ライティング指導の第一歩は文字指導から

20160825追記
このエントリーの関連記事は
「英語の文字指導」
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20160520
にもありますので、あわせてお読み下さい。

全国英語教育学会 (JASELE) 熊本研究大会に行ってきました。昨年の徳島に続いて、2回目の参加です。

台風の心配をしていたのが馬鹿らしくなるような「暑い」二日間。火の国というのは、「阿蘇山」に由来する命名だと思うのですが、太陽が近くにあるように感じました。

11月の山口県英語教育フォーラムで、「英語力の可視化」というテーマで自分も発表しますので、その分野や領域での、♪世間の動向を見に行こう♪ (inspired by 桜庭ななみ) という意識高い系ではない動機で参加していました。

研究者、実践者、業者が日本の英語教育を少しでも良くしよう、と「熱い」議論を戦わせる、といきたいところですが、実質そのような時間的余裕のあまりない<20分発表+5分質疑応答+5分で会場移動>で多くのプログラムが進んでいきます。建物の棟が違えば更に大変。

思いがけない収穫(といってもそれは私が事前に十分予習をしていなかっただけなのですが)も多々あり、結果としてはプラマイゼロ。土曜の夜に食べた馬刺し&レバ刺しの旨さと、業者ブースで聞いた、日本語教育の分野での後輩の活躍を聞いて嬉しかったのとで、プラマイプラスという精算でしょうか。

マイナス評価の要因は、

  • 「小学校英語での文字指導」に関連した研究・実践発表の中身。
  • 二日目の大トリの「スピーキング評価のシンポジウム」の中身。

今日は、そのうち、「文字指導」について取り上げます。

誰がどのような発表をしたのかというタイトルや概要は予稿集でもわかることなので、隠さずに書きますが、一日目の、

課題研究フォーラム(1年目、北海道英語教育学会)
小中をつなぐ文字指導
コーディネーター 
中村典生(長崎大学)
提案者
岩村鋭介(札幌市立北の沢小学校)
千手博文(岡垣町立海老津小学校)
中村洋(寿都町立中学校)

では、予稿集にあがったキーワードは「文字指導」「小中連携」「教科化」。
予稿集のp.239には、研究の背景も熱く語られています。

現行の外国語活動では簡単なアルファベット文字を扱う程度で、いわゆる文字指導はタブー視されてきたが、小学校英語が教科化されれば、文字を扱うことなる※(原文ママ)可能性があることがわかる。実際、文部科学省が2015年4月に示した「小学校高学年における教科化に向けた新たな外国語教育の検証のために必要な補助教材」の大半が、文字の扱いに割かれているという事実もある。」
「本課題研究フォーラムではこのような現状を踏まえ、今後の教科化を念頭に、入門期にふさわしく、かつコミュニケーション能力養成に適った文字指導を提案することを試みたい。更にその際、単なる中学校の前倒しではなく、新たに小学校外国語科(英語科)を「創る」という意識を大事にしたいと考えている。」

とあります。
小学校の「外国語」活動が、実質「英語」活動になっていることそのものには、ここでは異論は唱えませんし、議論はしません。
私の疑義と批判は一点のみ。

  • 文字指導のうち、「実際に手書きで文字を書く、書かせる」ということそのものをまずしっかりと理解し、議論しているのか?

ということです。そこを前提として、

  • 文字を見て、読めて、書けるまでの道のりでの技能の発達段階に応じた適切な指導のうち、「手書きで書くこと」そのものの先行研究・実践はどのように扱われているのか?
  • それを踏まえての、「手書きで書くこと」のカリキュラム内での位置づけ、指導のシラバス、個々の指導手順はどうなっているのか?

という観点で今回の発表を見た時に、活動は豊富に行われているけれども、「実際に手書きで文字を書く」という肝心な部分で、どのように指導しているのかはほとんど何も述べられていませんでした。

  • カードで示される文字はなぜ大文字なのか?
  • 実際にまだ手書きで書いたことのない者に、教師が手や腕を用いて示す "air writing" の「筆跡」は、身体的知覚を促すのだろうか?
  • 既に音声に習熟し、語彙を習得している母語話者の子どもであっても、個々の文字を構成するストロークのパターン・類型を取り出して、文字を書く前に、相当量の運筆のドリルをこなしているのに、なぜその段階にいないであろう日本の小学生に、いきなり「文字」を書かせるのか?

などなど、疑問は湧き上がります。非常に気軽に、気楽に「カード」で文字を示しているのですが、教師や教材が示す「文字」の種別(大文字か小文字か)、フォント(セリフかサンセリフか「など」)、ストロークのパターン・類型などにどれだけ配慮して行っているかが、これから先「実際に書く」段階で生きてくることは、ベテランの入門期指導者であれば分かっているのではないかと思うのです。

発表者からは「技術面に偏り過ぎると、子どもたちがつらくなる」という発言があったのですが、もし「つらくなる」のだとすれば、それはそもそも「実際に文字を書く」という技能の発達段階の考察とそれに見合った指導方法が貧弱なためではないか、というのが率直な感想です。

指導助言の立場にあるであろう、協同研究者の中村典生氏には、

多角的語彙習得モデル
http://www.gifu-cwc.ac.jp/tosyo/kiyo/55/zenbun55/shougakueigo_nakamura.pdf

という理論的基盤があるとのことですが、上記論文を読む限りでは、私が指摘している、視覚的認識とmotor skillsとの関連性などの、「手書きならでは」「文字の書体・フォントならでは」の問題点にどのように配慮し、手当てしているのかはよく分からないままでした。

過去ログの

Look who’s talking!
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20150407

で、私が指摘したことがらが殆ど考慮されていないことは、参考文献・引用文献で、手書き文字そのもの、または文字を手書きすることそのものの調査研究がほとんどあげられていないことからも推察できるかと思います。
文字の理解という側面だけに限っても、よく分からない発表でした。

例えば、「お気に入りの数字を伝えあう」という活動。それ自体は、楽しく「英語による活動」が行えるでしょう。しかしながら、その活動で「文字に焦点を当てる必然性」はあるのでしょうか?
6 という数字を six という文字で認識することで、「お気に入りの度合いが数字を用いるより、理解が増す」とか「聞いた時に、数字よりも保持が長く確実」ということがあるでしょうか?
もっと根本的なところで、6という数字に対して、/siks/ という音声の対応を考える時に、/s/の音は最初と最後にあるわけです。それに対して、Sという文字を示すことがどのように「指導」となっているのでしょうか?

「文字指導」に関しては、2013年に

外国語活動における文字の扱い再考−文字を使っての指導と文字指導を区別しよう−
伊東治己(鳴門教育大学)
http://www.naruto-u.ac.jp/repository/file/561/20140702170717/se04004.pdf

という重要な指摘・提言が既になされています。「文字を使っての指導」ではなく「文字そのものの指導」をどうするかしっかりと議論をすべし、というこの伊東の趣旨には大賛成ですが、この伊東 (2013年) でも、「文字の認識」と「実際の手書き」との関連については考察の対象には含まれていないようです。

「小学校での英語の文字そのものの指導」のカリキュラム、シラバス、指導技術に関しては、語彙の発達、音声(処理・理解・保持・発音(再生))の習熟などを前提として、または並行して、「文字を見て処理する」という視知覚の側面と、「実際に文字を書く」というmotor skillsの側面との両方が適切に扱われるべきだろうと思います。

一方、「文字指導」というキーワードは含まれていませんが、二日目の発表の、

英語の読み書き困難に関わる認知特性の評価について
村田美和(東京大学先端科学技術研究センター)

に注目していました。
村田氏は特別支援教育などにも関わってきた研究者のようで、この研究では、ディスレクシアの認知特性を評価するための課題開発を、英語の読み書きに困難を感じる中学生を被験者とした研究結果の報告がなされていました。

こちらは中学生を対象とした研究ではありますが、「認知機能」(またはその不全)を扱っている点で、先ほど言及した小学生の「文字指導」で足りなかった部分に光を当てる研究ではあります。
しかしながら、ここでも、「意味は分かるが、スペリングで躓く」生徒は、「視知覚的な困難さ」にその原因を求めていて、motor skillsそのものの考察は不十分ではないかという印象を受けました。
書体・フォントへの配慮では、和文では明朝を避けゴシックを、欧文では OpenDyslexic (https://gumroad.com/l/OpenDyslexic#) を用いるなど、「視知覚的な困難さ」への配慮はされているものの、その文字を書くために求められるmotor skillsに関しては、ICTを駆使して、「スペリング課題における滞留時間」(言い淀みならぬ「書き淀み」)の研究をしている段階ということでしたので、今後の発展に期待したいと思います。

こういう「認知」の課題を研究できる人と、小学校の英語教育で文字指導をテーマとしている指導者・研究者たちとのコラボは実現しないものなのかな、と思います。

くり返しになりますが、「試写」は難しいのです。
視知覚的な「処理・理解・記憶・保持」だけでも難しいのですが、それを書く段階でも、一字一字書くことその一字、その一字に含まれるストロークの類型ごとにまた難しさがあるのです。「教科化」がこれだけ現実味を帯びてくると、文科省の研究指定校、拠点校、強化事業指定などを受けて、時間とお金と人的資源をかけてやっているのだから、「成果をあげた」と思いたい気持ちは私でも少しはわかります。けれども、「文字指導」のうち、「文字を書く」ということそのものをもっと深く考え、実践を組み立て直して欲しいのです。

母語としての英語教育では、米国よりは英国の方が、handwritingの指導に関しては体系化が試みられ、それなりの成果や蓄積があると思っています。
国内に目を移しても、手島良先生の著作や実践、大名力先生の著作から、指導に資する知見が多いに得られると思います。

「文字」そのものに対して、もっと敬虔に先行指導・研究に臨んで欲しいというのが、「作文の教師」からの切なる願いです。

本日のBGM: Trusted (Ben Folds)

※2015年8月27日追記:
「ライティング指導の最初の一歩は文字指導である」という物言いは、まだこのブログがコメント欄を開放していた頃に、次のエントリーのコメント欄で、riversonさんが引用してくれています。このエントリーが10年半前のものですが、その文言から推察するに、これ以前、10年以上前から私はこの物言いをしていたということになります。

用例(辞書編)
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20050218