The loved ones

「不登校生徒数増加」
などと報じられる統計は、文科省の「学校基本調査」に基づいていると思われるが、今のような報じられ方をしている限り、教師にとっては学校現場で活かすことができない。なぜなら、「ある一人の教師自身が今まさに不登校の生徒と向き合っているという現実」を抜きにしても、この種の統計には重大な欠陥があるから。

  • その生徒は小中高の各学年学期のどの時点で不登校になったのか
  • 不登校となった生徒はその後登校するようになったのか
  • いったん不登校から登校へと変化した後はずっと登校していたのか

ということが調査からはわからないのだ。唯一、データとして有意なものは、

  • 不登校の状態が前年度から継続している児童生徒数

この数値は、小学校、中学校で差はあるものの、40%台から50%台で推移している。穿った見方をすれば、「たとえ不登校になったとしても、半数から6割の児童生徒は、複数年度に跨って不登校とはならないから深刻ではない」という主張を容認してしまう。一人一人の児童生徒が見える統計、そんなものは無い物ねだりだろうか?

猛暑を縫って、大阪まで足を運んできました。
英授研全国大会。もともと東急ハンズで買いたいものがあり、広島へ行こうかと思っていたところに、急遽知り合いの先生にお願い事ができたので、直接お話をするなら、せっかくの機会だし思い切って大阪へ行こう!ということで朝6時過ぎに家を出て参加してきました。
結果、参加して良かったと心底思えた大会でした。

お目当ての「5-sentence essay」の実践(高橋正広先生;神奈川県立大和西高校)は衝撃的。
高校段階で、パラフレーズをさせたり、生徒のproductionの英語を訂正したりする際にfeedbackを当該生徒だけでなくクラス全体に行き渡らせることに困難を感じない教師はいないだろうと思われる。

  • ある生徒からのパラフレーズを良いと評価し、クラス全体に投げかけるが、その英語を消化吸収できない生徒がいる
  • こうすればもっと良いパラフレーズになると思い、修正して本人に投げかけるが、その英語を消化吸収できない
  • 望ましいパラフレーズに使う英語表現はいったいいつの時点で使いこなせるようになっていることを期待されているのかが生徒にわからない
  • パラフレーズが推奨されるのはわかるが、では教科書に出て来た表現そのものはいつ習熟し、自分の英語になるのかが生徒にわからない

その悩み・ジレンマに対する解決策ではないが、答えに近づく重要なヒントをもらった気がする。

  • 個人で自由に書かせるのではなく、グループで一繋がりの英文を作成する
  • 自由に書かせるのではなく、結論となる主題は教師が与える
  • 自由に書かせるのではなく、文の数を制限する

恐らく一般的には、ディベートに繋げる指導過程に注目が集まるのだろうが、私にとってはこの部分がもの凄くオーラを感じさせてくれた実践発表であった。
高橋先生には関東での英授研の新春恒例福袋企画で「是非に」と乞われて「何はなくともライティング、何をやってもライティング」という実践報告をした縁でライティングに関して話をする機会が増えた。そこでの摺り合わせから、ある程度予想はしていたのだが、ビデオで自分の「今」をまるごと見せる潔さには脱帽。
会場からの帰路も暫し話す時間があったのだが、
「醍醐味ですよね。ライティング指導は。」
という言葉が耳に残った。
パラフレーズ指導に悩んでいる方は、英語教育とは直接関係はないが以下のサイトなどで少し視点を揺すぶってから自分なりのアプローチを見つけるのがいいのでは?決して網羅的に、追従的に模倣しないようお願いします。
http://sslab.nuee.nagoya-u.ac.jp/~fujita/paraphrase/paraphrase.html

私にとってのもう一つのハイライトを紹介しておきましょう。
加藤京子先生(三木市立緑が丘中学校)の実践発表。
プログラムの名前からは気がつかなかったのですが、加藤京子先生=岩本京子先生。
初めて、生で拝見しました。ビデオで映し出される生徒との遣り取り。
まさに「遣り取り」というしかありません。
私の敬愛する英語教師や英語教育関係者が、皆、「岩本先生は…」と熱く語られるその訳がわかりました。私の持つ限られた語彙では「慈愛」という言葉が近いものでしょうか。
私自身、英語教育関連の研究会、学会で涙をこらえたのは初めての経験でした。今大会は行く会場で色々質問をしたのですが、この時は口を開いたら涙がこぼれそうで、さすがに、何も質問できませんでした。

  • 中学生にディベートをさせるにはどうすればいいか、勤務した2校で立て続けに成功して、わかっていたつもりでした。その後異動、生徒の状況が変わり、学校の状況も大きく変わり、そこから11年かかりました。11年かかってやっと少しだけ道筋が見えてきた気がします。
  • 『子供』って侮れませんね。みんなで何かしよう!って時には学習するものなんですね。
  • 前時の内容、前年の内容なんて抜けていってしまうから、その一回の授業が勝負なんです。They are studying "from hand to mouth"!

という言葉には陳腐な形容ですが重みがありました。解説の言葉には重みがあるのですが、ビデオで見る授業風景にはほとんど重さが出てきません。ある人が「肩の力が抜けてきたんですね」と評していましたが、画面の裏でどれだけの苦悩を潜り抜け、この境地までたどり着いたのか? 自分にはこんなに一人一人の生徒の存在や個性を丸ごと受け入れることができているだろうか?と、様々な思いが渦巻きました。
ただ、画面のALTの表情や言葉から、「ああ、このALTもこの子たちのことが好きなんだな」ということが伝わってきて、そういったことも全部含めて「授業」なんだな、と本当にいいものを見せて戴いたという感謝の気持ちが残る数十分でした。
関東で今までお世話になった多くの先生とも再会でき、満足。
夕飯もとらず東急ハンズで物資調達し、復路の新幹線へ。車中で穴子鮨をつまみながら、大江健三郎の

  • 『「話して考える」と「書いて考える」』(集英社文庫、2007年)

を読了。タイトルのルビにあるThink TalkとThink Writeとの対比は、IV の「タスマニア・ウルフは怖くない?」(pp. 249-267)に顕著に現れているように思う。

  • 私はいま、話して考える際の論理性を、いかに書いて考えるそれに近づけ、両者に連続した責任をとるかを考えています。(p. 11)

という言葉は近年の大江の発言で私には最もリアルに届いてきたものである。エラボレーションされた講演録、しかも文庫再録はあったが、もう少し、この人の書くものを読んでみようという気にさせてくれた良い読書となった。感謝。

本日のBGM: Calling out for love (at crying time) / Marshall Crenshaw