Words, don’t fail me now!

最近、他の英語学習関係のブロガーのところにおじゃまして、いろいろコメントを書き記している。
いいことも、悪いことも自分のアドレスを残して書き記してくる。英語教師は意外に少なく、いわゆる実用英語のようなスタンスの所が多い。
・ ビジネスの第一線で用いられる英語表現をウリにしているもの
・ 英語ネイティブスピーカの発想や表現を身につけることを主眼とするもの
・ TOEFL, TOEICのスコアアップのためのテクニックを伝授するもの
・ やり直し英語学習者が、自分の成功した学習方法を披露するもの
などなど。
いろいろ眺めていて感じるのは、「ことば」そのものがあんまり好きじゃないのかなあ?ということ。
「勝ち組として言葉を駆使するのが好き」だったり「アメリカ人のように言葉を使えることが好き」だったり、「スコアが上がることが好き」だったり「その他大勢の日本人とは違うことが好き」だったり、「学校英語はダメだと非難するのが好き」だったりするのだ。たしかに、「このイディオム面白いよね」とか「こういう表現は英語ならでは」という切り口はあるのだが、言葉そのもの、そしてその言葉をつかう人への愛情が感じられないものが多い。特に、ビジネス系のもののいい方が私にはちょっと合わない。
このブログの主たちのことをよく知っているわけではないので、誤解をしているのかもしれないが、こういった感性の持ち主は熟達した英語使いであっても、やはり教師ではない、まして、ことばの世界の住人ではないのだろうな、と感じてしまう。
ことばのおもしろさの裏側には、ことばの重さ、痛みがある。あまりにもマッチョでdogmaticな言葉の使い方をしていると、いざというときに自分の言葉に裏切られてしまうのではないだろうか?自分のことを振り返って、しばし、自己嫌悪だった。