PISA型読解力は自己表現を要求しているのか?

『中等教育資料』で、3回シリーズで「実生活との関連を生かした教科指導の充実」という特集が組まれていた。7月号は特集の最終回。ようやく英語(外国語)の話。

  • 外国語の学習をいかに実生活に近づけるか――外国語/千葉大学教授 椎名紀久子

期待を持って読み進めたのだが、これが困った内容。英語教育やらコミュニケーション論やらの用語を駆使して「べき論」を述べているだけで、まったく「実生活」を感じさせない論文。出来の悪い広告代理店のプレゼンのようだ。この教授は科研費に基づき、この分野を専門に研究しているというのだから驚き。これを読んで現場の教師の誰が、授業の改善を図る気になるというのか。もし、こんな人たちの研究成果が悉皆研修の内容に反映されることになったら、と考えれば黙ってはいられないでしょう?現場の教師も言うべきことは言った方が良い。
『いま求められる<読解力>とは 教育フォーラム38』人間教育研究協議会編(金子書房2006年)
を読み始めた。PISA型と言われる「読解力」をどう養成していくかを11人が論じたもの。国語だけでなく、社会科や数学科の先生・教育者も書いているあたりは類書と一線を画するだろう。PISA型の読解力を規範とする考え方には諸手をあげて賛成するわけにはいかないのだが、まだ、教室の現実を反映しているだけ取り扱う価値がある。
PISA型読解力とはこの書で引用されている文科省の定義 (資料 [I] p.128) に依れば、

  • (前略)書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力

となる。ところが、問題で扱う3つの側面では、

  • 内容・構成
  • プロセス
  • 状況

を示すにとどまり、「テキストを理解する」とはどういうことなのか、「テキストを利用する」とはどういうことなのか、そして「テキストを熟考する」とはどういうことなのか、という下位定義が示されないので、結局のところ「能力」の指標は示されていないままである。ただ、日本語L1の読解力で何が求められているのかをきちんと把握することなしにL2の読解力を語っても現実味が感じられないので、このような書籍に目を通して何が争点となっているのかをつかむことは大切だと思うのである。この金子書房のシリーズは、梶田叡一氏の責任編集や内田伸子氏の監修も数点あり、ことばや教育に関して、しっかりとした論考を読むことができると思われる。興味のある方は是非書店や図書館で手にとって見てください。
論文を読んで学ぶことは多い。論文とは、先行研究の熟考の上に、それまで誰も言わなかったことで、自分にしか言えないことを書くもの、と定義ができるかもしれない。論文の書き手にしても、当然、読み込む時期には、まだ自分なりの考えはまとまっていないことが多いだろう。という内省を踏まえて考えるとすれば、「読んで内容を理解できたのであれば、それを自分の言葉で表現したり、批評したりできるはず」という「読解力観」はあまりにも独善的ではないのか?
そんなことを考えた週末であった。
明日からまた本業。お休みなさい。