣が、「ボート競技」です。この競技は、ゴールに背を向けて、ひたすら漕ぎ続けることで成り立っています。私は大学で4年間選手として、その後母校の大学のコーチとして13年間この競技に関わってきました。
みなさんが実際にボートを漕いでいるところを見る機会はほとんどないでしょうから、まずは、2004年の全日本選手権のレースを見てもらいましょう。私の見ていた東京外国語大学の選手で、男子舵手無しクオドルプル(4人乗り)という種目の準決勝です。
今、みなさんの中から思わず「距離、長くね?」と声が漏れたように、スタートからゴールまで2000mという距離を漕ぎます。この種目だとだいたい6分でゴールへ。1km、3分のペースですから、走るスピードで考えると相当に速いことが実感してもらえるのではないかと思います。
全日本級のレースは2000m、高校生のインターハイや、国体のレースは1000mで行われます。その中で、速さを競うわけです。一人乗りのボートで約8m、8人乗りの一番長いボートで16mから17mの長さがあります。レースでの勝ち負けを計るときに、この長さの分で「勝った」、「負けた」などと言うことが多いのですが、遅いチーム、遅い選手は、実際のところまっすぐに漕いでいないことの方が多いのです。こっちに曲がっては方向を直し、逆に曲がってはまた直しで、2000mのレースで2020m、1000mのレースで1010m漕いでいたり、なんていうことになります。それでいて、あと、レースで負けると「ボートの長さ一つ分だったのに、惜しい、悔しい」などと言っていたりするのです。考えてみて下さい、変ですよね。短いボートで8m、長いボートで17m、すでにその長さの分だけ余計に漕いでしまっているのですから。まっすぐ漕げなかった時点ですでに勝負はついているのです。
このように、ボート競技では、ゴールに向かってまっすぐに漕ぐということが全ての基本となります。
全力で漕いでいますから、ゴール方向を向き直したりして進行方向を確認する余裕はありません。それだけで、ボートが傾いたり曲がったりして、逆効果です。上手く漕げない人によく見られるのが、
・ 上手に漕ごうとして自分の手元を見てしまう
・ 他のボートに負けまいとして、自分の横を漕いでいる人を気にしてしまう
です。手元がいくら左右対照に動いていたとしても、ボートがまっすぐ動いているかを見なければ何にもなりません。自分の横を漕いでいる人と比べて、いくらその時に自分の方が先に進んでいたとしても、ボートが曲がっていたら、進行方向を直さなければならないので、結局はまた抜かされてしまいます。
では、どうやったらまっすぐ進められるのか?
大切なことは、自分の漕ぐボートが通ってきた、自分が漕いできたボートが作る曳き波、ラインをずっとキープすることなのです。
始めに、ゴールに向けて強く漕ぎだしたら、そのまま、ずっとそのラインを外さず、自分の漕いできた道を信ずること。
ボートのレース会場にも水泳のコースロープのように、自分の両側に目印となる浮き(ブイ)が等間隔で浮かんでいて、それが一直線に並んでいます。この間をあなたは漕ぐんですよ、という標識です。ところが、この左右のブイのラインに気を取られてしまうと、そのブイのラインと並行に漕いでしまい、自分はまっすぐ進んでいると錯覚してしまいます。当然、「左のラインと並行に進んでいる」、と感じた時点で、大きく左へと蛇行しているので、だんだんとブイに近づき、気がつくとそのブイを超えていたりします。「おっと、失敗失敗」と逆方向に進路を修正して漕いでいても、今度は右側のブイの作るラインを見てしまえば、そちらに大きく蛇行、とジグザグ漕行を繰り返してしまうのです。
よそ見をせず、まっすぐ、自分の漕いできたラインを見続けること。これができる人は、どんどんスピードを上げられるので、さらにボートは安定し、ゴールはどんどん近づきます。
曲がりたくないから、と「おそるおそる」漕いでしまうと、自分のボートの進んできたラインが見えにくくなります。ラインができても短く切れ切れになってしまう。そうすると、まっすぐ漕ぐのは難しくなります。

今この瞬間に全力を尽くすこと、自分の動きや、隣の人の動きを気にするのではなく、自分のやってきたこと、自分の進んできた道を信じてひたすら続けること。
本当にゴールに近づいているか、を気にして、何度も振り返っていればその分スピードは落ち、蛇行は増すばかりです。
若い世代のみなさんが、日々悩むことに関する解決策がここにあるかも知れません。自分の進路、将来など先行き不安があったり、周りの人と自分を比べるあまり、今の自分に集中できない、というようなことが良くあるでしょう。
今、お話ししたボート競技のように、「未来はみなさんの目の前に開けているとは限らない」と考えてみてはどうでしょう。四字熟語で「前途洋々」などといいますが、そうではなくて、未来は自分の前方にはない、というわけです。自分の目の前に拡がっているのは、過去。そして、今、この瞬間がすぐに過去になる。未来はよくわからなくて、どんなに不安でも、自分のこれまでに進んできた過去をしっかりと見据えて、今に全力を尽くすことで必ずゴールへと到達できると信じてみるのです。そうすることで、ゴールにたどり着くまでの不安や、レースの苦しさにも耐えられるのではないでしょうか?

先ほど見てもらった映像は準決勝でしたが、その翌日の全日本選手権決勝の模様も見てもらおうと思います。この時は、3位と0.02秒差、写真判定で準優勝となりました。審判から言われるまで、自分たちが2着か3着かわからなかったといいます。そして、金メダル、銀メダル、銅メダルを取ったクルー(ボートのチーム)にだけ、ウイニング・ローといってお披露目の機会があたえられ、表彰式に臨みます。この瞬間を信じて、選手もコーチも濃密な時間を共有するのです。
私事になりますが、この時一番先を漕いでいた、K君が、先日25歳で他界しました。あまりに若すぎる死です。告別式は埼玉で行われたのですが、そこでチームの皆と思わぬ再会をしました。出棺の時に棺を支えたのは、彼と一緒に漕いでいた3人でした。最後は当時の主将がエールを掛け、レースの時と同じように彼を送り出しましたが、涙が止まりませんでした。先ほどお見せした準決勝レースのビデオはこの講演の演題が決まった時に、使おうと準備していたのですが、この表彰式のビデオテープだけ、山口への引っ越しの際にどこかに紛れて1年以上見あたりませんでした。それが、埼玉での告別式への参列を終え、山口に帰り、自宅でこの講演の準備をしていた今週になって出てきたのです。これも何か見えない力が働いたのか、などと思ったりもしています。

最後に、今日は、専攻科のみなさん、衛生看護科のみなさんが私の話を聞いてくれているわけですが、同期の人たちと手に手を取って、困難を乗り越えていこう、というようなことを良く聞くと思います。つらいことがあった人の背中をさすってあげたりすることもあるでしょう。そういう時のみなさんの手は開いています。他の人と協力したりするために、手を繋ぐ時も同じ。掌は開いているのです。これまでの18年、20年といった人生経験のなかで大事にしていること、大事にしているものを握りしめている間は、本当の意味でその手を他の人と繋ぐことができません。その大事に握ったものをいったんは手放す勇気も時には必要なのだ、ということを心の隅に留めておいて欲しいと思います。濃密な時を共に過ごすからこそ、生まれる絆というものがあり、その絆は自分が思っている以上に強いものなのです。
お祭りのおめでたい「ハレ」の席で、最後は少し湿っぽい話しになってしまいましたが、これで私の話を締めくくりたいと思います。「後ろ向きに前へと進む」ということから少しは何かを感じてもらえればと思います。ありがとうございました。