「国際語である英語」の習熟に寄与する弁論大会に思う

高松宮杯全日本中学校英語弁論大会という荘厳な響きの催しがある。今年で57回目を迎える全国規模の英語弁論大会で最も歴史(と権威?)のある大会である(1999年からは「高円宮杯」)。その中に、参加資格についての規定がある。( http://www.jnsafund.org/ja/ptt57th/kaisaiyoko.html)以下、そのまま引用する。

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ただし、審査の公平を期するため、英語の習得環境が平均的中学生と比べ優位にあると認められる下記のものは参加できない。個別ケースについては、必ず高円宮杯事務局(Tel 03-3217-8393平日13:00-18:00、Fax 03-3217-8358、E-mail: jnsa@jnsafund.org)へ問い合わせること。

a. 外国で生まれ、満5歳を過ぎるまで外国に滞在したもの。
b. 満5歳の誕生日以後に、通算1年以上または継続して6か月以上外国に滞在したもの。
c. 父母・祖父母のいずれかに日本における居住期間が40年未満の外国人(帰化された方を含む)をもつもの。なお父母および祖父母がいずれも日本で生まれ育ち、英語習得環境が平均的中学生と同等と認められるものは除く。
d. 英語による教育を行っている国内の学校(インターナショナル・スクールやアメリカン・スクールなど)に在学中または在学経験のあるもの。
e. 過去に本大会の中央大会にて1位--7位までに入賞したもの。
f. 以上のほか、日常生活または学校生活において、英語をコミュニケーション手段として使用するなど、他の生徒と比べて英語環境が著しく優位にあると認められるもの

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この規定を読んでいて、この大会を後援している文科省などは「自己矛盾」を感じないのだろうかと訝しく思った。主催者も含め、 a-d, とfの環境があれば英語はできて当然であり、本人の資質や努力ではない、とでもいうのだろうか。また、このような全国大会で好成績を収めるような人はそもそも、「英語の習得環境が平均的中学生と比べ優位にある」ものなのではないだろうか。そして、 Selhiでやろうとしていること、また多くのSelhiでやっていることは、b., d., f.の環境を作り出すことなのではないだろうか?「普通の学校の授業をまじめに受けているだけでは英語はできるようにはなりません」と一方でいっておいて、他方で、「そのような環境でもこんなに英語ができる人はいるのですよ」、と示しているように感じた。こんなところにも、日本の英語教育の偽善性が見え隠れしている。
ちなみに、副賞は以下の通り。参加資格で海外体験を制限しておいて、「英国夏期研修」をご褒美に据えておくその心が私には判らない。

1位 高円宮杯
「学校表彰状」読売新聞社「個人表彰状」JNSA基金 記念賞牌
「コカ・コーラ 高校・大学奨学資金」 (100万円)
「国際ソロプチミスト東京?東賞」 (MDコンポを1位--3位)
「日本アイ・ビー・エム賞」 (IBMパソコンを1位--3位の学校)
「キングジム賞」 (ラミネーターを1位--3位の学校)
「HSBCグループ賞」 (英国夏季研修を1位--7位)
「セイコーウオッチ賞」 (腕時計を1位--7位)
「ぺんてる賞」 (高級ぺんてるボールペンを1位--7位)
ザ・デイリー・ヨミウリ 1年分贈呈 (学校)

2位 読売新聞社杯  同、「コカ・コーラ 高校・大学奨学資金」 (70万円)
3位 JNSA基金杯  同、「コカ・コーラ 高校・大学奨学資金」 (50万円)