♪ABCは知ってても、それだけじゃ困ります♪

金曜午後は本業のために空けてあるので、0限、1限、2限の授業。
授業は淡々と。高1は『短単』から。
高2は個人作業。出来た傍から教卓に持ってきて、チェック。全部出来た生徒が複数出たところで、他の生徒がそこに行きチェック。基礎体力トレーニングだな。中学レベルの総復習教材を個人で購入した生徒もいて、意欲が形にはなってきているようだ。
高3は読解と音読と。動名詞主語の内部構造がやや複雑な一文のみ板書して解説。日本語訳を繰り返すことはあまりないが、目の付け所はしつこく繰り返す。2時間で1課のペースはちょっと時間をかけすぎだな。

ロースーが届いたので、皆にお披露目。せっかく空けてある午後も、放課後に会議が入ったので湖で練習ができず。エルゴ。明日の早朝、湖で練習して、その足で試合会場まで移動してという後手後手に。レースはどうなることやら。
ペリカーノ・ジュニアに興味を示した数学の先生と、文字の話し。筆記体のk、s、z、f、xなどについてSassoon joinerなどを見せ、ストロークの説明。なぜいわゆる筆記体のsはあのような運筆になるのか、などなど。結局、ストロークの指導やjoining(単語の書き方の前段階の文字と文字の繋げ方)の指導がないまま、中途半端に「筆記体」の指導をするならしない方がいいのだ。「活字体・ブロック体」での運筆・joiningをこそ、指導すべきだ。数学、その前の算数で、生徒がアルファベットなどの欧米の文字(記号)に接している事実に目を開かせてくれたのはW先生だった。ありがたい。ありがたいが、その教えを教典のように抱えていた時期はもうすぎた。教え子の一人一人が、自分の頭で考え、自分の足で歩き、そして今度は目の前の一人一人の学習者と対峙していくことにこそ、意味がある。
先日、ある大学の先輩(すぐにばれちゃうのでイニシャルもなし)、から「文字指導教材」を一緒に作らないか、というお誘いがあり、前向きに検討。現在の市販教材が目に余るということのようだ。それは私も同感。
私の妻は、パン教室を開いたりしていて、パンにうるさいのだが、よく評判の店のパンを買ってきて「初めてパンを作った人が作ったようなパンだね」「この人はパンのことを知らない」とか「これは何を作りたかったのかな?」などと、かなり辛辣な言葉を口にする。それでも「パンってその人がちゃんと出るんだよね」「その人が作っています、とか頑張っていますっていうのが感じられるのが、手作りのパンの不思議なところ。」というコメントもするので、作り手へのリスペクトは忘れていないようだ。
文字も手で作るその人の作品。文字指導教材は、今でもSassoon Joinerなど、すでに良質のソフトは市販されているが、個人で買えば1万数千円、学校などで買う複数の端末にインストールできる版にしても単価としてはかなり高額の出費となる。まずは「手で紙に書く」ための教材を作ることから。国体が終わった秋くらいには時間が取れるだろうか。
おっと、早朝練習の準備をしておかねば。
本日のBGM: 足跡のつづき(ハンバート ハンバート)