”So Easy To Begin”

不思議な天気の日だった。昼前は台風かと思うほどの風雨、その後晴天。日が暮れてからはかなり肌寒かった。
ジュールズ・シアー (Jules Shear) の新譜 "Dreams Don't Count"を聴きながら出校。
授業後、新宿のタワレコでアート・ガーファンクルのソロCD (81年作品)を買う。私が高3で、受験勉強をしていた時によく聴いていたアルバム。ジャケットににやけながら、その後ジュンク堂へ移動して時間を潰す。
たまたま『広告批評』(マドラ出版)のバックナンバーフェアーをやっていたので、色々見回した挙げ句、

  • 「ことばの体力」1996年10月号
  • 「コトバがそこにいる」1999年10月号
  • 「歌のコトバ」2006年3月号

の3冊を購入。どの号も「言葉」という漢字を使っていないのが気になった。
「村上春樹への18の質問」が掲載されている1993年2月号を探したのが、残念ながらその号だけなかった。
「ことばの体力」では立川昭二の「からだことばが消えた」は9年経った今も現実味を帯びている。医学部志望の学生に「血」という字の入った言葉を書かせるのだが「血圧」「輸血」「血液型」は出てきても、「血色」「血の気」「血潮」などは出てこない、というもの。私が思いついたのは「血眼」。「その人がその言葉についてどんな語彙を持っているか、それはそのままその人の文化なんです。」という立川氏のことばは英語教師にも耳が痛い、身につまされる。
「コトバがそこにいる」には村上春樹のロングインタビューが。編集長自ら渾身の24ページ。時期的には『アンダーグラウンド』『スプートニクの恋人』の後だろう。私は何故、この人の小説以外の言葉にはすんなり入れるのだろう、と思ったらインタビューの最後に「文体」の話を自らしていた。私はきっと村上春樹の小説の文体をまだ信頼しきれていないんだろうなぁ。
『歌のコトバ』には吉本隆明が寄稿。ただ原稿を書かせるのではなく、一青窈、クラムボン、そしてサンボマスターの歌詞を語らせている。この雑誌のキャスティングは秀逸だと思う。
商業主義と無縁ではいられない英語教育の雑誌も、『広告批評』などの視点と立脚点に少し学んでみたらどうだろうか?
夕方からは同友会の常任理事会。参加者が少ないのは新年度早々だからか?研究大会の講演者を誰に依頼するかで難渋。紋切り型思考からなかなか抜け出せないなぁ。
近況は慌ただしくなってきた。

  • 6月に1件ライティング関連の発表をすることになりそう。70分で豊富な実践例を踏まえてという注文。腕が鳴るというもの。
  • 7月には福岡でライティングのワークショップをやることが決定。つい先日宇部には行きましたが、九州に行くのは久しぶり。コーディネータとそろそろ詳細を詰めないといけない。トニー・ラズロではないが、やはり同じ抜くなら「度肝」がいいよね。

帰宅してアート・ガーファンクルのアルバムのクレジットをまじまじと見て、5曲目はジュールズ・シアーの作だったことに今日初めて気付いた。25年越しで色んなものがつながり腑に落ちた気がする。