「ELEC (英語教育協議会) 夏期研修会」のご案内

ELEC夏期研修会のご案内

日時: 2012年 8月15日 (水)
   13:30 -16:20
講師: 松井孝志 (山口県鴻城高等学校)

ライティング指導の伝統に学ぶ「活き活きとした英語」
※ 講座は1日単位の受講申し込みとなっております。
  午前の部は、飯塚秀樹先生 (自治医科大学) のご担当です。
詳しくは、こちらの概要をダウンロードして下さい。http://www.elec.or.jp/teacher/kensyukai.pdf

今回の私の講座は、「活き活きとした」という抽象的というか、定性的な言葉づかいをさせて頂きました。
これまでにも、ELEC協議会では何回か、「ライティング」に関連して講師をさせて頂いております。
2010年度の夏期研修会で講師を引き受ける際にも、知人には「おそらくこれが最後になるでしょう」と言っていましたし、実際に講座を終えた際に、「ライティング」という科目、もっと言えば、「書くこと」に特化した科目が、高等学校の科目から消えてしまうのだから、もう私のような古い世代の人間が講師をお引き受けすることはないだろうと思っていました。
それからあっという間に2年が過ぎて、来年度は高校の新課程が始まります。「喪失感が失せる」というのは奇妙な形容ですが、あの研修会の最後の喪失感のような思いは、自分のなかではもうなくなったと思っていました。
ところが、今年になって「英語表現 I」で使用することになる検定教科書の見本を数冊見て、あの喪失感が甦って来たのです。

  • これでは、10年以上前に逆戻りではないか!

と思うような「文法シラバス」の教科書が増えていました。それだけではなく、モデルとして示されている英文が、英語のディスコースとして本当に通用するのか、というものもありました。

  • これで本当に検定に通っていいのか?

疑問符が頭を離れませんでした。正直な気持ちです。

今回、夏期研修会の講師を引き受ける決断をした要因の一つにはこのような「新課程教科書」に見られる英語表現がありました。
私自身、「オーラルコミュニケーション」、「ライティング」と検定教科書に関わっていたことがありますが、教科書を書いていたのがちょうど10年間。そしてそこから離れて既に10年です。その間、検定外の教科書作成にも携わる機会があり、その書き下ろしのライターである英語ネイティブたちとの「英語表現」にかかわるやりとりで、自分自身の「筆力」を鍛え直す必要性を自覚し、自分自身の英文修業を開始しました。高校生向けの「ライティング」指導に関して言えば、GTEC Writing Trainingという通信講座で「シラバス」としての一つのたたき台を示せたとは思っていますが、そこで扱われる「英語表現」そのものでは、まだ不満が残っていましたので、自分のライティングの授業に繋がるように、高1の「ナラティブ」の読み書きからやり直すつもりでここ数年は取り組んできました。
上述のように、新課程では「書くこと」に特化した科目がなくなります。単一技能の指導が功を奏さないということで、「技能統合」となったようです。であるならば、新たな「英語表現」という科目では、「技能統合」により、これまでの「ライティング」の内容、水準を超えて、「豊かな」英語表現を実現するような授業が求められるはずです。そして、その実現のための教科書を作らないのであれば、「ライティング」という科目を消した意味がないと思うのです。
しかしながら、新課程用の教科書で、そのような豊かな英語表現が紡がれているものはあまり多くないように思います。選択肢が少ない以上は、手に入るものから選び取ったものを使って教室で授業をすることになります。「書くこと」を求められるさまざまな局面で、新課程の教科書の不都合が出てくることでしょう。その不都合が回避できないのであれば、それらをどう克服するか、教科書を使う現場の教師、そして生徒が悩み、迷うことを今よりは少なくしたい、そう思ったからこそ今回、講師を引き受けました。

もう一つの理由は、もう少し下世話なものです。
いわゆる「進学校」、そして予備校などの受験産業を中心とした「大学入試対策」としての「ライティング」「英作文」指導の実態があまりにも「ライティング」本来の在り方とはかけ離れていることです。
本来、上級学校への進学意欲、学習意欲、そして認知学力が高い、このような学校、予備校に通う生徒は「ライティング」の指導を十分に消化吸収できる「素地」があったはずなのです。私が知るだけでも、全国に優れた「ライティング指導」実践を続けている高校の先生が何人もいます。でも、その方たちの指導法が普及定着することがないまま、新課程では科目そのものがなくなりました。
では、これまで「旧課程」でも卓越した指導によって到達し得た高みへと、新課程で生徒を導こうというときに、肝心の「教科書」が心許ないとしたら?
今以上に、「予備校講師による高校教師の研修」、「検定教科書ではない参考書や問題集の採用」が増えるのではないかという危惧が大きくなりました。
私はここ数年、新課程の「英語表現」の行方を心配しながら、予備校のテキストや講義ノート、解答解説プリント、さらには「解答例」などを集め、精査してきました。高校の授業で「書くこと」の到達水準が下がりこそすれ、上がることがないのであれば、高校の授業には見切りを付けて、「受験に特化した『書くこと』」を学ぼうというのは、生徒にとっても自然な成り行きなのではないか、と思ったからです。巷で有名な方のテキストや解答例、板書ノートなどを精査する中で痛感したのは、某予備校の某先生など、例外的に優れた指導者が示す「英語表現」を除き、「ライティング」という観点からは、かなり問題を孕んだ教材、指導法が散見され、課題に対して最終的に示される解答例の英語表現に首を傾げざるを得ないものが多々見られる、ということです。
英語教育の有識者からは、「市販の教材は、市場が淘汰するのだから放っておいてもいい。良くないものは買わなければいいのだから。それよりも、現場の教員が採択を決める『検定教科書』の抱える問題の方が大きな問題」とも言われています。でも、本当に市場が淘汰してくれているのでしょうか?
その問題のある市販教材を現場が一括採択してしまうような実態が高校現場にあり、予備校主催の教員研修で「学んだ」指導法が現場に取り入れられているという現実がある以上、警鐘は鳴らし続けるしかありません。

  • 不備のある教材の教室での使用→授業での到達度の低下→受験対策と称する不備のある市販教材の採用→?

この先に豊かな英語表現が実るとは正直思えないのです。しかもその→の先に待っているのが、予備校の『自由英作文』講座で、その講座のテキストで使われている解説が検定教科書をコピーしたものだったりすることが現実にあるのですから、問題は更に深刻です。

この夏のELECの研修会では、

  • 書くことでしか成立しない英語によるコミュニケーションの必然性がほぼ皆無である日本の英語教室で学ぶ日本の高校生が、英語で表現することの意味を問い直します。
  • トピック、ジャンル、テクストタイプ、語彙、構文、分量などなど、英語教師として、英語での「表現」というものを、根底から理解し、実感し、体得するための「材料」と「機会」を提示・提供します。

とはいえ、「ライティング」の指導方法で私のオリジナル、というものはほとんどありません。私が、英語教師となり、「ライティング指導」に力を入れようと決めてからの四半世紀の間に試行錯誤しながら学んできた、国内外の先哲・先達の「伝統」を伝える程度のものです。ですから、

  • 「英語を書くこと」「英語で書くこと」の指導の現在地を正確に把握するための情報交換を講師と受講者の間だけでなく、受講者同士でも行い、この研修会が終わった後も、お互いに情報交換を続けることができるようにしたいと思います。

ご縁がありましたら、8月15日にお会いしましょう。

本日のBGM: I broke my promise (American Music Club)

2013年9月25日追記:
この時の資料を、こちらでDLできるようにしております。
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20130814
指導の参考となれば幸いです。