そして9月は…。

夏休みも終わり9月。
いつものテーマ曲をBGMにして新学期の授業も始まりました。
進学クラスは夏期課外講座があったので、リハビリの必要はそれほどないのだけれど、高1だと「中学生までの味覚・嗜好」に戻って、好きなものだけを口にしている者もいたりするので、4月からの3ヶ月同様、緩慢な行きつ戻りつの「指導」をする必要が出てきます。

高1が夏期課外でやっていたのは、「チャンク切り出し可変」の対面リピート。
この狙いは、「とにかく忘れないうちに言い返してしまえ攻撃!」を止めさせることに尽きるかと。
それでも手ごわい人はいますけどね。

チャンク切り出しrobert.pdf 直

新学期で名詞句の限定表現の肝、中学校の研究授業発表で、とかく「華」のような扱いを受けることの多い後置修飾でも「肝」となる、所謂「接触節」から「関係代名詞」への一連のドリル。

接触節と関係代名詞 その1.png 直
接触節と関係代名詞 その2.png 直
接触節と関係代名詞 その3.png 直
接触節と関係代名詞 その4.png 直

「あしあと」の理解は求めますが、「完全文」「不完全文」という言い方はしません。「五文型」ではなく、「意味順」ですから。

今日の授業では、「対面リピート」でちょっとした工夫をば。

ポイント10点を目指す!

I like the musician best.
をペアになったパートナーが読み上げ、それをそのまま「おうむ返し」でリピートするのは0点。
そこから、 the musician I like best という名詞句を括りだせたら1点。
さらに、パートナーの現実を取り込み、 the musician you like best と変換できたら2点。

という設定。これは私が悪うございました。もともとの文によっては、「おうむ返し」も難しかったりするので、0点続出になり、点数が加算していかないのですね。1点、2点、3点にすれば良かったのでした。次回からそうします。

His parents were pleased with the news of his success.
A lot of people were killed in the earthquake.

の三人称とか、3点のつけようがない文もあるからね。そんなにすぐに10点行かないよね。反省。

高2は、紆余曲折を経て「副詞節シリーズ」へ。私の符牒だと「白板のもの」。
最初は、マッチングでは大変な before / after を。2年生なら、このレベルをスラスラできて欲しいところだけれど、それぞれぞれなり。ただ、自分がどこで引っかかるのか、そしてその原因と思しき「モノ」「コト」を自覚しているか、は大事です。

悩ましいのは高3。いや、生徒諸君ではなく、「教材の英文」の方です。

今年の全国英語教育学会・島根大会に参加した際に、私が見たある発表で愛媛大の池野修先生も名を連ねていたので、その時に、「教材の英文の精査を人任せにしないで、もっとちゃんと監修して下さい!」って伝えておくべきでしたね。

これまでに2,3あった、

  • 「魔の第3段落」

以上に凄いのが、最終段落で「主題」に対する、反証のような記述が出てきたのに、もう一度、主題のまとめ直しをせず、適当にトリムして終わってしまう「入試問題」の英文をそのまま収録してしまうもの。まず批判されるべきは、そのような「英文もどき」で出題をした大学ですが、教材を作る側にも責任の一端はあると思っています。

私のやっていることは、「応用言語学」であって、教育的示唆はない。

というスタンスなら構わないのですが、英語「教育」に関わる大学の先生で、しかも「教材」の作成に関わるのであれば、こういう「英文もどき」を放置したまま「教材」にしてしまうことの弊害を、もっと真剣に考え、対処・行動して欲しいと切に願います。

「英文もどき」とでも呼ぶべき第11課。

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その前の第9課、第10課にも悩ましい箇所は多々ありました。

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授業の最後には、このような私の手書きメモをコピーして教室に掲示し、表現の細部の確認や全体の論理展開の補修をしてもらっています。教材についてくる「解答解説」ではそもそも「痒い」と感じていないコトが多いので、それとは別に毎回やっています。

さて、
この夏は、7月初頭の「文字指導セミナー」に始まり、7月末のJES、8月半ばの英授研、そして、下旬のJASELEと、英語教育に関わる「集い」に参加して来ましたが、それと並行して、幾つか書籍にも目を通しています。

その中で、「む~ん」(inspired by いがらしみきお) という悩ましい感想を持ったものがこちら。

「教えない授業」から生まれた 英語教科書 魔法のレシピ

「教えない授業」から生まれた 英語教科書 魔法のレシピ

いや~、御免なさい。紹介しておいてナンですけれど、私は全く受け付けなかったです。
まず、「教えない授業」ということで、この高校の授業が話題になったとき、「その『教えない授業』はどうすれば可能なのか」というマニュアル本の類いが出るのは困りものだなぁ、と思っていたら、マニュアルよりも更にお手軽な『レシピ本』が出てくるとは想像の遥か上を行かれました。流石です。

私が「受け付けない」のは、語学教育としての「教材観」が相容れないから、といえばいいでしょうか。

中高の教科書はresource book であるだけでなく、textbook、つまり「text = ことば」があって初めて成立するもの

というのが私の視座です。教科書が変われば言葉の質・量が変わります。そして、現在の特に高校の教科書では、「コミュ英」にしろ、「英表」にしろ、この「ことば」の部分の質が危ういのです。

教科書を料理するための「レシピ」というのですが、レシピを書くために、そのレシピを読んで料理するために大事なのは「調理法」や「隠し味」だけではありません。そもそもの「素材」が変わったら。料理そのものが変わりますから。

次に、「タスク」(TBLT的かどうかはさておき) とか「日常」とかいった耳当たりの良いbuzzword で誤魔化されていることに対して自覚的でいたいと思っています。

「英文和訳」では、和訳のための和訳は批判されるべきもので、その活動に意味を持たせて、「英語のわからない小学生にわかりやすく伝えよう」とか、その裏返しとも言える「和文英訳」であれば「ALTのジュリアン先生に英語で伝えよう」とかいうのだけれど、「どこに実在する、どんな小学生集団が、何のためにその和訳された文(文章)の内容を読む必然性があるのか」、「ALTのジュリアン先生はなぜ、その内容を英語に直してもらってまで読まなければならないのか」といった状況設定、場面設定は全て教師が作っているわけですよ。それを、本気で「日常」といいますか?
「英日要約」に至っては、「ネットへの投稿」というのだけれど、誰がなぜ、その科学記事を読むの?誰のどのような実生活と結びついている?という素朴な疑問が湧いてきました。

で、もっと深刻なのは、その生徒が産出した「和訳」や「英訳」や「要約」に対するフィードバック (= FB) は誰が行うのか?そして授業のどのタイミングで行い、そのFBに基づく書き直しは授業のどこに組み込むのか?
ピアFB?ピアコレクション?要約って、日本語だけでも大変ですよ。
英語から日本語へと移し替える活動だと、まず、教師自身の英語の読みの的確さが求められます。そして日本語表現の的確さと、生徒の産出した「日本語」を「診る」目が必要となります。当然、生徒自身の「英語を読む、読みの的確さ」「日本語表現の的確さ」も求められますが、それを「自己診断」できる生徒は稀でしょう。

個人的な話になりますが、今から30年以上昔、当時高校3年生だった私は、代ゼミの上智大模試と慶応大模試では英語で全国1位でした。この模試は私大に特化していて多肢選択の客観式出題が多かったから。でも、高3の夏に受けた駿台の東大実戦の英語の出題には手を焼きました。そう、「記述」です。しかも、一番苦労したのは日本語。精度を上げるのに時間がかかるのは、英日要約と和訳というのが受験生としての実感でした。

この「レシピ」本の流れで中高の「授業」を進めるとしたら、大学入試対応では、現状の「国公立の個別試験」のようなものではFBが不十分となってしまい、生徒はいきおい「塾」「予備校」などの受験産業のお世話になるのではないかと心配になります。そうでなければ、日本語の解答を要求されない「ヨンギノー」の外部試験に活路を見いだすことになるような気がします。

あと、以前の単行本でも使われていた「生徒による文法のまとめ」が、今回取り上げた本でも紹介されていました。ここでも「中学生のまとめたcan」の図解が収録されています。
いや、すごいとは思いますよ。でも、この1枚の他に、何十人も(ひょっとすると百、二百人も)の中学生が「調べ&まとめ」をしているわけです。では何を読んで調べているのか、何から写してきているのか、心配になりませんか?それぞれの記述は、何をもとにしているのか、出典くらい書かせないとね。人気があるのは『大西本』?まさか『○○一』?いやー、それだけは勘弁して欲しいです。

中1の段階でどのような調べ学習をしても、その後の発達段階のどこかで修正が必要ですから、こちらの写真にある『木下本』のような体系を高校くらいで誰かに教わった方が、知識の精緻化のためにも、運用力の向上のためにもいいのではないか、というのが私の視座です。


木下can.png 直
木下表紙.png 直

最後に、「ライティング」。
これでは、「20世紀」の日本の教室で行われていたライティング指導から何も深まっていません。もっと、きちんと単一技能の指導法、指導手順を先哲・先達から「教わる」方がいいと思います。
本気で言ってますよ。

  • 三省堂の検定教科書って、ホントにこんな意図で作られてるの?

というのが全編を通して読んだ率直な感想でした。


その他の英語関連書籍はまた日を改めてレビューなどを。

本日のBGM:September (原田知世)