「爺ちゃんの名にかけてっ!」

高2Acrosticはドラフトの書き直し作業。フィードバックは、8グループx(4から6人)x 2クラス分。なんだかんだ言っても結局約80人の原稿を手直しするのである。keywordsの配置や詩的効果とか技巧の前段階として英語そのものの直しがかなり大変。比べられるのは嫌なモノだろうが、去年の2年生は本当に良くできていたと思う。昨年のFTC「英詩のある授業」で使ったのでDVDは残してあるのだが、肝心な原稿のデータがハードディスクのクラッシュで消えてしまったのが残念。今年の生徒たちがreviseで巻き返して、良い物を披露してくれることに期待しよう。
2月の歌は、当初予定していた Crowded Houseの”Don’t Dream It’s Over”をやめて、Stevie Wonderにした。Crowded Houseのオーストラリアでのライブ盤のように「観客と一体になって大合唱」、というプランもあったのだが、どうも歌詞に切り込むテーマに深みが見いだせないので諦めることに。
中学・高校の英語の授業で一般によく使われるStevieの曲というと、”I just called to say I love you”か”Happy Birthday”あたりだろうから、天の邪鬼に全く違うテイストのモノを選んでおきました。1972年のアルバム、”Music of my mind”から。テーマ性よりは、今シーズン最後を飾るに相応しいpositiveな曲ということを重視。先月の英授研でお土産をお渡ししたH先生。ラストの曲が変わりましたので、ご連絡下さい。対応させていただきます。そうそう、Stevieは偶然にも今来日中とのこと。某民放番組のジングルをまた作っていたようだけれど、才能を安売りしないで欲しいものだ。
『英語教育』3月号(大修館書店)の特集に目を通す。達人の達人たる所以が披露されているのだが、もっと中高生のころに特化して原稿を書いてもらえばよかったのにと思う。
駅前で晩酌用におでん種を買って帰る。昆布と鰹節で出汁をとり、醤油、お酒、塩で味付け。種を加えて火を通したあと、火を止めてあとは種に味がしみるのを待つ。
物置整理でまた発見。
金田一春彦著『父京助を語る 補訂』(教育出版、1986年)
教員になった年に買った本である。吉沢典男先生のことがちょっとだけ出てくるので買ったんだと思う。20年ぶりのご対面だ。しおりを挟んであるページにはこうある。(pp. 173 - 174, 「三つの戒め」)

  • おまえは言語学者になろうとしてもいいが、専門にしようとしてはいけないものが三つある。/一つは語源の研究だ。「山」とか「川」とかいう一つ一つの言葉は、研究していたらなぜそういうかわかりそうな気がする。が、これはなかなか大変だ。そういうことに夢中になっている学者もあるが、たいていコジつけだ、学者仲間からは相手にされない。ほかのことを研究しているうちに、自然にわかることがあるが、そういうことは滅多にないことだから、はじめから語源を研究しようなどという気持ちをもってはいけない。
  • その次は、詩の韻律の研究だ。たとえば、北原白秋に、”ひいやりと/剃刀ひとつ落ちてあり/鶏頭の花黄なる初秋”という歌があるが、この歌はカ行の音とハ行の音がたくさん出てくる。それが初秋の乾いた冷ややかな空気を表していると言いたくなるが、こういうことを考え出すと、一つ一つの歌や詩がみんなそんなように解釈がしたくなって、これもこじつけをやってしまう。おまえはいつかそんなことを言ったことがあったが、ああいうことも、考えない方がいい。
  • それともう一つは、国語の系統論だ。(以下略)

三つ子の魂なんとやら、である。私がなぜ、英語の「語源」に消極的なのかわかった気がする。この京助が春彦に贈った言葉が自分の中でずっと引っかかっていたのだなぁ。最近話題の、黒川伊保子著『日本語はなぜ美しいのか』(集英社新書)に私が違和感を持つ原因も同じところにあるのだろう。日本語が美しいのではなく、美しい日本語の語彙・表現、美しい日本語の使い方があるというのが良識だろう。世界初、とアピールしたい気持ちはよくわかるのだが、

  • 脳機能論の立場から、語感の正体が「ことばの発音の身体感覚」であることを発見。AI分析の手法を用いて、世界初の語感分析法である『サブリミナル・インプレッション導出法』を開発

というのがどのように説得力を持つのかがわからない。
黒川氏は「脳機能論」が専門ということなのだが、なんでもかんでも「脳科学」といえば世間に受け入れられると思わない方がいいのではないか。車の商品名には「クラウン」「カローラ」などK音が多用される。「セドリック」「シビック」などK音ではないが文字で表すと、Cになるので「流線型」をイメージする、などといわれてもねえ…。外来語について語るのであれば、それこそ欧米の言葉の語源を少し調べて、綴り字と発音の歴史的変遷を学んだ方がよいのではないかと思う。日本語に限って見ても「脳科学」ということばには「ガ」という音が入っているので、「怪獣」のような印象を与える、という気ではないでしょう?「発音の身体感覚」から語感の正体を調べるというのであれば、被験者の方言使用時と共通語使用時による差異を調べるとか、被験者に聾唖者の協力を得るなどの方法をとらなければ有意なリサーチができないのではないかと思うのだが、そういうことは新書の中ではデータとして示されていないのだ。実際のところはどうなのだろう?「なぜその日本語を美しいと感じてしまうのか?」というタイトルなら、看板に偽りなしで、面白い本で済んだのに。腰帯には「早期英語教育は危険」とか扇情的な言葉もでていて、こういう売り方も含めて著者が「感性リサーチ」しているのだとしたら天晴れである。小学校英語推進派が目くじら立てなければいいのだけれど…。
老婆心でした。
本日のBGM: Never My Love (Eivets Rednow)
本日の晩酌:五人娘・無添加昔造り自然のまんま・生もと・生/冷や