期末試験スタート。
教務の締め切りに追われつつもなんとか、3本試験を書き終える。あとオーラルが二つ。ライブ・リスニング形式なので、楽と言えば楽だが、シナリオを作って練習をしておかねばならないので喉の調子をキープしないと。
- 岡田ではダメでトルシエ。トルシエでもダメで、ジーコ。ジーコでは埒があかずにオシム。オシム、志半ばで病に倒れ、再び岡田。
世の中は動いている。世界は回っている。歴史は繰り返す?いや、繰り返すからこそ歴史?
上手くいっていると思える競技団体の施策でさえ、このように指揮官は次々と替えられる。変わらないのは某キャプテンだか、チェアマンだか、チェホンマン(?)だか…。
サッカーにしろ、野球にしろ、指揮官が替わるたびに、そのつど、「○○ジャパン」といって、指揮官の名前をチームに冠する慣習(?)とそろそろ決別してはどうか。
PISAの結果を受けて「それみたことか」とばかりに、右往左往する教育行政。黒船か?もともと、教育の世界ではなく、OECDで行われているテストなのだということをまずは押さえるべし。各国で課された問題とその翻訳過程など、もっと注目されてもいい情報を出すことも必要だろう。
文部科学大臣の答弁は初中局メルマガで読む。前倒しは理数科目で、ということにお墨付きを得たかのようだ。小学校英語の必修化に伴う予算措置などいっぺんで吹っ飛ぶのではないのか?
町村官房長官のコメント「ゆとりを緩みにしたのは現場の責任」がニュース系サイトでも公開されているが、厚顔無恥のそしりを免れないだろう。どこかの競技団体の強化委員会と同じようなスタンスでの物言いだ。
矛先を向けられた現場教師として、世間に支援するとすれば、どのような関わり方を選ぶべきか思案。
日曜のセッションを終え、慶應高校の先生方からもメールをいただく。良い意味で実践の共有と拡がりが感じられたようで何より。Acrosticの活用など、どんどん試していって欲しいものだ。
今回は、Critical thinkingやlogicの指導だけでなく、「英詩」や「文学」などcreativeなライティング指導を併せ持つことが言葉を育てるのだ、という確信が得られたし、「きちんとした」ライティング指導・評価を推進していく過程で、生徒も教師も「書くこと(そしてその書いたものを読むこと)がだんだん、楽しくなくなってくる」という誠実な悩みを聞くことができて本当にリアリティがあった。お題目や建前で終わるのではなく、地に足のついた、実感として授業のダイナミズムを捉え直す契機としたい。
世の中が、「実践的コミュニケーション能力」や「パフォーマンス」に目を奪われている間に、本物はその先へと向かっているとも言える。まだ、適切・的確な言葉が見つからないが、「豊かさ」とか「味わい」とか「肌触り」などを感じるセンサーが自分の中で増えた(精度が増した?)気がする。
とはいえ、多くの高校現場では、その前の「スキル」の部分、更にその前の「知識」の部分が身につけられていないというジレンマがあるのだろうから、ライティング指導の普及・浸透による実践の共有を図るためには、早く「スキル」と「知識」の部分に関する見通しを与える必要があろう。
文科省のKさん、夏休みには少々荒っぽく焚きつけましたが、早くCDSのたたき台を示して下さいね。もう冬休みになってしまいますよ。
夕飯はスルメイカのバターソテー。久々によつばのバターで食べる。舌に行き渡る触感が心地よい。
慣れ親しんだ味は美味に感じるもの。では、その味はどこで感じているのか?
味わいがクオリアを生む。
本日のBGM: 名案があるんだ(solamo-lens360°)