Be an optimist, instead.

大阪府の高校入試改革案サンプル問題の批評・その3。
これで最後にしておきましょう。私も疲れました。

第3問は、図表を伴う「文章」で、ある一文を最適な空所へ補充し、文章を完成させるもの。本来は、主題に照らして、英文の「つながり」と「まとまり」の理解を診るための問題なのだろうと思います。問題・解答はこちらからどうぞ。

http://www.pref.osaka.lg.jp/kotogakko/gakuji-g3/eng_sam.html#sample

ここで補充すべき一文は、

  • It is not easy for us to use groundwater.

です。適切な空所にこの英文を補充して、「完成」した英文がこちらになります。

The earth is called “the water planet”. They say that there is about 1,4000,000,000 k㎥ of water on the earth. About 97.5% of the water on the earth is seawater, and about 2.5% is fresh water. But, more than half of the fresh water is in glaciers and the like. And, about 0.8% is groundwater, water in rivers, lakes, and the like. It is not easy for us to use groundwater. The water we can use in easier ways is water in rivers, lakes, and the like. But, it is about only 0.01% of all the water on the earth. How many people on the earth are thinking about this fact when they are using water?

適文補充という形式で、主題を支えるのに必要不可欠な情報を補充させるのではなく、ただ単に、<意味上の主語を伴う不定詞の形式主語を用いた文>の理解を診る意図のようで、旧来の文法事項・構文主義から脱却できておらず、「四技能」の能力試験へと近づいているようには思えません。残念です。

それよりも、もっと残念なのは、この「文章」というか「段落」というか、この「記述」に見られる「つながり」「まとまり」の無さです。

私はこの過去ログでも、密林のレビューでも、大学入試の「自由英作文」などと呼ばれる出題に対応した「学習参考書」や「予備校」で示される「解答例」に対して、その不備を指摘してきました。SNSなどで、「いちゃもんを付ける」とか「ケチを付ける」とか「悪口」などと形容されるたびに、「ライティングの根幹をなすこの『つながり』と『まとまり』の重要性が適切に理解されていないのだなぁ」と思い知らされてきました。概説書や、英語の学習本で、この辺りを扱っているものが過去20年でも出版されているのですが、それらの多くが絶版になっていることが、事態の深刻さを物語っているようにも思います。

この「記述」の話に戻りますが、テストで課す読解問題の問題文として妥当なものだとは到底思えませんし、英語の教材として「学ぶ素材」としても適切なものだとは思えません。

  • 中学校卒業時に、このくらいの英文が書けるのであれば、それは十分すぎるくらいの英語力ではないか?

というのであれば、まだ私も、その声に耳を傾けようとは思いますが、テストや教材としての要件を考えると、甚だ不満です。
時々、「英文の良し悪しは、書き手の感性とか個性が現れるものなので、文法的な正誤など、誰の目にも明らかな部分は批評可能だが、それ以外の部分を取り上げて批評するのはいかがなものか」などという人がいます。私が言っているのは、文章の「好き嫌い」ではありません。文章に「巧拙」は確実にあり、教え子の「拙」ならば、教師である私が面倒を見るわけで、その「拙」に嫌悪を示すことにあまり意味はありません。大村はま先生の至言、「書けないことを責める言葉は無駄」ということです。これに対して、「プロ」の拙となれば話は別です。やはり「望ましい」ものでもありませんし、その「拙」を指摘してくれる人は得難い、有り難い存在だと思っています。当然、それは私自身にも当てはまります。

日頃「つながり」「まとまり」についての指摘をしていますが、書き手がこの二つの要素を満たしつつ筆を進めるからこそ、「主題」の展開を読み手が辿ることが容易になります。日本語でも英語でも、主題をどう展開するか?というのは恣意的では困るわけで、「書き手」と「読み手」の間の約束事とでもいえる「手順」「定石」「原理原則」「運動法則」は、どの言語にも存在するはずです。確かに、英語と日本語では、共通する部分と異なる部分があるでしょう。ですから、「師」について学ぶのだと思います。native speakersは存在しても、native readersや native writersが存在しないという事実が、読み書きを「学ぶ」必要を物語っていると言えるでしょう。

では、問題文の冒頭から見て行きます。

The earth is called “the water planet”. They say that there is about 1,4000,000,000 km3 of water on the earth. About 97.5% of the water on the earth is seawater, and about 2.5% is fresh water.

一文目で、water planet = 水の惑星 と呼ばれている、と話題を導入するのはいいでしょう。しかしながら、"water planet" と呼ばれる所以・由縁として、地球上の水の総量をm3という単位を用いて具体的な数値で示すことにどれほどの意味があるでしょう。その数値は、どの程度「大きい」「多い」ものなのか、こそが説明責任でしょう。「容積・体積」でその多さを示すのであれば、「地球全体の容積・体積」に対する割合を述べるとか、表面積でいうと、約70%は海である、とか、水分の存在が確認・推測される他の惑星とは、比べ物にならない桁違いの「水分量」であることが示されるなど、「確かに、それは水が太陽の周りを回っているようなものだな」と感じるような説明が望まれるところだと思います。(因みに私は小さい頃、「水星」という惑星は水でできていると思っていました。)

三文目の数値の列挙も歓迎しませんが、ここは「巧拙」の部類でしょう。言うまでもなく、97.5+2.5=100 ですから、seawaterと fresh water 以外にまだ、第三の「水」があるなら別ですけど、and以下は、私なら the rest of it とでもするかなぁ、という感じで、そうなると「好み」の問題です。しかも、(the) restをこの語義で日本の中学生が習熟しているかな、とも思いますので、ここはまあ、許容範囲としました。因に、COBUILD の学習英英和では、次のように定義しています。

The rest is used to refer to all the parts of something or all the things in a group that remain or that you have not already mentioned.

続いて第4文、第5文。

But, more than half of the fresh water is in glaciers and the like. And, about 0.8% is groundwater, water in rivers, lakes, and the like.

文頭の、ButやAndは必ずしも、書き言葉のルール違反とは言えません。「つながり」のために必要不可欠な場合もありますし、そうしないことで、かえって分かりにくくなることを避ける目的で使用する場合もあるでしょう。But の直後のカンマも、時には許容されることもあるでしょう。特に、挿入句、挿入節を経てメインのSVへとつなげる場合などは私も時々やっています。

ただ、この第3文はいただけません。and the like で、どのような「共通点」が引き出されたのかがわかりません。その前にあるのは、glacierだけなのですから。このライターは「など」を英語に訳すと、and the like になると考えているのでしょうか?とすると、このライターは、and so on も同じように、単独の事例に続けて用いるのでしょうか?COBUILDの学習英英和を再び引いてみます。

You can use like in expressions such as like attracts like, when you are referring to two or more people or things that have the same or similar characteristics.

  • You have to make sure you're comparing like with like.

Merriam-Webster の学習英英 (Essential Learner's) での用例を見てください。

and the like: and others of a similar kind

  • ghosts, vampires and the like

ODEは簡潔。

and similar things; et cetera: the preservation of endangered species in zoos, botanical gardens, and the like.


当該の問題文には、2つの観点で不備があります。

  • glacier以外に、glacierと同様の性質を備えた「水分」の具体例が欠けていること。
  • glacierともう一つの具体例があったとして、その共通点は何か、という記述。

「氷河」を他の水分と識別する観点は何か?と考えると「固体の状態で存在している」が思い浮かびます。では「極地の氷」は「海水」が凍ったものなのでしょうか?北極には陸地がありませんから、その多くが「海水」が凍ったものと考えてもいいでしょう。では南極は?南極大陸というくらいですから、陸地です。その上にある氷は「淡水」が凍ったものと言えるでしょう。一般には、「南極氷床」と言われていると思います。私の記憶では、この南極氷床だけで、世界の淡水の約60%ではなかった、と思うのですが、そうすると、高山、山岳地帯などの氷河はどのくらいの割合を占めているのでしょうか?

この内容をさらに分かりにくくしているのは、And以下の記述です。Andの直後のコンマを気にしていられないくらいに、その文の「意味」に「?」が浮かびます。
氷河が占めている淡水の「半分以上」の水分を除外したあとの、残りはどのくらいなのかがよくわからないのに、0.8% という数値を用いて、「地下水」「河川」「湖」、そして「そのような何か」と言われても、「地下水」を除いて、「河川・湖」を除いたら、それ以外に「河川や湖と同様」の何があるのかがよくわかりません。

これに続く文が、設問で補充すべきとされている文で、第6文、それに続いての第7文、がこちらになります。

It is not easy for us to use groundwater. The water we can use in easier ways is water in rivers, lakes, and the like.

ここを読んで初めて、先ほどの、「地下水」「河川」「湖」の共通点は、「人に使用可能な淡水」の例だったのではないか?と推測が可能になるような気がします。でも、そうであるのなら、それを先に述べた上で、「可能であるけれども容易に用意できないのが地下水」と述べ、それとの対比で、「可能であり、地下水に比べてはるかに容易に用意できるのが、河川と湖」というような展開になるのでは、と思うのです。で、ここにも、and the likeががが…。
(ちょっと脱線しますが、設問の作り方への疑問を呈しておきます。私は今、「完成した英文では第6文になる英文」を手掛かりに、文脈を推測し、つながりとまとまりを捕捉・補足したわけです。では、その逆の頭の働かせ方って、できるものなのでしょうか?「その一文があったからこそ、推測で文脈を補うことが可能な文章」に設けられた空所に、その一文がないわけです。途切れた脈を、辿ろうにも、その前後にも脈が感じにくいのですから、何を手がかりに脈を辿ればいいのでしょうか?本来は、その空所以外の脈はしっかりと辿れるように環境を整えておき、それが途切れる箇所が補充できるようにするべきだと思います。)


そして、第8文が、また Butの直後のカンマ。もう、気にしないことにします。

But, it is about only 0.01% of all the water on the earth.

  • 人が利用可能な淡水は、地球上の水分全体の僅か0.01% 位ナノです!

というのが、「少ない」ということを示しているのは明らかですが、これが、「希少価値」である、つまり something preciousであるとか、something valuable であるとか、 something you should not use badly or waste である、という意味である、と断定するには、少々飛躍があります。
もし、「人が使える水は、『水の惑星』でありながら極僅か。海水を淡水に変える技術も発達し、既に実用レベルで稼働していますが、そのような技術革新が進んでいること自体が、淡水の希少性を物語っているといえるでしょう。そして、地球上の水全体の2.5%を占める淡水のうちの、さらに少ない人に利用可能な水でさえ、徐々に少なくなっていることを知っていましたか?」というような内容が書かれていれば、「人に利用可能な水の希少性」のアピールが可能でしょう。

この部分が、スッキリしないので、最終文での、"this fact" の「意味・内容」に、重みが乗らないように思います。「読み手とのギャップ」を埋める足場を作らないまま、最終文の修辞疑問で、

How many people on the earth are thinking about this fact when they are using water?

と、対象を全人類に広げて問うたところで、地域によって水の持つ意味が大きく異なる以上、その問いかけに対する反応、受け止め方も大きく異なるでしょう。生活用水に限って見ても、上下水道が整備されていて、その水を潤沢に使える地域の人と、生活用水を得るのに長時間かけて遠距離まで汲みに行くような地域の人に、先ほどの問いが同じ意味で響くことはないでしょうから。

結局、この「文章」の主題は何だったのでしょう?そして、その「主題」がよくわからなくても、正解できてしまう出題って何なのでしょう?

英語の発話・文章を、いちいち日本語に訳さずに英語のまま処理し、理解し、それについて英語で考え、英語で表現する。

理念やお題目は結構なのですけれど、そもそもの「発話・文章」がお粗末であっては、その後に何をやっても「空回り」とか「的外れ」になるのではないかと、本気で心配しています。

大阪の人は本当に楽天的なのでしょうか?

本日のBGM: Better Things (Pearl Jam)