every moment, every movement

土曜日は朝8時から昼の1時まで本業。新人2Xも、後ろ1/3のシートスライドで両舷スクエアワークまでできるようになりました。二回くらい泣いてましたけれど。私も同じことを2時間以上叫び続けて脳がパンクしそうになったので、翌日は自宅で縄跳びと腹筋を指示して解散。
ということで、日曜は朝からひねもす大津先生の『学習英文法』関連の著者校のゲラを前にジタバタ。
あらためて、「これは難しい」と思った。でも、腹を括って引き受けたはずの原稿。私がやらずんば誰がやるというのか。

某所で呟いたことを再録。 (https://twitter.com/tmrowing/status/209034755310759937)

教員の員は四角四面に足が生え、教諭の諭は何かに隠れて守られて喋ってる感じがするけれど、教師の師は何か一本貫いているものがあるところが見栄えがいい なぁ。でも「教」の字はそもそも、交わったり重なったり、いろいろ苦労しているね、としみじみ思う教師の日曜日の朝。俵万智にはほど遠い気づき。

ここで俵万智を引いたのは、

  • 青春という字を書いて横線の多いことのみなぜか気になる (『サラダ記念日』所収)

という歌を意識してのこと。

午後になって、手島良先生から長文のメール。
驚くやら嬉しいやらで、泣きそうになりました。
手島良先生の教材、ラジオ基礎英語にはどれだけ教えられ、蒙を啓かされたことかわかりません。以前、成瀬仁蔵についてこのブログに書いたときに、何の予告もなく関連資料を送っていただいたことがあったのですが、その時以上の感激を覚えました。(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20090511)

  • 音と文字

どれだけテクノロジーが進み、黒板がスマートボードになろうとも、児童生徒一人一人の手に入出力のできる端末が届けられようとも、この語学の基本が変わることはないと思います。技術革新により端末の普及が現実のものになろうという今だからこそ、いっそう、文字指導は重要な意味を持つのだと信じています。
入門期の発音指導で、学習者が実際に自分で発音することと、自分の耳で音を捉えることをどれだけの時間をかけ、方法論を整備してきたでしょうか?絵やアイコンを押せば英語の音声が出る機械やアプリがあれば、自分で声を出す必要はないのでしょうか?文字が印刷されたカードを順番に押し続けていけば、

  • rain, train, strain

などの子音連続もきちんと音声化されるようなアプリも早晩でてくるのでしょうか?
では、翻って文字指導では?入力端末の整備によって、筆記具の角度、ストロークの方向、筆圧、運筆の速度などが記録され、指導者や学習者本人がモニターできたら、もっときちんとした文字が書けるようになるのでしょうか?

手島先生はこの4月から、入門期指導に関わる授業案・実践をブログで公開されているとのことで早速訪ねてみました。ブログには、ハンドルネームしか書かれていないのですが、読む人が読めばどなたが書かれたブログなのかすぐ分かるだろうと思います。

信念や情熱、愛がなければダメなのはもちろんですが、それだけでは教育はうまくいきません。指導技術、指導体系などはやはり知識や経験がものを言うのだな、と実感しました。入門期、導入期の文字指導には本当に課題が山積です。
悩み所躓き所迷い所があちこちにあるはずなのに、既成の地図は大まかな目的地を示したものしかなく、参考にしたいと手に取る先人の残した旅行記にしても、「ガリバー」や「ドリトル先生」のように読んで楽しいものばかりではありません。書く人、引く人によって様々で、さながら異本の多い『東方見聞録』のようです。同じ「マルコ」でも、母を訪ねる手がかりに翻弄され、長旅を続ける少年の方が、我々の実態により近いのかも知れません。

手島先生がブログに書かれた実践記録は、入門期にかかわらず、多くの英語指導者に読んで欲しいと思うのでリンクを張りました。私もそうでしたが、参考になることが多いだけでなく、随所で「自分の思い込み」を打ち壊すような衝撃を受けることと思います。
どんなに優れたサイトやブログも、情報を引き出す「打ち出の小槌」ではありません。ネット社会の利便性をただ享受するだけでなく、そこで求められる、責任や倫理というものもいっしょに引き出して欲しいと願っています。

師匠である若林俊輔先生が亡くなって10年の節目だからでしょうか、今年になって、大名力先生、手島良先生といった「兄弟子」にあたる方たちとメールを交わす機会が出来たことを心から喜び、自分の実作の励みにしたいと思います。

本日のBGM: God Watch Over You (Prefab Sprout)