アーティゾン美術館で現在開催中(2024年11月2日- 2025年2月9日)のこの展覧会
- 「ひとを描く」
の英語タイトル
- Looking Human
が気になったので展覧会を見に行ってきました。
折角オンラインではなく、足を運んで行ってきたので、プログラム(ブックレット)も買っています。
まず、私が最初に気になった公式サイトでのタイトルの見え方はこちら。
スクショを貼っておきます。
ここで使われている絵はアンドレ・ドランの
『ヴァイオリンを弾くヴラマンクの肖像』 (1905年)
Portrait of Vlamink playing the Violin
です。
デザインの問題もあるでしょうが、日本語のタイトルの方がポイントが大きいのは、そちらがメインターゲットだろうから。で、それと対照的な位置に英語のタイトルが配置されています。
このバランスは、チラシでも同じ。
英語の方にはどちらも「副題」というのでしょうか、 The FIGURE PAINTING という英語がついています。
実際にミュージアムに行って、その通りであることを確認してきました。
誤解があるといけないので、展覧会そのものは期待以上に良かったことを先に書いておきます。
西洋美術に興味関心のある方は、行ってみると良いと思います。
本題の「気になるタイトル」の話しですが、こうして見に行く前段階で既に、ミュージアムの広報には問い合わせ済みです。
- looking human が「人を描く(こと)」に対応しているのか?
- look単独で、所謂「他動詞」として目的語をとる構造でhumanが名詞として使われているのか?
という疑問です。
そして、詳らかにはしませんが、メールでの回答も得ています。
- タイトル英訳は「ネイティブの翻訳者と作成」。陶器もあるのでpainting humanではなくlooking humanで「人を見る」という意味に対応
という趣旨なのですが、その回答を踏まえても、なお、英語の用法として疑問が残ります。
この特設ページには、英語版もあり(Looking Human: The Figure Painting|Artizon Museum)、そこでの英語表現では、
depicting a person
figure painting
と適切だと私には感じられるものが使われているのですね。
参考までに現代英語でlook humanが使われる環境をSKELLから引いておきます。
一部
- a normal looking human 普通に見える人
などの例が混じっていますが、多くの用例では
- 「人間に見える」「人間っぽく見える」という意味で用いられていることがわかるでしょう。
次の一節はMarvelの漫画の説明文。
Despite looking human, Eternals are much more long-lived (but were not originally fully immortal) and that kept them from having much contact with their human cousins.
collider.com
人間のように見えるにもかかわらず、エターナルズははるかに長命であり(しかし、元々完全に不死ではなかった)ため、人間の従兄弟とあまり接触しなかった。
もともとはWikiの頁のようです。(Eternals (comics) - Wikipedia)
少し広い文脈で捉えるなら、次のような例を見るのがいいでしょうか。
When exactly did classical performers stop being that — i.e. performers? This is a question I’ve been asking myself for some time now. I can’t count how many classical musicians I’ve seen shuffle, wander, or slouch onto stage in an uninspired fashion. Either that or be so tense and uptight and wrapped up in the traditions (or habits) of classical concert etiquette that they stop looking human at all.
www.artsjournal.com
クラシック演奏者が演奏者でなくなるのは正確にいつだったのか。これは私がしばらく自問自答している質問です。私は、インスピレーションのない形でステージに足を引きずったり、さまよったり、うつむいて登場するクラシック音楽家をどれだけ見たか数えられません。その反対に、クラシックコンサートのマナー(または習慣)にあまりにも神経質になりすぎて、人間らしさを失ってしまうこともあります。
大学入試の読解系素材文でも見かけることはあります。
20年くらい前のものだと、
A robot is a computer with human-like intelligence. Some are “androids” that look human, and they can walk, see, and move objects.
ロボットは人間のような知能を持つコンピュータです。一部は人間のように見える「アンドロイド」で、歩くことができ、物を見ることができ、物を動かすことができます。
比較的近年のものだと、
There is also the question of whether we want our robotic carers to look human. There is the concept of the “uncanny valley”, where objects that almost, but not quite, mimic human form can discourage people from using them. Instead, like the robotic vacuum cleaners in our homes, robots could be aesthetically designed around their function. “The more it looks like a human, the more that person receiving the care is going to resist the care provided by the robot,” says Cook. “A robot is only useful if the person being cared for accepts it.”
ロボット介護者が人間のように見えることを望むかどうかという問題もあります。ほぼ人間の形を模倣しているものが、人々がそれを使うことをためらわせる「不気味の谷」という概念があります。代わりに、私たちの家のロボット掃除機のように、ロボットはその機能重視で美的にデザインされるべきです。「人間に似ているほど、ケアを受ける人はロボットによって提供されるケアを受け入れることに抵抗するでしょう」とクックは言います。「ロボットは、ケアを受ける人がそれを受け入れる場合にのみ有用です。」
この例では、最初の "to look human" という表現に続いて、"looks like a human" という表現が使われています。前者のhumanは形容詞、後者は名詞として a humanとしているので前置詞のlikeを伴い、 "look like" となっていると考えられるでしょうか。
lookが他動詞的に使われて、名詞が続く場合がないわけではありません。
Westerners believe as a matter of course that the proper way to act during a meeting is to look the other party in the eye, engage in a vigorous exchange of ideas and work to reach a conclusion.
西洋人は、会議中に取るべき正しい行動は、相手の目を見て、活発な意見交換を行い、結論に至るために努めることだと当然のように信じている。
この例では、lookの目的語に the other party (相手) が直接続いていて「見る」という意味で用いられていますが、その後に、"in the eye" が続いています。相手の「どの部分を見るのか」という「身体部位」が表される必要のある表現です。
一見、この例に似ていますが、少し注意が必要なのが、
- 鏡で自分を見る look at yourself in the mirror
です。この場合は、look単独ではなく、look atとなります。鏡は自分の所有する部位ではないのですが、このような表現形式をとるのですね。
続いて別な例を。
A lot of participants in my cross-cultural programs seem to think that people all around the world are basically the same, and at first glance we do indeed seem similar. For example, people basically look the same (we are all human), have the same concerns (health, safety, food, shelter, etc.), and experience the same emotions (love, anger, fear, hatred, etc.).
私の異文化プログラムに参加する多くの人々は、世界中の人々は基本的に同じだと思っているようです。そして、一見すると確かに私たちは似ているように見えます。例えば、人々は基本的に同じように見えます(私たちは皆人間です)、同じ懸念があります(健康、安全、食料、住居など)、そして同じ感情を経験します(愛、怒り、恐怖、憎しみなど)。
この例のように、後ろに名詞が続かないでそれ自体を名詞扱いする "the same" は「名詞」と括るには例外的に思えるかも知れません。
少し古い辞書で、長くなりますが『ランダムハウス英和』(小学館)より引用します。
v.t.
1 〈人の〉(…を)見る ⦅in ...⦆ ,〈事を〉直視する
He looked me straight in the eye.
彼は私の目をまともに見た(◆He looked in my eye. は「彼は私の目をのぞきこんだ」で眼科医のすること)
You should look your affairs in the face. 自分の状況を直視しなければならない
Look what you've done! ⦅話⦆ なんてことしてくれたの
Look who's talking! ⦅話⦆ よくもそんなことが言えるね
Look who's here! ⦅話⦆ 誰かと思ったら(◆思いがけない人を見つけたときの表現).
2 …にふさわしく見える
look oneself いつもの自分と変わりがない,元気だ
She looked her age [or years]. 年相応に見えた
The actor looked his part. その俳優は役柄にぴったりだった.
3 ⦅米⦆ …のように見える,見た感じが…だ(look like)
He looked a perfect fool, coming to the party a day late.
パーティーに1日遅れてやって来てまるでばかみたいだった.
4 …を(表情·態度などで)表す,…の目つき[顔つき]をする
look one's annoyance [thanks] at a person人に迷惑顔をする[謝意を顔に表す]
They looked their questions at him. 彼らはいぶかしげに彼を見た.
名詞が直接続いて目的語相当となる場合でも、『ランダムハウス英和』の他動詞語義項目の1例目を除けば、「いかにも…らしい」「…にふさわしい」というような意味ですから、looking humanとなれば、「いかにも人間らしくあること;人間にふさわしいということ」を意味すると考えるのが妥当ではないかと思うのです。
つまり、ここでの “looking human” は作者、アーチストが対象となる「人」を見ること、を表しているのではなく、絵画であれ彫刻であれ、作品で描かれた人がとても人間らしい、人間臭いことに意味を見出す展覧会という趣旨ではないのでしょうか?
今回、2回目の問い合わせ確認で、特設サイトの英文を作成したのも、展覧会のタイトルの「コピー」の英訳をしたのも同じ英語ネイティブの翻訳者であることが判明しました。
特設サイトのdepict等の英語表現に関しては「翻訳者は前後の文のつながりで表現を確定している」という回答を得ています。
冒頭で写真を貼った、『プログラム(ブックレット)』を覚えていますか?
再掲します。
この表紙のデザインは微妙(巧妙?)ですね。
日本語のタイトルは小さいポイントで。
Looking Human は大きいけれど、少し陰に隠れるように配置。
副題の筈のTHE FIGURE PAINTING が真ん中にくる。
このブックレットには展覧会の趣旨や各作品の解説の英訳があるだけでなく、その翻訳者のクレジットがあります。
翻訳者はプロ中のプロという経歴ですね。
- Ruth S McCreery さん
こちらが翻訳者のプロフィール等です。芸術関係のお仕事も数多くされていることがわかります。
どういう意図で、どのような経緯で、この英語タイトルと副題となったのか、詳しくお聞きしてみたいですね。
さて、
この展覧会に関する投稿を先日Facebookの方でしていたのですが、殆ど注目されませんでした。
この英語タイトルに関する問い合わせとFBへの投稿は、
英語の用法で、
(to) look human(s) [human beings]
という他動詞の用法は現代の英語の実態に照らして、定着したものと言えるのか?
かつては定着していて、今は廃れているけれども、芸術など特定の分野では生きているのか?
という私の疑問を形にしたものでした。広報担当者からの2回の回答をもとに考えてみると、この英訳タイトルで伝えたい内容は
「アーチストが主語で人を描くこと」ではなく
「作品が主語で、そこで描かれている対象は人であり、その人の描き方(描かれ方)がいかにも人間臭い、人間らしいこと」を表すものである
というのが、私の達した結論になります。
冒頭でも書きましたが、展覧会そのものは素晴らしかったと思います。
見に行って良かったと実感したのは、
ピカソの
腕を組んですわるサルタン・バンク (1923年)
Saltimbanque Seated with Arms Crossed
マネの
オペラ座の仮装舞踏会 (1873年)
Masked Ball at the Opera
などなど、数多くありましたが、特に心惹かれたのは、
ウジェーヌ・ブーダンの
トルーヴィル近郊の浜 (1865年頃)
The Beach near Trouville
でした。
写真やポストカードなどでは十分にその良さが分かっていなかったと痛感させられました。
そもそも私が上述の疑問を抱いた背景には、過日、拙ブログで取り上げた、
Barefoot walking is seeing a surge in popularity.
Barefoot walking is showing a surge in popularity.という文で、seeを使ってもshowを使っても同じような意味を表すのであれば、see = show で同意と言えるのか?
という疑問がありました。同じようなことが、lookの自動詞と他動詞でも生じてきているのか?という「畏れ」といえるかも知れません。
この機会にそちらの過去ログも是非。
本日はこの辺で。
本日のBGM: まるで正直者のように (友部正人)