パラフレーズの効用

今年の1月29日に「TM先渡し高校英語」と題して、和訳先渡し授業に関わる記事を書いた(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060129 ) のだが、お二方からのコメントがあり反響が大きいのか、と思いきやそれ以降のレスポンスは無く、寂しい思いをしたのを覚えている。もう一度声を大にして主張します。高校生には和訳先渡しとかまどろっこしいこと言ってないで、TMごと先渡しして授業をしてみたらどうですか?(以前、公立高校の3年生でディスカッションをやっていたときに、グループごとにマイクロティーチングのように担当させていたのだが、そのときはEFLのテキストのTMを担当グループにコピーして全部渡していた。)
関西大学の靜哲人教授は、折に触れ「教科書ガイド先渡し」を薦めているようですが、だったらもう、いっそのことTMまで進んじゃいましょう!!そもそも、英文の内容理解にあまりにもとらわれている高校授業を改善するための和訳先渡しなのですが、多くの高校生は、その英文に対応する和訳の日本語がなぜその英文の意味を表すのか、という理解にも時間がかかるわけです。和訳ハンドアウトを先渡ししたところで、「先生、なんでこの3番目の英文の訳は、こんな日本語になるんですか?」という質問を英語でできるような高校生は、その英文の意味くらい理解しているだろうから、ここから先のやりとりは英語では意味がないわけである。メタ言語としての和訳を考えると、「理解の確認としての和訳」と「テストとしての和訳」の間に境界線など引けないことがわかるのではないだろうか。
さて、今日は、英語を読んだり聞いたりした際に、「内容を理解したかどうかを確認する手法としてのパラフレーズ」を考えてみる。(6月24日の記事も併せて再考下さい。http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060624 )

1. She loves music.という英文をパラフレーズさせる場合に、

  • 1a. She likes music.
  • 1b. She is a big fan of music.
  • 1c. Music is part of her life.
  • 1d. She cannot live without music.

などの英文は、近似値として容認可能であり、内容理解を確認する手段としては十分に機能するであろう。
ただ、

  • 1e. She has a lot of CDs.

では不十分で、少なくとも

  • 1f. She has a lot of CDs to listen to.

とでもしなければ、理解をしたことを示すのは無理だろう。なぜなら、

  • 1g. She has a lot of CDs, but she doesn’t listen to them. She designs labels and jackets of CDs.

という英文も可能だから。
ところで、入門期で文構造(別にチャンクの構造でもなんでも良いんですけど)を学んでいる初級の学習者には、

  • 1.She loves music.

  • 1f.She has a lot of CDs.

という英文にパラフレーズしたのでは不十分であるどころか害を及ぼすことがあることを誰も指摘しないのが不思議である。ターゲットとなる英文が、
2. She loves you. 
と変わった場合に、自分がそれまでに学び身につけた「仮説」をもとに、”have a lot of something”でパラフレーズするのだ、というプランで文を口にしたとしても、

  • 2a. (?) She has a lot of

の後に何を続けるか想起できるとは限らないからである。
何を馬鹿な例を持ち出して、というかもしれないが、ここは結構考えどころなのである。
1.のパラフレーズとして容認度の高い、1a.-1d.までの英文のうち、1a, 1bは loveという動詞の持つ「意味」をパラレルに置き換えているので、musicのところを他の語句に置き換えても、常にloveのパラフレーズとして成立する。1c, 1dのように、定義として、概念の具体化・抽象化を用いたパラフレーズの場合でも、かなり汎用性が高い。外国語としての英語学習を支えるには、このように汎用度の高い手法を整備していくことが重要であろう。
とすれば、である。なぜ、1a.から1e.までの容認度には差があるのか、なぜ、あるパラフレーズは他のあるパラフレーズよりも好ましさ、確からしさが上だったり下だったりするのか、ということを併せて整備していかなければ、パラフレーズによる内容理解確認は破綻を来すことになる。和訳はこのような場合に「正確性」や「妥当性」を語る言語として教室で機能するのである。
「日本の英語教室では内容理解にあまりにとらわれていて、学習の最後に英語が英語として残らない」という問題の解決策として、パラフレーズの技能、自由に使える文構造と語彙を鍛えることには意義があろうかと思う。ただし、そこから「理解したことを自分のことばで語れなければ理解していないのと同じことである」というところまで踏み込んでしまえば、結局は「内容」にとらわれているのと同じことである。L1しか使えない者にはパラフレーズする以外に、内容としてのパラレルな等価物が存在しないのに対して、L2を学ぶ者には、内容の等価なものとしてL1が使えるという利点があるのであるから、その利点を通じて最終的にL2パラフレーズに戻れば良いだけのことではないのだろうか。
和訳先渡しは容認されて、和訳経由パラフレーズを否定するのでは学習者も教師も納得しないだろう。可能性は開けていてこそ意味がある。
本日のBGM: 『恋は突然』Jitterin' Jinn (1995)