The bottom line is ....

26日、27日と「達人セミナー」の講師をしてきました。
昨年、博多で、道面先生と有嶋先生の講座に参加した際 (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20121224) に、谷口先生と10年振りくらいにお会いし、今回の講師としての「達セミ」デビューに繋がりました。
両日とも、胡子美由紀先生と講座を組んでいただき、自分の英語教師人生の中でも大きな転機となる出会いを得たと感じています。
胡子先生のエナジーを直に体験し、まさしく「チャージ」されまくって帰山しました。

・教師から浴びせられる豊富なインプット、生徒の口から英語がflowし続ける教室
・技能連関統合が前提の指導をバックワードデザインで軽やかに
・暗唱の徹底による、音声指導の個別化
・生徒一人一人との関係作り・クラスの人間関係作り
そして、
・笑顔

今、メモを見ずにこれだけの特徴が思い浮かびます。
初日の博多は、私もまだ午後からの自分の講座の準備で心理的余裕がありませんでしたが、二日目の熊本の講座では、それぞれの活動の狙い、その活動を支える「約束事」の持つ意味など、より実感を得られました。
講座を離れても、食事を共にしながら、様々な話をしていく中でというか、話をしていくうちにお互いの teacher's beliefsも明確になり、

  • 自分のことを大切にできる生徒

というキーワードが引き出された時は、青臭いと言われるかもしれませんが、ちょっと震えました。

ジャパンライムから出ている、「達セミ」のDVDのシリーズで、個々の指導技術や活動例を「学ぶ」ことはできると思いますが、この二日間で得たものは、少し異なる種類の気づきだったように思います。いよいよ、私も現場教師として最後の10年になるであろう時期を過ごすことになるわけですが、今回、視点だけでなく立脚点もしっかりと揺すぶってもらえて感謝の言葉しかありません。

私自身の講座に関しては、高校入試の素材文から大学入試のライティングの解答例、さらには「多読」用の『名作retoldもの』の読み比べなど、普段、このブログで書いていることを話させてもらいました。活動としては、ディクテーションからシャトルラン、チャンクの切り出し方を変えながらの「対面リピート」をへて、Flip & Writeまで。続いて「イカソーメン」をグループで。文を構成するチャンクをつないで文を作って行く作業と、文を超えたディスコースでの繋がりと纏まりを把握する作業の両方を体験してもらいました。
博多では、「名詞は四角化で視覚化」の周辺で、事柄を引っ張っていくための伏線としての「ワニの口」に、熊本では、言葉の発達段階と、パラグラフライティングの指導順序として、「物語文」の重視と、「理由付け」という観点に少し時間を割いて話しをしました。

博多・熊本のどちらでも触れましたが、大学入試の解答例の英語について、帰山してからも考えています。

  • 小倉弘 編著『体系英作文』(教学社、2013年12月刊)

の自由英作文編の解答例の英語については前回のエントリーでも言及しました。「達セミ」では、これに加えて某予備校の某講師によるテキストで示されている解答例も投げかけて見たのですが、そのときの参加者の反応はまさに「微妙」なものでした。

今、改めて、『体系英作文』の解答例の英文を冷静に読んでいるのですが、「残念だ」という感想しか思い浮かびません。溜息の連続です。

以下の英文2つを読んで、お題がわかるでしょうか?
p. 158 より、ある立場からの意見を表す英文を引きます。

I usually use e-mail when I want to communicate with someone.

First, e-mail doesn't have any physical restriction. If you use a cell phone, you can write your message anywhere, such as on trains. When you write a letter, you have to sit in front of a desk. Second, you can write a lot of silly things on e-mail. Exchanging unimportant information can sometimes help you relieve your stress. On the other hand, writings in letters have to be formal, which is tiring.

There are some conservative people who won't accept new inventions, but I don't think they get as much out of life. (104 words)

第一文の someone に何の限定もないことに違和感が募ります。誰に、どこで、いつ書くのか?裏返せば、誰が、どこで、いつ、その「メール」なり「手紙」なりを読むのかが、わかりません。そして「その目的」は?そこは書き進むうちに種明かしされるのでしょうか? 重い気持ちで、第2段落へ。
でました!

  • First,

ここでの、First は一体何を例示する目印・マーカーとなっているのでしょうか?第一文を受けて、「私のe-mailの書き方の手順・流儀・配慮」などを示すのでしょうか?肝心な主+述での内容を見ると、

  • e-mail doesn't have any physical restriction

とありますから、この段階で既にゲームオーバーとなるように思います。メールにも物理的制約は大ありでしょうに。そもそものデバイス、メールソフト、もちろん電源やネット接続の環境、添付ファイルの容量などなど…。
コントラストを示す道しるべを何も置かずにつながれた、When you write a letter, .... は、郵便での「手紙」の話題を持ち出し、e-mailの利便性と優位性にスポットライトを当てたいのだろう、というような意図は感じられますが、その主節、

  • you have to sit in front of a desk

が一体何をサポートしているのかがわかりません。旅先の旅館やホテルで絵はがきを書いたりする人もいるでしょうし、私は先程、自分の仕事部屋の机に座って、PCでメールの返信をしていましたが、have to ですからね。外的制約からくる必然性、疑似客観化のための小道具としても「?」です。「主張・意見」が明示されないまま、不十分な理由の記述がされたため、Second, と新たな例示に変わってしまう時にさらに「?」は大きくなります。 我慢して読み進めると、

  • you can write a lot of silly things on e-mail

とあります。私も「馬鹿みたいになって頑張れるのは馬鹿じゃないヤツだけ!」などと生徒によく言っていますが、ここでの a lot of silly thingsという「書くネタ」は何を支持するものなのでしょうか?「紙の手紙、葉書や封書での郵便 (postal mails; snail mails)」には書けないものなのでしょうか?この人にとっては、そうなのでしょう。そして、そう思うのは自由なのです。ただし、それが、どのように主題・自分の主張をサポートしているのかを読み手・聞き手に分からせないと、理由付けにはなりません。「私が通信による他者とのコミュニケーションで重視するのは、カジュアルでインフォーマルなやり取りをストレスなく行える手段である」とでもいうような、「自分の主張、主題を支える隠れた価値観」にこの英文を書いている本人が無自覚なのではないか、と感じました。

  • Exchanging ....

からの二文は、On the other hand でコントラストを成しているかに見えて、実際は何も「理由の説明」が深まっていません。というのも、そもそも「主題・主張」がここまでに明確に示されていないからです。

  • writings in letters have to be formal, which is tiring.

では、助動詞 have toが使われています。主観の表明から、それを支える客観的な事実の記述へ、という定石を踏まえれば、ここで「擬似客観化」したい筆者・話者の心理はわからないではありません。しかし、その後に、「それは退屈だ」という主観的な形容詞での記述の責任は果たされないままこの段落が終わってしまうのはいただけません。

最終段落の「結論」部分は、議論が平行線に終わるだけなので、書かない方がいいのではないかと思いました。もし、conservative と対照的な価値観 (innovativeとでもいいたいのでしょうか?私にはよくわからないのですが…)に重きを置きたいのであれば、それを主題として、予め明確に述べておかなければならないだろうと思います。締めの文、

  • but I don't think they get as much out of life.

に至っては、as much 「それほど;そんなに」の内容が分かっているのは書いている本人だけはないでしょうか?この決め所の表現に集約される「何か」がそれ以前に明確に述べられていることが必要不可欠であることがおそらく分かっていないのだろうと思われます。
残念です。


p. 159 には、対照的な立場からの意見を表す英文があるのですが、もう勘弁してください。本当に一文一文をちゃんと読めばいかに支離滅裂かがわかるでしょうから。

I use postal mail when I send New Year's cards.

First, greetings on the New Year's Day are special. There are quite a few people who you don't usually meet so often. New Year's Cards give you an opportunity to get in touch with those people once a year, so they have to be formal. Second, hand-written things can add a personal touch to messages. You probably feel happier when you get original cards than when you get impersonal typed messages.

There are too many digital things in contemporary society. That's why hand-made things impress people all the more. (99 words)

「お題」として与えられているのは、

Which do you choose e-mail or postal mail? Set up a situation and explain why you use e-mail or postal mail for the occasion. Write about it in English in about 80 words.

というもので、慶應義塾大学での出題と示されています。 (別冊、p. 29)
これは、2009年の大問のIV.ライティングのお題ですね。
折角、

  • Set up a situation and explain why you use e-mail or postal mail for the occasion.

と条件を明示して出題してもらったのに、その部分を活かせなかったのが悔やまれる「解答例」でした。

これら2つが受験生からの解答例というのであれば、まだいいのです。そこから、フィードバックを与えて、より良いものへと進めていけるから。ところが、これらは教材の解答例として編著者が用意し、英語ネイティブの校閲を経た「英文」です。
受験生が試験時間内で書けるレベルに配慮したと見る向きもあるでしょう。ただ、この2例をどのように、英語として通用するものへと修正するというフィードバック、手がかり足がかりはなく、この英文の和訳と簡単なコメントがあるだけで、この「お題」に関しての学びは終わってしまうのです。

確かに、このレベルの英語表現を求められる高校生はそれほど多くないのが現状でしょう。それでもなお、高校卒業前の最終段階での英語学習のあるべき姿を考えさせられました。
英文の「つながり」と「まとまり」を感じるセンサー、アンテナはできるだけ敏感にして巣立たせてやりたいと思います。
センター試験が終わってから、「ライティング」が課される大学の個別試験までの期間で、このような「自由英作文」の指導が日本各地の「進学校」と呼ばれるような高校で行われることになるのでしょうが、この教材の「解答例」は取扱注意、とだけ言っておきます。

高校段階でのライティング指導を、もっと地に足の着いたものにしたいと痛切に感じています。

過去ログでの先達の言葉を反芻。(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20071226)
私が、このブログで薦める書籍に絶版のものが多いと「苦情」を言う方がいらっしゃいます。20年前、30年前のものであれば、仕方がないかな、とも思うのですが、次の片岡義男の本はまだ干支一回り分くらいの過去ですから。良貨が悪貨に駆逐されるのが世の常だと諦観しているだけではだめで、どういうものを「良い」と思うのか、その「目」や「舌」を鍛えていただくよう、言い続けるしかないのかな、と思います。

『英語で日本語を考える』(片岡義男著、フリースタイル、2000年)より抜粋。

この本の材料である百とおりのひと言はすべて、音声によるひと言として想定してある。だから僕は、英語の言いかたとか、英語で言うときにはなど、言うという言葉で全編をとおしている。本来ならこれは言うではなく、英語で書くには、あるいは、英語による表現のしかたを作るには、としたいと僕は思う。/なぜなら、外国語として英語を学ぶにあたって、もっとも重要なのは、そして最後まであらゆる意味でもっとも有効なのは、英文をきちんと作っていく能力、つまり簡単に言うと書く能力であるからだ。(中略)学習して身につけることに意味があるのは、高度な英語能力だけだろう。ある程度にまで高度でないことには、たとえ誰となにについて喋っても、馬鹿馬鹿しいだけではないか。/そのような英語能力の習得に向けて勉強していくとき、すべての基本となるべき最重要なものは、日本語の能力だ。およそなにを理解するにしても、その理解は、自分の日本語能力によって培われた頭の中で、なされるのだから。/英語らしい言いかたの中で実現される、英語という言葉の機能のしかたを、自分の日本語能力と不可分なひとつのものとして、習得しなくてはいけない。(「まえがき」)

この片岡の指摘、提言は傾聴に値すると思っています。「中学レベルの英語」であっても、「英語」になっていることが肝、生命線だと思うのです。

絶版ではない、「現役」のテキスト、指導書としては、次のものがあります。

  • 日向清人 『即戦力がつく英文ライティング』 (DHC, 2013年)
  • 大井恭子編著 『パラグラフ・ライティング指導入門』(大修館書店、2008年)

このような良書に目を通し、それを実作で活かす人が増えてくれることを願うだけです。

博多の夜は大変に楽しく、盛り上がりを見せたのですが、同じ頃、遙か海の向こう、陸の先では、フィギュアスケートのロシア選手権が行われていました。
男子シングルのSPで「超人」ぶりを見せつけたプルシェンコ選手がまさかの「ザヤックルール」抵触。コフトゥン選手に逆転され2位となり、ソチ五輪のロシア代表決定に波乱が起こっています。
女子シングルは、アデリナ・ソトニコワ選手が、フリーで1位となったユリア・リプニツカヤ選手を押さえての優勝。久々に二本揃えることができ、「これがソトニコワなんです!!」という身体操作の極み、美しさと強さの両面をみせてくれました。本当におめでとう!
私の「イチオシ」、エレーナ・ラジオノワ選手は情感たっぷりな演技で二日間、ほぼミスなしと言える滑りで3位に入りました。ショートの時に、フェンス越しでコーチとやりとりをする表情に今までにない「緊張」を感じましたが、演技に入ると、伸びやかに、滑り、踊る喜びを発散させていて、嬉しそうに、誇らしげにコーチの元へ帰ってくる彼女に、この競技の明るい未来を見た思いがしました。GPFで浅田選手にもらったアドバイスが活かされてきたのでしょうか?彼女は年齢制限で、ソチ五輪はもちろん、ユーロ選手権にも世界選手権にも出られませんが、どのリンクでも、その笑顔が多くのファンを魅了することでしょう。

本日のBGM: Honest (Sly & The Family Stone)