名詞 vs. 動詞

高3のライティングの授業で同じコマを担当しているK先生から、ハンドアウトをいただいた。無生物主語や、名詞構文といわれるものをまずは自分の頭で考えて読みほどく作業が丁寧にまとめられている。例文は、江川泰一郎氏の『英文法解説』(金子書房)から選ばれているようだ。
英文が成熟していくと、このようないわゆる名詞句の中にSVやVOに相当する陳述を含む表現を用いることが多くなるのではないだろうか。その意味で、「英文法は感覚、フィーリング、イメージで」という指導は、もう少し系統性や体系性に配慮するべきだろう。たとえば、NHKのTV講座『ハートで感じる英文法』でも人気の大西泰斗氏の『英文法をこわす』などの英文法シリーズで、イメージとして英語をとらえられるようになったとしても、この種の表現を理解し、使いこなすには一定の練習が必要になるだろう。問題は、イメージでとらえた次のステップにある。私には、大西氏のアプローチは、すでに知識(宣言的知識でもなんでもいいです。知っていることですね)として英文のしくみを知っている人に、相応しいイメージを与えているのではないかという気がしてならない。まず、あるイメージを持つ。そしてそのイメージに基づいて、新たに英文を産出している、というのとは少し違う気がする。まだ、彼がやろうとしていることに対する私のイメージが希薄なのかも知れませんが…。
話がそれたが、時折指摘される「英語は名詞中心、日本語は動詞中心」というのはどのくらいそれぞれの言語、また日本語と英語以外の言語の実態を反映しているものなのだろうか?例えば、今、私の言った「彼がやろうとしていることに対する私のイメージ」という長い名詞句はなんとなく落ち着きが悪く感じられるかもしれない。(このような名詞の据わりの悪さに関しては、森本哲郎著『日本語表と裏』新潮文庫(1988年)に収録されている「ということ」などを参照されたい)
上述の『…解説』では第1章、3節で20ページ近くを費やし、日本語と異なる名詞の用法を詳述している。しかしながら、英文法全体の記述では、形容詞だけで約20ページ、副詞だけで約20ページ、動詞は文型だけで20ページ、時制に至っては40ページが割かれている。これでも「英語は名詞中心の言語」といえるだろうか。せいぜい、「日本語では動詞や形容詞で表すことがら・意味を、英語では名詞を中心とした句で表現することが多い」というようなことだろう。しかも、その「名詞中心」といわれる名詞句を読み解くにさえ、動詞の正しい理解が必要不可欠なのである。さらには、コーパスを用いたりして計量的に「全語彙のうち、名詞の比率が動詞を遙かに上回る」からといって、英語が名詞中心の言語であると結論づけられるものなのか。単純(乱暴?)にHe wrote a book.とSVOの文型で考えた場合、この総語数の4分の2、つまり半分は名詞で、4分の1が動詞になるわけである。ただし、ここで、動詞wroteがなければ文が成立しないのは自明である。「中心」ということばが何を表すかを明確にさせないで主張や議論をするのは危険でさえある。His book という名詞句が表す意味は、 a book that he owns 、a book (written) about him、 a book that he wroteと曖昧であることと、「中心」の議論とは同質のものとは思えない。今では写真家としても定評のある倉谷直臣氏はかつて学習参考書の中で(20年ほど前だと記憶している)、「私が欲しいのはxxです」というように、助詞で名詞として主題化するような日本文は、英語ではI want xx と動詞を中心とした表現にする方が自然である、という旨の指摘をしていた。
自分の回りの世界、さらには、抽象的な世界にどのようなラベルを貼るか、というcategorizationの問題としてとらえるとしても、そもそも「語」をどう認識するのか?という点で、西洋の思考文化、哲学、認知の体系のみを規準として比較するといろんなものを見えなくするのではないだろうか。
たとえば、日本語での語彙に関する論考としては、野林正路著(1997年)『語彙の網目と世界像の構成--構成意味論の方法--』(岩田書院)は地道に積み上げた誠実な研究の成果であり、示唆に富むものである。
また、宮岡伯人著(2002年)『「語」とはなにか エスキモー語から日本語をみる』(三省堂)では、形態論的立場からことの本質に迫っている。自分の思いこみを揺すぶってみるには、ロビン・ギル著(1989年)『英語はこんなにニッポン語 言葉くらべと日本人論』(ちくま文庫)などもいいかもしれない。

蛇足ではあるが、英語学習者がいわゆる「名詞構文」などを学び、覚える必要がないといっているわけではないし、名詞のレベルで物事を適切に分類することが不要であるといっているわけではないことを強調しておく。