Let me show you what I’ve gone through.

以前、生徒がこんな和文英訳の問題を持ってきた。見るからに「和文英訳御三家」風。(実際には京大の90年代の出題の一部のようである。)

  • ヨーロッパの古い大学の多くは大都市の喧噪を離れた美しい田園か小さな町にあった。時代の目まぐるしい変化から一定の距離を保ち,思索と瞑想のうちに過去の文化遺産を検討し,次第に新しい文化をつくりあげていった。

和文英訳という出題形式では、名詞の可算不可算と冠詞の問題はどこまでもつきまとう。この和文も出だしから、

  • 「大学」「大都市」「喧噪」「田園」「町」

など日本語で与えられた語句を律儀にそのまま英語に訳そうとするなら、これらの語句の名詞の数を正確に理解・習得していなければならない。京大受験生でなくとも、第一文くらいは誤りのない英語で書けると思うのだろうが、ことはそう簡単にはいかない。簡単だと思って基本の確認を怠ると、弘法も筆の誤り、となるのはやはり真理であるようだ。自戒したい。「田園」と「小さな町」が「大都市」と対比されているというイメージで、countryという語を連想するセンスは秀逸である。しかし、次のようなミスは、countryという語の用法を正しく理解していないという意味では、初歩的といわざるを得ない。
Many universities in Europe were in a beautiful country or in small towns…
A lot of old European universities were in beautiful countries or small towns …
当然のことながら、COBUILDでcountryという語を繙けば、

  • The country consists of places such as farms, open fields, and villages which are away from towns and cities.

と定義されているし、MEDでは、

  • [uncount] areas away from cities and large towns, consisting of fields, farms, villages etc: COUNTRYSIDE: Unemployment affects both town and country. / We went for a picnic in the country.

と、親切にもこの意味では複数形にはならないことを示してくれている。受験生の指導で、無難な落としどころを求めるのであれば、countrysideという名詞に習熟させるのも一手であろう。
このような和文英訳で気になるのは、やはり修飾語句。傾向として、事実と評価が一緒になる時、ミスを生みやすい。
そこそこ書けていた生徒答案を活かして添削したものがこちら。

  • Many universities in Europe were established in beautiful rural areas [settings] or in small towns where they could stay away from the hustle and bustle of big cities.

京大の先生は何点くらいくれるでしょうか?

名詞と数、といえば、学習参考書でも、「関係代名詞のwhatはつねに、the thing whichと単数を表すものにしか使えない」と説くものがある。数の呼応として単数扱いにするというのはまだ理解できるのだが、

  • He never listens to what I tell him.

では、「彼に対してこの人が言うことは1つではないから」whatは使えない、という説明はどうしたものだろう?もしその理でいくのであれば、次のような例でのwhat は何を指すというのだろう。コーパスで得られた最近の英語用例から引く。

  • I never listen to what he has to say and he's always wrong.
  • He never listens to what the proprietor says. If he does listen, he doesn't understand it and won't bother to have the issue clarified.

また、良く聞かれるフレーズの、

  • God never listens to what I have to say.

では、言うことは常に1つに決まっているとなぜわかるのだろうか?
What節の内容が1つのことに限定されるか否かをそれ自体で決めることは難しいのでは?

  • People are free to say what they want at the meeting. その会合ではだれでも勝手に発言できる(研究社和英大辞典)

では会合の参加者が皆、1つのことを考えているのか?

  • What they want boils down to just one thing. It is land. (COBUILD)

では、「彼らのもろもろの欲求も突き詰めると1つに収束する」という意味内容ではないのか?文法的な主語・動詞の呼応では、whatの節を単数扱いしていても、その表す意味内容は多様である、ということは何ら矛盾しないだろう。
たとえば、what = whatever となることがあると高校の英文法で習った世代もまだ教師には多いのではないか。

  • Do what you please. 好きなことは何でもしなさい(『ジーニアス大英和』)
  • Don’t believe what you read in the papers. (COBUILD)

冷静によく考えれば、

  • He always follows my advice.

でのadviceという名詞。この名詞は単数扱いだから、ここでは、「1つの決まった助言を繰り返し毎回与えることになる」と言い張る人はいまい。
関係詞のwhatと不可算名詞を一緒くたにするなと言われそうだが、

  • Do what you believe is right.

という英文にしたところで、「信念、信義、正義感に基づいて行動せよ」というような意味合いなのだから、個々の行為・行動が常に決まった1つの行為とは言えまい。その行動に「信念・信義・正義感に基づく」という一貫性はなければならないのはもちろんではあるが。
名詞の数は難しい。そして作文は難しい。完璧を目指すことを強要する必要はない。そうではなく、常に確認を怠らないことこそが大切なのである。そういった、誠実な取り組みからやりがい、充実感、達成感は生まれるのだと思う。
紋切り型の心構えにしかならないが、やはり、敬虔に、経験を重ねていくしかないのである。
英語教師として、作文の教師として学習者が少しでも地に足のついた、自分で実感が持てる英語を自分で育てていく手助けがしたいと思う。

本日のBGM: Whatever gets you thru the night (John Lennon)