「モノの贈り物よりコトバの贈り物」

初心。

  • そこで、口移しの読み方伝授。/啄木は一首を三行に表しています。その三行について、一行ずつ、私が音読して、子どもがそれをまねして読むという方法です。三十首ぐらいつづけると、口がほどけてきましたので、二行と一行に分けて読みました。こちらもかなりしっかりと読まなければ、子どもの目を覚ますことはできませんから、エネルギーのいる方法でした。五十首までくると、もう分けて読むことが、不自然になってきましたので、子どもと一しょに唱えることにしました。すると、今までより一そうしっかりした声で読まないと子どもの声の中に埋もれてしまいます。今まで以上に体力がいることになりました。それでも、一二四首、読み通したことは、山の頂上に登りつめたような気分で、子どもたちと一しょに、やった!という実感を味わいました。 (中略) とにかく、一二四首全部読んだという実績を土台にして、今度は、一人ひとりが、三〜四首を分担して、分担した歌は、暗唱できるまで練習しようということにしました。(中略) 分担して音読することが、七回目ともなりますと、自分の心にとどいた歌、いい歌だ、好きだ、と思う歌が、見えてきます。見えてきたところで、その歌を、視写しました。啄木の表現のまま、三行に分けて写しました。 (伊藤経子 『続 音読の授業』 国土社、1990年、pp.86-87)

授業の音読を見直すなら、とことんやろうということで、振り返り。原点で安心・慢心しないように。
伊藤氏はあとがきにあたる「おわりに」 (pp.220-221) でこう言っている。

  • 音読の指導を、学習時間の中に取り入れようとする風潮が高まっています。しかし、音読の授業を参観して思うことは、子どもは、指導する先生のワクの中に、スッポリはまっているということです。
  • 問答学習も盛んです。しかし、そこでも子どもは、先生の教材研究のワクの中に閉じこめられています。授業は先生の意中の内容にあう発言を頼りに構築されています。先生の意中の内容を越え、あるいは逸脱する発言をする子どもは、自分の発言を自分の中に沈殿させるばかりです。

序文を寄せている青木幹勇氏の言葉を引いておく。

  • 音読の指導が一過性のにぎわいに終わることなく、国語科における音読の価値と機能を確認するとともに、指導の実効を挙げなければなりません。(p.5)

この青木氏の言葉のうち、「国語科」を「英語科」に置き換えたとき、「指導の実効」は何で測ればよいのか。自分の足跡の中からその答えを探せるだろうか?その答えで十分なのだろうか?「問いかけよ問い」だ。

今日は高2で、『英語再入門』(南雲堂) から、精読と多読の部分を朗読。

  • この二つは両極端です。その中間に、いくらでも段階があるでしょう。ただ、学習法としては、この両極端をぜひマスターしてほしいのです。普通は、どっちつかずの、中途半端な読み方が多い。それでは学力の進歩がおそい。ばかげています。(p.111)

本当に今、こういうことを言ってくれる先生がいないのだなぁ。柴田先生のお弟子さんである倉谷先生の話も。
放課後には教員研修。進路指導に関するテーマで、模試などを実施する某社の講師による講話。模試のデータや学習意識調査のデータを踏まえてこの学校の課題を浮き彫りにする、というところまではよいのだが、その後が不満。改善への手がかり、足がかりを話し合わないのでは、「研修しましたよ」という事実を残すだけだろう。
講師の説く中で、どうにも承伏できない指導事例が一点、「模試の成績を上げることで生徒のやる気をアップさせるための仕掛け」、というもの。この学校の指導では、上位・中位・下位の生徒ともに授業の内容を理解しているが、演習の量が足りず、定着に繋がっていないのだそうだ。

  • 漢字で2点取るのも、読解問題で2点取るのも同じ。だったら、確実に2点取れる漢字学習を事前にしっかりと行う。
  • 英単語をあと2つ覚えて書ければ、5点上がって、偏差値も上がるのだから、事前指導でのワークブックをきちんとやらせることで、「ワークをやれば模試ではその中から一定の割合で同じ問題が出て得点も偏差値も上がる」と、生徒のやる気や自信に繋がる。

というのだが、こういうものを「指導」とか「教育」と読んで良いのだろうか?「漢字」や「英単語」を先にやるのはいいだろう、では、「読解」はいつまで先送りするのか?百歩譲って、そのような「次の試験に出る内容を先取りして覚える」指導でよしんば偏差値が2ポイント上がったとしよう。そうすると、その生徒はもっと英語に興味を持って「英語力」を高めようと思ってくれるのだろうか?普段の授業の復習にも力が入るのだろうか?普段の授業のテキストに出てくる英単語や連語、成句をしっかりと覚えようと繰り返し読んだり、書いたりしてくれるのだろうか?「されど問う」だ。

そんな思いを抱えたまま、帰宅途中で立ち寄った本屋で見つけたのが次の本。

  • 片倉もとこ 『やすむ元気 もたない勇気』 (祥伝社、2009年)

副題は「『ゆとろぎ』の思想に学ぶ生きる知恵」。こんなときだからこそ再び出会うのですね。これも何かの縁でしょう。ことばにこだわり、学びの豊かさを求め過ぎる余りに、その行い自体が学びから遠ざかっているかのような今の私に本当に必要なものだと思いました。ありがとうございます。

  • 世の中のことも、あまり、はっきりみえないほうがいい、つまらないことは捨象されて、ぼんやりみえるぐらいのほうがいいなあとおもうのです。(p.39)

本日のBGM: Miura Wind (松原正樹 & 今剛)