Utilization

今日はいわゆる「マラソン大会」。男子6km、女子4kmと例年よりも短い距離で実施とのこと。私は最後尾を自転車で追い立てる係。Rest of the day off!
毎月恒例(?)中旬の「私家版『英語教育』時評」。
今月(2008年1月号)で真っ先に目を通したのは、「FORUM(読者論壇)」(pp.90-91)。八木克正氏が安藤貞雄氏の先月のコメントへの回答を寄せている。正直噛み合わないですな、これは。突き抜けようがありません。
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吉田達弘氏の「海外論文紹介」(p. 89)はD. KellogとShin Ji-eunの共著の2007年論文を取り上げている。論文の内容以上に興味を引いたのが、学習者が英語を学ぶ環境の比喩(metaphor)に関して。「水 (aqueous)」のメタファーは適切でなく、でこぼこな地形を表す「大地(terrain)」メタファーの方が適切、という指摘は熟考に値するのではないか(過去ログ参照 http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060303)。
「研究と実践」の中では、

  • 松浦伸和・重山光貴「外国語教育における到達目標に関する日英比較」

が英国のナショナルカリキュラムのMFLで示されるAttainment Targetsと日本の指導要領の比較分析から重要な切り口を提供してくれている。評者は松沢伸二氏。結びの一節に絞って、松沢氏自身のもう少し突っ込んだ評が読みたいものだ。
pp. 53-55は、「コア理論で文法指導を」。この連載で主張・提示されている理論的枠組みが地に足のついた実践となるか否か、10年後、いや、5年後の評価を待ちたいと思う。

  • 1語1語のコアを融合させることで頭の中で意味が構成され、それを読者を想定した発言として文脈に適応させて自由に訳出した結果得られた訳文(p. 53)

を解説するのに全て日本語を用いていることをどう説明するのだろう。良い手がかりの作り方であり、個々の指導の効果が一般化しやすいとは思う。しかしながら、これは「英語を英語で、英語の発想順で考える!」のではなく、「英語の語義・発想・手触り・実感・ロジックを日本語を効果的に用いて考える」というアプローチであろう。日本人教師の活躍できる手法であり、教室での普及に期待は出来るが、これを「英語→意味→訳出」だとナイーブに信じ切る勇気は私にはない。
特集の「脳科学」にはまったく興味がないので、「リレー連載英語教育時評」の「恥ずべき教育予算」(江利川春雄)(p. 41) を繰り返し読む。データや引用を踏まえ、

  • こうした実情で、なぜ小学校英語の必修化に踏み切るのか。作戦開始前から、失敗が目に見えているのではないか。

と論じている。推進派だけでなく、論拠に乏しい反対派・消極派も含めて充分な議論を尽くしてもらいたいものだ。『英語教育』誌は、このリレー連載が本当にリレーになっているか、そろそろ自己評価をするべきであろう。バトンや襷を受けた評者・論者が同じゴールを目指しているのだろうか?そうでないのなら、お互いの論に切り込んでいるのだろうか?この江利川氏の声に誰がどう応えるのか?
同じ小学校英語に関する切り口でも、教育系雑誌、『総合教育技術』(小学館)の1月号では、渡邉寛治氏(文京学院大学教授)が

  • 「小学校英語活動」授業に備えるためのポイントは?

と題して、4ページに渡り寄稿している (pp.18-22) 。引き合いに出して申し訳ないが、あまりにも理念の上滑りで読むに堪えない。この雑誌の発行元である小学館の出している小学校英語活動教材の監修が渡邉氏。『総合教育技術』はこんな寄稿者・執筆者の登用でいいのだろうか。渡邉氏は自らが監修した教材や著書を引用することで結論づけるのではなく、元文部省国立教育研究所・外国語教育研究室長、元文部科学省国立教育政策研究所・総括研究官として、政策に関する責任のある発言が求められてしかるべきだと思う。

  • 理念は崇高、政策としても優れています。でも予算も人もつけられません。

というのでは現場からは悲鳴しか上がらないのではないか?
小川図書に頼んでおいた、

  • 青木常雄著『英文朗讀法大意(復刻版)』(リーベル出版、1987年)

が届く。初版は昭和8年。前任校の書棚で見て、重要なところは大方コピーしていた(過去ログ参照 http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061222)が、今回届いてみてコンディションが良いので満足。さらには、復刻版の解説を浅野博氏が書いている。(pp. 129-132)

  • まず第一に注目しなければならないのは、著者の明快な解説である。著者には決してはったりがなく、自分が納得し熟知していることだけを、読者の必要に応じて提示するという教育者に不可欠の才能があったと思われる。この才能は、著書ばかりでなく、授業にも遺憾なく発揮された。(p.130)
  • 今日、音読や会話的な発話の指導は盛んであるが、何をどこまでというminimum essentialsについての議論や成果は十分とは言えない。学習指導要領も、文型・文法事項の指定には熱心すぎるくらいであるが、音声に関しては、「現代の標準的な発音」とか「文の基本的な音調」といった程度である。一方では、オーラル・インタープリテーションのような高度の技術まで教えられようとしていて、現状は少なからず混乱している。(p.131)
  • 著者の英語教育に対する姿勢を他の著作も参考にして推測してみると、そこには、教養か実用かといった理屈などなく、英語を読むためにも書くためにも、音声言語の習得なしには進歩はないという確信が感じられる。(p.131)

復刻版が出てからも、早20年が経つが、今読み返しても学ぶことは多い。

夕飯は、白菜と豚バラの鍋。玄米ご飯にサラダ。
グランプリファイナルを見て小休止。夕べのフリーとは一変。リラックスした表情と演技。中野は今シーズンずっと安定した演技をしてきたのに、今ひとつ得点が伸びていないのが残念だったが、今日は充実の演技。キム・ヨナは肩鎖関節や胸骨を弛めるのが上手いなぁ。軸がしっかりしているのに背中の上の方が柔らかく見える。腕を伸ばすのではなく、身体を弛めることで長さと柔らかさの両方を得ることができるのだろうか。キャロライン・ジャンはなぜあの高さで回りきれるのか、と思って見ていたが、テイクオフの前にカウンターを入れて回転力を増しているのだな。畏るべし。

本日のBGM: Listening to old voices (John Hiatt)