梅雨の晴れ間に、ケヴィン・エアーズ

  • ケヴィン・エアーズを聴くと、いつも一つの感情に捉われる。自分には何かが欠落している、という感情に。このほのかな物哀しさの理由を僕は決して知ることはないだろう、何故ならそれは音楽のことだから。(渚十吾、『アンフェアグラウンド』 ケヴィン・エアーズ、ライナーノーツより)

まるで私の感覚と瓜二つではないか、と思いついて直ぐにクレジットを確認。そりゃそうだよな、私は学生時代、この人の文章を読んで大衆音楽への感性を磨いてもらってきたのだから。

ようやく散髪に行くことができスッキリ。この床屋さんも床上浸水の被害にあったそうな。

引き続き、『初等科数学科教育学序説』を読んでいる。
小学校の算数指導の背景、根底を眺めることで、「教える」ということ「学ぶ」ということを再認識。「第6回 数の表記 (記数法)」より、印象に残ったところを引く。

  • ソロバンは数をそのまま表していますから、数え棒などいりません。直観的に数が分かります。十進位取り記数法にそのまま移せますし、十進位取り記数法で書かれた数をそのままソロバンに移すこともできます。たし算はもちろん、ひき算も、かけ算も、わり算もできます。ソロバンに慣れて、ソロバンが頭の中に入るようになると、ソロバンがなくても暗算でできるようになります。紙もいらないので、環境保護の役にも立ちます。こんないい道具なのに、なぜ学校でソロバンを使わないんですか。筆算でなく、ソロバンを1年生から使わせ、計算はすべてソロバンですることにしたらいいではないですか。(p.88)
  • 計算するだけなら、筆算でも、ソロバンでも、電卓でもいいんですが、計算の基本を学習する段階では、誤りの原因がどこにあるかを診断できることが大切です。そのために筆算にしているのです。それを忘れないようにしてほしいと思います。筆算にはそういう教育的意味があるのですから、計算用紙の端にチョロチョロっと書くようなことをさせてはいけません。子どもの中にはノートには式を書いて、計算はどこかの端にチョコチョコっとやって、答えだけ書く子がいます。これは、筆算をさせていることに反しています。それなら電卓でやればいいんです。もちろん、計算用紙にしても練習にはなっていますけれども、診断と治療に価値があるのですから、計算も必ずノートの上にきちんと書かせるべきです。そして、書いたものについて自己診断をし、その記録を残すようにすることが大切です。記録が残ることが大事です。(中略) 誤りの記録を作っておくことは大事なことです。それによって治療ができる。あるいは、自己診断ができる。自己評価ができて、自分で自分の学習を正すことができる。(p.89)
  • みんなは10に慣れていますから、10をいい数のように考えるようですけれども、必ずしも10がいい数というわけではありません。(中略) あなた方は十進法はよく知っていて慣れているので易しいと思っていますが、子どもにとっては易しいわけではありません。それが分かるためには、他の進法を経験してみるとよいと思います。 (p.90-91)

今風の英語教授法、英語は英語で、オーラル重視というアプローチが初学者や苦手な者にとってどのように捉えられているかを考え直すヒントが溢れている。
・「直観的に分かる」「そのまま」というだけで、本当に適切な手法・方法論であるか?
・ ライティングの指導において、mistake log を作成することは心ある教師にとっては自明のことであるが、スピーキングの指導では余り行われていない。にもかかわらず、feedbackの研究では盛んにcorrective feedbackとか、recastなどの概念がやりとりされている。
・ では、リーディングの指導で、”mistake log” にあたるものは何か?リスニングの指導では?

「第3回 自然数 (集合数)」でのこんな話しが、オーラルイントロダクションをする英語教師にとって重要な心構えを与えてくれる。

  • このような指導をするとき、大事なことは、子どもに5という概念を抽象してもらうことを期待するのですが、そのとき、子どもが何を抽象するかはわからないということに配慮することです。抽象は子ども任せです。(中略) 極端なことを言えば、要素が5の集合をいくつか示す場合、白いチョークで黒板に図を書いて示すだけですと、子どもの中には「これも白い」「これも白い」「これも白い」。だから「5は白い」と考える可能性もあります。そうならないようにするためには、白いものばかりを示すのではなく、黄色いものや赤いものも入れて「これも5ですよ」として、5以外のものが抽象されないよう配慮することが大切です。(中略) 子どもに抽象することを期待するときは、違うものが抽象されないように配慮することが欠かせません。これが先生の仕事です。 (pp. 42-43)

具体的な場面や事物での導入をしたから、絵やイメージを使ったから、「英語は英語で」理解できる、というとらえ方がいかにナイーブなものであるか。この「英語は英語で」の弱り目を本当に理解し、配慮して指導している英語教師と手を結びたいと思う。
パーマーを読み返す、ということを本気でやってみるには、夏休みなど、本来教室での授業のない「時間」が必要なのだ。生徒以上に補習や講習に追われながらも、研修会・ワークショップで研鑽に励んでいる英語教師は多い。だからこそ、明日の授業で使えるtipsを拾い集めることに躍起になるのではなく、教師の「学び直し」にこそ、もっと多くの時間を割いて欲しいと思う。

本日のBGM: wide awake (Kevin Ayers)