Wilco!

オーラルの作問無事終了。既習の語彙を用いてパラレルでオリジナルな80語程度のパラグラフを作るのに苦労した。
高1の英語I、高3の英語IIの採点はほぼ終了。高2は撃沈者をどうするか思案。
『英語教育』6月号で、関西大の靜先生がテストについて持論を展開していた。どうしてみんな高校教師で居続けてくれないのだろうなぁ。もっとも、高校教師で居続けていても、キャリアアップとか居心地の良さしか追求しない人は困るのだけれど…。
同僚の理科の先生から、

  • 日常会話の英語が簡単にできる良い方法はないか?

と求められていたのだが、学級文庫にある浦島さんの『コーパス口頭英作文』が1秒で反応できるように訓練することの他に、今日は、ロジャー・パルバース氏による、

  • 『ほんとうの英語がわかる 51の処方箋』(新潮選書、2001年)

を読むこと薦めてみた。大人で、学校英語がしっかりしている世代の人には、この手の「肝」を重点的に扱う本が有効かも知れない。

試験の空き時間には昨日、図書館で借りた、

  • 福原麟太郎 『詩心私語』 (文藝春秋、1973年)

を読み進める。

  • そういえば、英文学における表現のひとつの約束として、漠然と読者に語るとき、第二人称の代名詞は、君たちやあなたがたや読者諸君ではなくて、君であり、あなたである。常に単数であるのは、演説をしない文学であるということになろう。いつも膝をつき合わせて打ち明け話をしている。(「叡智の文学」、p.256)

という一節、とりわけ最後の一文は阿部先生の口調と重なって聞こえた。
職場に、古書を扱うB書店から、

  • 小田島雄志 『道化の鼻』、『道化の耳』 (白水社、2006年)

が届く。2冊合わせて送料込みで約千円。新品同様で有り難いことです。
加藤剛に触れた小論 (「加藤剛『海と薔薇と猫と』」, 『…鼻』、pp.115-119) からは、次の三つの警句を得た。

  • 自分と他人にたいして誠実であること。
  • 自信と謙虚のバランスがとれていること。
  • 涙と笑いに敏感であること。

高橋康也氏の追悼で寄せられたものなのだろうか、『英語青年』からの一文は印象的だった。

  • 英文学はもとより、文学全般、さらには音楽、美術など、なにかわからないことがあれば彼に聞けばよかった。彼が知らないことは全世界が知らないのだ、と思った。(「康也君へのささやかな貢献」、『…耳』、pp.133-134)

放課後は、学校要覧の写真撮影。
表紙や、見開きページの中心を飾る生徒の撮影に混じって、埋め草用スナップ写真の撮影に参加。まさに「道化」役ですな。
新しい教員控え室の生活環境向上推進週間と勝手に銘打って購入してあった、「ブリタ」の浄水ポット、「ハリオ」のポータブル・コーヒーミル、「ボダム」の一人用トラベル (カフェ) プレスが続々到着。
帰宅途中に、フェアトレードの珈琲豆と粉を買い出しに行く。
明日は、ライブリスニングを課すオーラルの試験。
一杯の珈琲で気持ちの良い朝を迎えたいものです。
本日のBGM: Clowntime Is Over No. 2 (Elvis Costello & The Attractions)