「出直しライティング塾」

『英語ニューハンドブック(新訂新版)』(長井氏政編、萩原恭平改訂、研究社、1967年)より抜粋。

  • 学生の中には英作文とはすなわち和文英訳のことだと考えている人が多い。それならば、英作文とはなんのことなのであろうか。わが国で英作文という場合には主として和文英訳の形式を通して行われるからである。/しかし、真の意味における和文英訳というものは、英語の達人の場合だけにできる高等技術なのである。しかし学生諸君の場合には、むしろ与えられた日本文の内容だけを英語の習慣にかなった言い回しで、すなわち英語の考え方に置き換えてみて、それから英語で表現するという習慣を養うことが大切である。/自分の使いこなせるだけの英語を使って楽に自分の思うことが言い表せるようになって、はじめてじょうずな和文英訳を心がけるべきなのである。(「英作文と和文英訳」)
  • 英作文の根底となるものは、(1) まず英文の構造に通じていること、(2) 次に単語を豊富にもち、語句の運用になれていることなどがあげられる。このうち、第1要素は英文法の教えるところによるのであるが、第2要素の単語の蓄積は主として英作文眼による平素の多読と精読によるものが多い。(「英作文の根底」)

『和文英訳の修業(四訂新版)』(佐々木高政著、文建書房、1981年)より抜粋。

  • 和文英訳について大学受験に必要な最小限度の知識と技術を伝授するということを唯一の目標としないで、もっと広い見地に立ち、読者に英語的なものの考え方を身につけてもらいなんとか達意の英文が書けるようになっていただくために内容に考慮を払った(「はしがき」)

『新研究 英作文』(長谷川潔著、旺文社、1979年)より抜粋。

  • なんといっても英語は外国語である。したがって英作文、とくに和文英訳では、日本語と英語の共通した点、ちがった点を知ることが大切である。そこで、まずは英作文の誤りの原因となる日本語と英語の相違をはっきりと区別して、いわゆる「くだけた日本文」を英語らしい英語に訳すためのコツを、全体的に詳しく説明し、暗記用例文も数多くあげておいた。(「はしがき」)

『ルール48 英作文の解法』(金子稔著、洛陽社、1979年)より抜粋。

  • 一見するとつまらないほどの細かな点について正確な知識が要求されます。このように正確な知識が要求されるのですから、英作文に絶えず関心を持ち、練習を重ねていると、知らず知らずの間に正確な知識が身についてくるということになります。これは長年にわたる持論なのですが、英作文ができる人が本当の意味で英語ができる人なのです。英語全般の力を高めるためにも英作文の勉強にはげんでいただきたいと思います。(「はじめに」)

『ハイベーシック英作文』(倉谷直臣著、研究社、1993年)

  • 日本的発想を客観的に分析できない人、逆に英語ではこう言うんだから覚えるしかないと初めからあきらめてかかる人、どちらも英作文の上達が望めない人と言えます。日本人が作った辞書や参考書よりも、生身のネイティブが、こんな時どんな表現を持ってくるかを、謙虚に考え、取捨選択していくバランス感覚、これがなんといっても肝腎です。(中略)日本語に盛られた内容を過不足なく英語で表現しようというのですから、ネイティブが荒っぽく捨ててしまう部分にストップをかけ、ネイティブが余計なものを加えようとするときにチェックを加える、その過程が必要です。(「まえがきにかえて」)

『大学入試英作文辞典』(木村哲也他編著、SEG出版、1995年)

  • 日本人が英訳を行うと、どうしても原文の日本語表現にとらわれてしまい、単語レベルでの対応を求めがちです。その結果、文法的にはどこも間違っていないけど、ネイティブならあまりそういう表現は使わない、といった不自然さが残ってしまう場合が往々にしてあります。/ネイティブ・スピーカーに容認される、誤りのない英訳を示すことが編集の大きな目標ですが、「正確な英語」にとどまらない、「英語らしい英語」の例文という点も本書の大きな特色です。/そこで本書では、日本人が英訳した文章をたんに「ネイティブ・チェック」したのではなく、ネイティブ・スピーカーの観点から表現した例文を収録しました。
  • 単純な短い文では誰が英訳してもあまり顕著な違いは生じませんが、長い文章となると、日本人には想像もつかない様な表現の差があらわれます。(「はじめに」)

『使える英語へ 学校英語からの再出発』(ケリー伊藤著、研究社、1995年)より抜粋。

  • 日本の学校教育では英文和訳、あるいは和文英訳ということをやっているようですが、この方法自体は悪いことではありません。母語の体系がすでにでき上がってしまった中学生からの英語教育に、その母語である日本語を媒介として教えること自体は、私は理にかなっていると思います。(中略)ただ、それを行う視点が間違っているのです。(中略)日本語と英語の一対一対応ではなく、ideaとしてとらえて学習することです。つまりある一つのideaがある時、単語単位ではなく、ideaを中心として「日本語ではこう言うが、英語ではこう言う」という対比学習をするのです。(「はしがき」)

『英作文要覧』(安井稔、角谷裕子著、開拓社、1998年)より抜粋。

  • しかしながら、そもそも、英作文の本というものをどうして書くことが可能なのであろうか、という疑念を持つ人も少なくないのではないかと思われる。その疑念は、長いこと筆者たち自身のものでもあった。英作文には、哲学がないのである。英作文の参考書というのは、それを組み立ててゆくべきわく組もなければ、原理もない。この考え方には、現在でもかなりの説得力があると思われる。
  • しかしながら、英作文の世界は本当に無定形、無秩序な、整理の余地は、いっさい残されていないものなのであろうか。そうではあるまい。(中略)英作文というのは、ものを表現する際における、最も骨太のわく組に基づいて組み立ててゆけばよいことになる。(「はしがき」)

『英語で日本語を考える』(片岡義男著、フリースタイル、2000年)より抜粋。

  • この本の材料である百とおりのひと言はすべて、音声によるひと言として想定してある。だから僕は、英語の言いかたとか、英語で言うときにはなど、言うという言葉で全編をとおしている。本来ならこれは言うではなく、英語で書くには、あるいは、英語による表現のしかたを作るには、としたいと僕は思う。/なぜなら、外国語として英語を学ぶにあたって、もっとも重要なのは、そして最後まであらゆる意味でもっとも有効なのは、英文をきちんと作っていく能力、つまり簡単に言うと書く能力であるからだ。(中略)学習して身につけることに意味があるのは、高度な英語能力だけだろう。ある程度にまで高度でないことには、たとえ誰となにについて喋っても、馬鹿馬鹿しいだけではないか。/そのような英語能力の習得に向けて勉強していくとき、すべての基本となるべき最重要なものは、日本語の能力だ。およそなにを理解するにしても、その理解は、自分の日本語能力によって培われた頭の中で、なされるのだから。/英語らしい言いかたの中で実現される、英語という言葉の機能のしかたを、自分の日本語能力と不可分なひとつのものとして、習得しなくてはいけない。(「まえがき」)

長々と種々の書籍から引用したのは、ある新刊書に次のような一節を見つけたからである。

  • ここでは自由英作文の本質について触れておきます。わたしたち3人は共に予備校の模擬試験を出題する側であり、解説を書き採点基準を作る側でもあります。そのような仕事を通してわかったことは、和文英訳の得意な生徒は自由英作文も書きこなし、高得点をとっているということです。今日、和文英訳ができる人で自由英作文が書けない人はほとんど皆無です。自由英作文の出題自体が稀であった頃は、そのような人が存在していたのは事実ですが、今日のように自由英作文の出題が一般化し各大学の傾向が定着している状況では、書く上でのルールを知り、類題をきちんとこなしていれば、全く心配はいりません。結論を言えば、自由英作文も和文英訳も同じ英作文だということです。

『全解説頻出英作文完全対策』(瓜生豊、早崎由洋編著、早崎スザンヌ監修・英文校閲、桐原書店、2007年)
よりの抜粋である。
いよいよ日本の大学入試の和文英訳も自由英作文もそのレベルまで達したのか、と、内容を吟味してみて首を傾げた。ここで著者が力説する「自由英作文の本質」が、次に示す解答例の英文のどこに現れているか、よく眺めて欲しい。

  • I agree that it is not necessary to teach English in elementary school. This is because I do not think that it is necessary for Japanese students to learn English. Most people living in Japan will never need to use English in their daily lives, so it is much more important to focus on essential subjects like Japanese and math. (以下略、上掲書、p. 204より抜粋)

この第2文が出てきた時点で「出直しライティング塾(?)」だろう。このあと、ダラダラと主題に絡まない英文の羅列である。<主題の表明(=賛否の明示による意見の表明)+事実での支持・論証+表現の言い換えによる再主張・再強調>というpersuasive writing/ argumentationの型にも収まっていない。入試問題に明るい方にはおわかりのように、これは今春の神戸大の出題(過去ログ参照→http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20070728)に対する解答例である。
一つ一つの英文には文法的な誤り、語法上の誤りはない。しかしながら、これは英語の意見文にもなりきれていないだけでなく、課題として与えられた筆者の意見に対する賛否の表明にもなりきれていない。筆者らはどこを取り上げて「全く心配ない」と喝破できるのだろうか。英文の校閲にネイティブスピーカが携わっているようなのだが、この英文をどのように評価しているのかをじっくりと聞いてみたい。この本の著者が言うように、「和文英訳ができる生徒が自由英作文も書きこなし」ている実例が、ここにあげられた解答例だというのであれば、監修・校閲も含めた著者チームは、その自由英作文で解答として求めている英文をその程度のものだとしか認識していないということである。
英作文やライティングに携わっている方は、是非次の一節と比較されたし。

  • 英作文の練習に和文英訳をひどくきらう人があるが、その理由はまことにもっともなことである。すなわち和文を英訳するとなると、とかく原文にこだわって、それを直訳しないと物足りないように考える。(中略)だから和文英訳というような練習をせず、むしろ自由作文(free composition) として、題を出して、その題意内容などを説明して、最初から英文で書かせる方が、あまり苦しまずにかえってすらすらとした英語らしい文が書けるというのである。/これはまことにその通りである。しかし、初歩の間はなかなかそれは望めないし、また、相当上級になっても、教授上の都合から自由作文ということは困難がともなうので、高等学校、大学を通じて、英作文といえば大体、和文英訳をやっているのである。しかしまた、和文英訳ということも、これを巧みに活用すれば、これにより和文と英文との相違点を明らかにさせて、原文に対して、つかず離れず忠実で、しかも立派に生きた英文を作る練習としてきわめて有効なものであり、また実際上非常に必要な練習でもある。/しかし、何といっても和文英訳は英作文上の数多くの方法中の一つに過ぎないのであるから、英作文=和文英訳というように誤解してはならない。和文英訳さえやっていれば、それで英作文に上達するものと早合点をしてはならない。(「和文英訳と英作文」、『英語研究者のために』(田中菊雄著、講談社学術文庫収録、1992年))

本日のBGM: Look Around (Roger Nichols & the Small Circle of Friends / Full Circle, 2007)