もじもじくん

8月8日のELEC協議会夏期研修会用のレジュメ・資料がほぼ完成。4回くらい書き直したので、あとは参加者とのやりとりを見て対応。
「文字指導」「視写指導」「書写指導」について、先週から資料を整理しているのだが、こんな情報をwebで見てかなり驚いた。ベネッセのVIEW21小学校版から。(http://benesse.jp/berd/center/open/syo/view21web/syo_english/2005/11/s_en11_report_01.html)
金沢市立泉野小学校での実践報告

  • 基本構文を板書し、子どもたちに読みを促したが、5年生では、まだ十分に読んだり書いたりはできないし、その指導の難しさも感じているという。ただ、6年生になると、中1の教科書を学習し、文法事項も入ってくる。そこまでのつなぎとして、5年生の段階では、構文などを意識して板書に残すようにしているのだという。現在、泉野小学校で行われている文字指導は、テキスト等を見ながら、単語や短文を書き写す段階で終わっている。したがって、まだ、個人差は大きく開いてはいない。しかし、中学校からは「アルファベットの小文字まで、テキストを見ないで正確に書けるようにしてほしい」との要望が出されている。今後、そうした要望に応えるべく書く学習が進められると、もっと個人差が出てくるかもしれないと長谷川先生自身も心配はしているという。

何が驚いたって、泉野小の実践にではなく、「アルファベットの小文字まで、テキストを見ないで正確に書けるようにしてほしい」と小学校の先生に注文を出す中学校の先生の存在にである。ご存じのように、金沢市は「英語特区」として、小中一環の英語教育を進めている。小学校6年で、中学校の教科書を前倒しで使うので、このような中学校側からの要求が降りてくるわけである。羽岡清美指導主事の次のコメントにも少なからず驚いた。

  • 「モデル校での研究期間中、何度か子どもたちに意識調査をしました。その際、『どんなことができるようになりたいか』を尋ねたところ、『英語が書きたい』『英語が読めるようになりたい』という回答が5割以上7割近くもありました。記述式の回答には、『英語の文字はかっこいい』というものもありました。子どもたちが英語にふれていくなかで、自然に文字にも興味を持っていく姿が見て取れました。6年生などでは、実際に、ピクチャーカードに書いてある英語の文字を頼りに、発話したり、理解したりしようとしています。ですから、聞く・話す・読む・書くは、何時からと明確に区切らず、段階的に取り組むのがよいと思うのです」

以下はベネッセの報告からの抜粋。

  • ただし、中学校での文字指導導入以上に、十分に時間をかける。学校によって多少差はあるが、概ね、次のステップを踏んでいるという。

(1) アルファベットの大文字を正確に書き写すことができるようにする
(2) アルファベツトの小文字を正確に書き写すことができるようにする
(3) 単語を書き写す
(4) 2語文、3語文を書き写す
(5) 短い文を書き写す
気になることは2点。

  • 「視写」を考えた場合に、テキストで扱う「文字」つまり「書体」と、教師(日本人教諭であれ外国人教師であれ)が板書等に用いる「文字」「書体」がどのようなもので、どのような類似点(共通点)・相違点があるのか、という点を指導の際に考慮しているのだろうか。(書体に関しては、広告ではあるが、次のファイルは一読の価値があると思われる。

「なぜサスーンなのか?」
http://www.clubtype.co.uk/fonts/sas/Why%20Sassoon.pdf#search=%27why%20sassoon%27

また、指導手順の3以降に「できるようにする」という文言がないのは、努力目標で達成目標ではない、ということなのか。
13日の同友会のサマーワークショップでもこのテーマを扱おうと思うのだが、「ステップを踏む」とか「段階的に」といった常套句は、常に疑ってかかるべきである。人間の発達はどのようなものであれ、右肩上がりに進んでいくものではない。何かを新たに取り入れたことで、それまで身に付いていたものがいったん失われたり、能力が低下したりということが複合的に行われていることを忘れてはならない。
今回のレポートを読んで、英語教師がもっと小学校英語活動で何が行われているのかを「知り」「学ぶ」必要があると痛感した。
小学校3年生から、中学校3年が終わるまでの7年間に及ぼうという英語教育の新たなる取り組みに、3年間の小学校での研究指定校の成果を踏まえている、という報告に最も驚いたのだった。