タダクマ vs. アミユミ

シブケンのブログで「タダクマ」の話が出ていた。
悲喜交々。シブケンも言っているが、地方の国立大で成績不振に悩んでいる人はG大の艇庫に行って、一緒に練習することから得ることは多いと思う。元コーチとしてもそれは自信を持って言える。
しかし、国立大学のように、大学入学後にボートをはじめる選手・チームにとって、もっと良い方法があるのだ。

  • 地元の高校ボートのトップチームと一緒に練習すること。

である。
望むらくは、

  • 年下の高校生から学ぶこと。

である。
高校生はインターハイ、菊池、国体、そして天竜を目指して日々トレーニングに励み、遠征や強豪校との合同練習を繰り返している。ハイシーズンの2か月は、毎週レースの連続である。戦略や勝負勘も含め、どんどん鍛えられていく。インターハイを見ても、上位に入るクルーは必ずしも3年生ばかりではない。2年生でタイトルを取ったり、決勝に残ったりする選手も多い。ということは、高校入学後ボートをはじめて、まともにシングルスカルに乗るのが夏場だと考えると、漕歴1年少々で高校のトップレベルに達していることになる。
翻って大学生。

  • シングルの1000mガチンコで、地元の高校生のトップスカラーと並べて全勝できますか?
  • 男子の大学2年生は6000mのTTで女子の高校トップ選手に勝てますか?
  • エルゴの20分TTで自分のスコアは高校生ランキングの中で上位50傑(http://www.hs-rowing.jp/20ergoranking07.11-08.02.html)に入れますか?

高校生漕手(舵手も忘れてはいけませんね)のひたむきさ、シンプルな漕法とフィーリング、そして高校の優秀な指導者の関わり方、それらを学んで欲しいと思う。私が、ジュニアの指導に惹かれるのはそういう人たちが住む世界だからである。

さて、時には英語教育も本気で。
日本語の発想の段階で論理性を欠く内容を、そのまま英語にする愚行が受験の世界ではまかり通っている。これを是正するのが、教室現場の役割でもあるだろう。放っておいたら、どんどん、英語の感覚が鈍ってしまうからだ。

たとえば、次の英文を読んで、違和感がないだろうか?

  1. I love reading detective stories, so I have no time for my course work.
  2. I entered a fast food store on the busy street because I was very hungry.
  3. I learned English from that teacher, but I couldn’t even write a letter in English.

高校3年生(もしくは大学1年生)にこの英文を読ませて、もしどこにも違和感がないとしたら、残念ながらやはり日本の受験英語には問題があるということなのだろうと思う。私がこれまで、一緒に仕事をしてきた先輩後輩、同僚たち、研究会で出会って目標にしてきた方たちは、当然のことながら、このような英文を「自己表現」させることを目標としていない。とりたててロジックの三角形などを持ち出さずとも、普通に英語の感覚を磨いていれば、「?」と疑問符が浮かぶと思う。日本語を使っている段階では気にしていない「論理の飛躍」に、和文英訳などの短文の英作文で初めて気づくことが多い、ということにあらためて気がつくだろう。では、どこに違和感を覚え、どのように修正すればよいのか、その部分を実感しながら「ヨコ糸」を仕込んでいくことが、パラグラフ・ライティングなどの「タテ糸」の指導と結びつくのだと思う。「文法的にミスのない、自分が使いこなせる範囲の英語」のクオリティを上げるという意識をまず教師が持たなければならない。私が「ヨコ糸」の見直し、紡ぎ直しをしたいというのは、そういうことである。
そのためには、「ヨコ糸」の指導を終えてから「タテ糸」の指導へ、という思いこみを是正することが必要である。「タテ糸」があるからこそ、「ヨコ糸」の脆弱さに気づくのであり、豊かさを求めるのである。

  • 論理や構成などの「タテ糸」は与えつつ、「ヨコ糸」を授業で紡がせて、そのクオリティを上げていく。
  • 「ヨコ糸」の素材を与えて、その素材を活用して、「タテ糸」が繋がるように織り上げる。

という行きつ戻りつの道場、織物工房としての「ライティング教室」を英語教室の中に作ることが出来れば、正統的周辺参加などと言わなくても、教室内で豊かな学びが成立するのではないかと思っている。

道のりは険しいが、 険しくなければ走破しても喜びは薄いのだと自分に言い聞かせよう。

本日のBGM: これが私の生きる道(PUFFY)