Old teachers die hard.

世間では3連休の最終日。松健を見て、昼前に巣鴨の床屋へ。ここはもう20年以上お世話になっている。その後、妻のお遣いを頼まれていたので歩きに歩いた。まずは西巣鴨の「ファイト餃子」へ。店に行くのは久しぶり。昼時だからか、祝日だからか、見たことのない長い行列が!店内は満席、外に20人は並んでいただろうか。人をかき分け、お土産で頼もうとしたら、生は出せないとのこと。何じゃそりゃ!1982年、学生時代に通い始めてからこんなことがあろうとは想像だにしなかった。何かが狂っているぞ!ファイト餃子(ホワイト餃子も同じレシピ)は店で食べて気に入ったら、生を買って自分の家で焼けばいいんだよ。行列すればいいってモンじゃないんだ!雑誌に出るラーメン屋か何かと勘違いしてるんじゃないのか?諦めて、地蔵通りを延々引き返し、巣鴨駅を超え、パン屋へと。「アルル」という元はケーキ屋さん。正直なパン屋である。バゲットが国産小麦に変わって香りがよくなった。ベーグル3種を購入。その後、千石まで出て、地下鉄で神保町。小宮山書店のガレージセールに始まり、古書店巡り。神保町古書センターに行くついでに、お茶の水のGAIAへ。寺田本家の奈良漬けを買いに行ったのだが、なんと、今シーズンは良い素材が入手できなかったので奈良漬けは作っていないとのこと。ショック!でも、潔い蔵だなぁ。お店の人に、「来年は是非作って下さいね」、とリクエストをして、その代わりといっては何だが、本家の本来の商品のお酒を買って帰る。
電車の中で『まげもののぞき眼鏡:大衆文学の世界』(旺文社文庫、1981年)を再読。

  • 人間が生きてゆくということは、その時、その時を生きる必要から、どうしても、物のねうちをきめ、人のねうちをきめてゆくということであり、物の側から見た時、あるいは神の側から見た時、人間の格づけなどはないと知っても、人間として生きる立場からは格づけをさけるわけにはゆかない。/時代もの小説を書くということは、現代の日本でとおっている人間の格づけをそのままうけいれることはできないという姿勢からうまれる。時代もの小説をよろこんで読むということも、同じ姿勢にささえられている。(p. 99、「人間の格づけ」)

という一節にしばらくページを繰ることができなかった。誰が書いたのかとこの項の最後を見ると鶴見俊輔だった。関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』(岩波書店、2006年)の指摘よりも端的に真理を言い当てている。
ニュースに目をやれば、「教育改革」「教育再生」など文科省・中教審・教育再生会議、そして世論と言いたい放題やりたい放題の様相を呈している。中教審と再生会議のゴタゴタを首相が収拾するなど噴飯もの。つい先日報じられた「表彰教員/エキスパートティーチャーには免許更新義務を免除」というのには呆れた。

  • 教員の指導力を考慮しない画一的な研修では、リーダー的な教員まで現場から一定期間外すことになる。

優秀な教員が更新のための研修で職場を離れることがマイナスになるというのだが、全く理解できない。文科省や地方教委/地方自治体が認めた優秀な教員以外の者は、研修を終了できないと免許を取り消されるという仕組みなのだが、研修のために職場を離れている間に、その教師の勤務する学校の生徒は何をしていればいいのか?研修を受け免許を更新して優秀な教員になって帰ってくるまでは、誰がその授業を代行するのか?非常勤講師や臨時任用教員に依存するつもりか?では、その非常勤講師の免許はいつ更新するのか?団塊世代の大量定年退職でただでさえ、教員の数が足りない中、競争を経ずに教壇に立つ新しい世代と、長年現場で揉まれてきた教員とを同一の物差しで評価することができると考えているのだろうか。そんな格づけをそのままうけいれることはできない。「現場を支えてきた者に対するリスペクトのないところでいくら制度をいじったところで何も変わらないと断言しておく」、と息巻いて済まないのが、この教育行政の怖いところだ。よく「自分の首を絞めることになるぞ!」などというのだが、この制度が破綻した時に泣きを見るのは政治家でも、中教審の委員でも、再生会議の面々でもなく、結局は教員なのだ。
夜はG+でNOAH。森嶋が米国遠征でシリーズ欠場。15日までの試合は再放送なので、森嶋22歳当時からのお宝映像ということなのだが、局の狙い(?)とは逆に2001年頃の試合では秋山の強さばかりが目立った。あれから5年半、今GHCのベルトを巻いているのは三沢である。森嶋、早く帰って来い!!
本日のBGM: Back On Top (Van Morrison)