good enough but not very good

LHRの時間を使って、生徒会の立ち会い演説会と部活動の表彰・賞状伝達。
自チームの選手も登壇。他のスポーツ・武道はこれから中国地区予選会なので、選抜出場を決めたのは本校の運動部で第一号とのこと。まあ、いいことじゃないですか。生徒も教科の取り組みとは違って、自ら選んだ種目での努力ですから。
教科学習が生徒にとって必要不可欠な学習活動・学習体験とすれば、部活動は何ら義務や必然性のない取り組みであることは自明。誰にやれと言われたわけでもない、independentな活動だからこその価値があるわけです。指導者も同じこと。指導ができない人は、できないとハッキリ言うことが大切。無理をしても長続きはしませんし、そういうことが言えないのは制度の問題ではなく、職場の文化の問題でしょう。文化を創るのも市民の仕事です。
もっとも、欧州のクラブチーム文化とは異なり、日本の多くの競技ではまだまだ、「学校体育」の延長に「部活動」としてのスポーツがあるのが現状。野球などでは、学校の教員ではなく、外部から監督を招いて指導・強化にあたっている事例も多いようですが、私の本業のように、マイナーなスポーツでは専門のコーチをソトから雇うというのは難しいものです。日体協も文科省の管轄。公的な資格を持っている人を登用するシステムを地道に整備し、そこにかかる金銭的負担に「教育的効果」を見いだすような文化が熟してくれば、公立・私立を問わず、どの学校でも、教員の負担を徒に増やすことなしに、生徒に豊かなスポーツ体験を重ねさせることが可能となる、本気でそう思っています。そういった文化の成熟にとって最も重要なのは、スポーツをする「ウチ」側の人だけではなく、「ソト」から見る人によるサポートです。
私は、日体協の公認指導者の資格 (上級コーチ) を取得していますが、その資格を生かしてプロコーチとして契約できるチームが日本に多くあるわけではありませんし、部活動の顧問をすると、資格の有無で部活動の手当 (= 報酬) が変わるということもありません。インセンティブというのはほとんど無いどころか、毎回湖へと移動するガソリン代も自家用車を使えば自腹です。これが現実。先日の記事でも言及した、教科に於ける「専任外」教員の雇用機会の問題、「土曜日の活用」の問題と同じことがここでも言えるわけです。
「生徒のためなら休日に働くのも厭わないのが教員」という捉え方、「指導ができなくとも顧問になった以上、努力する生徒に報いてあげるべく尽力するのが教員」という捉え方は文化ではなく、因習とでも呼ぶべきものでしょうし、そういう因習に対して、Noと言える人間を育てるのも、教育の役目でしょう。競技スポーツを志向するのであれば、選手も指導者も自分の選んだ道をとことん進むことです。選手は自尊心と傲慢さは紙一重であることさえ弁えていればそれでよし。そのひたむきな努力の中で、支援者への感謝、傍観者への配慮はもちろん、敵対者への理解も自ずから生まれてきます。ウチもソトも無用なコンプレックスを持たず、お互いがリスペクトを忘れず。そういうことです。

正業に集中すべき今日の授業は淡々と。
進学クラス高3の「語彙・語法」で扱ったものを幾つか。
まず、動詞の、

  • accept

から、派生の形容詞 acceptableを得て、その類義語をリスト。

  • tolerable; bearable; endurable
  • livable
  • passable

形容詞の元になっている動詞を抽出。

  • tolerate; bear; endure
  • live
  • pass

このうち、live とpassは自動詞が基本なので、それぞれ、

  • 受け入れる側の人 + live with + 受け入れられる側のもの・人・こと
  • 受け入れられるもの [人] + pass as [for] + 本来望ましいもの [人]

という工夫が必要。こう考えてみると、もの主語の ”pass” が異質。”pass” を “exceed” と置き換えれば、他動詞とも考えられるが、そうすると、”is greater than” のような意味になって、ここであげた語句の類義扱いができないから、やっぱり、このパラフレーズの方が妥当でしょう。
「我慢する」「耐える」の仲間には、他に、入試頻出といわれる、

  • put up with とstand

があるので、その関係を整理。私家版の『前置詞のハンドブック』と『基本動詞の語法』を参照させておきました。全部が頭に入っている必要はないけれど、授業で言及した時にすぐに反応できるように、宝の持ち腐れにせず、普段からもっと活用すべし。

その他には、「遂行」の意味を忘れてはいけない、

  • talk +人+ into + -ing のpersuadeでのパラフレーズ

を念押しして終了。

普通科高2は、A-B-B型の総復習と、A-B-C型の即答練習。
途中、

  • 余計な話しをしないで、今やっていることに集中です。

と注意するところで、娘に語りかけている様な口調になって自嘲。少々脱線。
発音の徹底で仕切り直し。軸足をしっかりつくって練習あるのみです。

進学クラス高2のプレゼンは不発につき中止。準備し直しで出直し。猛省を促します。

放課後は職員会議につき、本業は自主練でergo。明日の2000mTT測定に備えて準備。記録を送るように指示。

いつもより少し早く家路に。
ちょうど帰宅ラッシュの時間帯。
夕飯は、カルボナーラ。
パスタ続きだが、いいパンチェッタが手に入って、木次の牛乳がまだ冷蔵庫にあったのでリクエスト。
私はカルボナーラの出来上がりを待つ間は、いつもアニメ『不思議なメルモ』のオープニングテーマの替え歌を口ずさんでいる。歌詞は出だしだけしかないのだけれど…。
それにしても、妻のカルボは本当に上手くて美味いなぁ。

晩酌の前に、自分の英語のトレーニングと教材研究を兼ねて。

  • Sally Godinho & Jeni Wilson, 2006, Helping your pupils to ask questions, Routledge

を読んで、昨今の「発問ブーム」を自分で咀嚼。60ページ余りの本なのですぐに読み終わります。一通り読んでみて、

  • 「作文の教師」なら、そのほとんどを既に使っているのでは?

という感じを受けました。また時間をおいてじっくり読んでみたいと思います。

  • Hisaye Yamamoto, 2001, Seventeen Syllables and other stories, Rutgers University Press

これは、A書店から今週届いたのだが、どこかで目にしたから注文したと思っていて、どこで見たのだったか思い出せなかったもの。firecatさんのブログでした。まだ私が東京にいた頃に、文学を授業の中に位置づけたいと思い試行錯誤していました。物色していたHeinle & Heinle の文学を使った読解教材の中に、Hisaye Yamamotoの “The Brown House” を見つけて、その頃から興味は持っていたのですが、その後、なかなか彼女の著作を読む機会がありませんでした。何か、背を押してもらったような感覚。深謝。
その時に読んでいた結局授業のテキストにはならなかったテキストはこちら、

  • Jean A. McConochie, 1995, 20th century American Short Stories, revised edition, Volume 1, Heinle & Heinle

Raymond Carver, William Saroyan, William Carlos Williams, Arthur C. Clarke らに混じって、Hisaye Yamamoto の名があることに驚いたのでした。

  • 國弘正雄 編著 『英語ハンドブック』 (パナジアン、1973年)

これは、田邉先生に教えて頂いたもの。自分の英語の条件反射のスピードを上げる欲目ですかね。とはいえ、速くしゃべろうという気は全くありません。もっと、初動、立ち上げの加速をしっかりと話せるようにしたい、せいぜいがそんなところです。

本日のBGM: The Age of Understatement (The Last Shadow Puppets)