「君らしいメロディでいいだろう」

昨日は夕飯を食べた後、何気なくTVをつけたら『ちびまる子ちゃん』実写版をやっていた。おばあさん役の宮崎美子にも驚いたが、なんと、お母さん役が酒井法子。のりピーが…。
原稿書きに意欲を燃やしたが、挫折。
前任校の教え子の大学生からメールが届く。高校時代より英語力が落ちていることを実感。複雑な気持ち。
『英語教育』の原稿を書き上げて編集部へ送る。今回の執筆で気がついたこと。
先日のELEC協議会の研修会でも指摘したことでもあるのだが、「書くことの指導」と「書かせたものの評価」とが一致するためには、「テストでの手書き問題」を克服しておかなければならない。このことはなかなか理解してもらえないので、何度でもしつこく繰り返しておきたい。(書く「こと」と書いた「もの」の間のレベルのギャップに関してはまたいずれ考えたいと思います。)
e-mailの活用とかITの活用ということも背景にはあるのだろうが、授業で生徒にコンピュータを用いてテキストファイルなどの形で英文草稿や原稿を提出させている学校、教室または教師は増えてきていると思われる。ところが、である。このような授業の最後に定期考査を行う場合に、その科目を履修する全ての生徒が同一の時間に一斉にコンピュータを利用して解答が可能な学校はほとんどないと思われる。ここが問題の根元である。
授業中にはhandwritingを用いず、定期考査にはhandwritingを要求する
今風の英語教育のbuzz wordであったはずの、「指導と評価の一体化」が見られないのではないか?

  • 編集機能の効率
  • 保存可能性

では明らかにパソコンを用いた授業に利点があろう。
しかしながら、

  • 文字の美しさ(出力の美しさ)
  • リライト作業の速さ

という点に関しては、定期考査の際には手書きを求める結果、普段練習していない手書きでしかも内容豊かで一定分量の英文を一定の時間で書き終えなければならないという負荷を与えていることになる。
そのため、

  • 速く書くので、文字が乱れ、判読が不能となり、評価が下がる
  • 丁寧に書くので時間がかかり、解答が終わらない
  • 丁寧にかつ書き終えなければならないので、内容的にお粗末なものとなる

というマイナス面が現れる可能性が高いことを認識しておく必要がある。
対策は幾つかある。

  • ポートフォリオやカンファレンスでの評価として、定期考査を一切行わない。(実施済み)
  • 2時間続きのコマで年間の時間割を組んでもらい、その授業時間内で定期考査を行う(実施済み)
  • 定期考査だけ時間を伸ばすことで手書きによる時間のロスに対応する(実施している高校あり)

マネジメント面での配慮は以上だが、まだ考慮すべき問題はある。

  • 手書きによる修正・訂正(revision)、書き直し(rewrite)の際に、直さなくてよいところまで書かなければなければならないため、焦点を当てるべきところに意識を傾注出来ない。

という問題をどうとらえるかである。
私の立場は明確で、「直さなくてよいところも含めて写しましょう」というものである。全体は部分の総和ではないから。常に、部分を全体に還元しつつ、全体の中で捉え直すことでしか技能は身に付かない。写す作業も含めて全体として書くことで初めて、書き手としての自己を疑似体験出来るのである。
たとえば、「話すこと」の指導で単文・短文による口頭でのrecastにより誤りを正した後のセンテンスを生徒に言わせることを是とするのであれば、なぜ「書くこと」の指導においては繰り返しを厭うのであろうか?時間がかかるから?それは時間をかけることで得られる効果を無視するために受ける印象批評に過ぎないのではないか?
音読指導に目を移せば、read and look-upやシャドウイングなどの手法に国を挙げてこれだけ熱中しているのである。自分の守備範囲のど真ん中の文法項目・語彙項目であろうが、未習から既習になったばかりの文法・語彙であろうが、copyingの作業という観点では同じではないか?なぜ、手書きで意味のわかった英文を写すことは「非効率」として厭うのか?「速く書けない」のであれば、「速く書けるように」、「意味を考えずに書くのを避ける」というお題目であれば、「写すことに意味を持たせる」ことをこそ練習に取り入れるべきではないのか?「世界水準」という幻想に踊らされる前に英語教師としての自分の足元を見つめ直した方がよい。
翌日は新幹線車中で原稿書き。3時間が限界。頑張りましたよ。
夕方からG大合宿所へ。インカレ準決勝に向けての午後練習を見る。この本業の世界では、よく「土手評」などといって各チームを無責任に格付けし、したり顔をする輩がいて閉口するのだが、インカレレベルのロウイングでは、一戦一戦で一皮もふた皮も剥け、いくらでも殻を破り、成長する。ただし、そのための準備をしてきたクルーだけにそのチャンスは訪れる。コーチの立場から見ても、自分の生活と同レベルかそれ以上のエネルギーでクルーを育ててきた人間にとって「土手評」などどうでもいいことである。まさに「そんなの関係なぁ〜い!」である。C電のY氏のブログにもあったが、

  • 願わくは、大学での四年間を回顧して、勝つに相応しい「正しい努力」を重ねてきたと自他共に認めている選手に勝利を掴み取って欲しいです。

ということに尽きる。
一通り各クルーを見て、激励の言葉を贈り、夜は赤坂へ。
たまたまスケジュールが合ったので、10年以上応援し続けている同世代のW氏のライブを見に行く。出番待ちのW氏に挨拶。「遠いところわざわざありがとう」とお礼を言われたが、W氏自身、先日アメリカから帰国したばかりで時差ぼけもあるだろうに。久々に「男の色気」を感じさせる「声」に震える。新曲も交え、これまでの珠玉の名曲も新たなアレンジで生まれ変わる。バンドサウンドが成熟してきて、アコースティック路線ではもう収まらないだろう。メジャーレーベルとの契約はすでにないアーチストであるが、ソングライティングの王道を踏まえコンスタントに佳曲を生みながら、年を追うごとに成長進化している。思えば、十数年前。銀座でのライブ後にたまたま有楽町線の改札で会い、自分の中の熱い感激を伝えて以来のお付き合いである。自分の年輪に沿って聴き続けられるアーチストを持てたことを感謝したい。
JRを降りたら急に雨模様。駅前の居酒屋で雨宿り。ところが雨脚も激しくなり、動くに動けず。女将にビニール傘を借りてホテルへ帰る。
明日は4時半起き。始発で朝練習に合流。準決勝に向けて万全の態勢で臨ませるために、こちらは4時間睡眠。雨くらいは上がっていて欲しいものだ…。
本日のBGM: Weather with you (Neil Finn / 7 Worlds Collide)