「世界の果てまで、君と見に行こう」

臨時休業を経て、土曜日から本業の練習再開。
大学生は瀬田のヘッドレースに参加のようで、湖は貸し切り状態。明け方まで降っていた雨は上がったものの、気圧の急変などもあり、午前中の方が風が強かった。パフォーマンスは振り出しに戻る、という感じ。自主性に任せておいてできるのなら誰も苦労しませんからね。

倫太郎さんから、過去のエントリーにある、

  • 誰を批判している本が好きですか。

に関して質問があり回答のメール返信。参考文献は安井稔編『例解現代英文法事典』 (大修館書店) です。

帰宅後、娘と隠れん坊などして癒されるのも束の間、荒川洋治のことばを思い出す出来事があった。

  • いまさらこんなことをいってもどうにもならないけれど、ここ数年は詩という文字を見てもこころはずまない。これまでに詩についてあれこれを考え、やってきた。読まれない。そうか。そうならこうする。売れない。そうか。そうならこうする。書けない。そうか。そうならこうする。他にもためした。率先してしたこともある。でも十分でなかった。また、できるだけのことをしても無駄に終わる気がしてきた。自分がいろんな面で枯渇してきたせいである (と感じないときもときどきあるが、それでも) そう思って耐えてきた。生き方だけはためせなかったが、それを試すことが、詩にとって大きな意味をもつのかもしれないとは思う。でも、生き方に新しい血をめぐらせてみても、言葉が古ければどうにもならない。そして何が古いのかもいまはわからない。では、詩ではないところに向かえばいいかというと、そうでもない。そこは「詩ではないところ」なのだから、答えは出ない。いますべきことが見つからない。それで整理へ走る。そこで、考える。整理へ。(「整理へ」、『夜のある町で』 みすず書房、1998年、p. 217)

行政刷新会議の事業仕分けで、廃止と評決した、『英語教育改革総合プラン』だが、読売新聞の囲み記事では、予算額が、6億1600万円となっていた。ここで「?」。
実際の事業仕分けWGでの配付資料がこちら↓。

http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/pdf/nov11-pm-shiryo/13.pdf
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/pdf/nov11-pm-shiryo/14.pdf


概算要求では、8億5100万円ということだが、この読売の報じる額との差は?

資料14の、4/13ページを見ると、予算担当部局用の書類では、予算額は6億1600万円となっている。
もともとこの総合プランなるものを決めた平成20年度当時の、初等中等教育局国際教育課長は、大森摂生氏。今回の、概要説明書の作成責任者は、国際教育課長の中川一浩氏。年度が変わり、責任者も替わっているのはどこぞと同じか。
かねてより、このブログで、英語教育界は教育行政に携わる「教科」の担当だけではなく、もっと上の役職の人間、教育界以外の有識者も引っ張り出し、担ぎ出し、その声を聴き、意見を交わす必要があると書いてきた。先日の、神戸で行われた「ナラティブシンポ」での私の発表の冒頭で、フロアの参加者に「今日、ここに来ている方のうちで、英語以外の教科の方は?」などと問いかけていったとき、「では、経済が専門の方?金融?」といったところでどっと嗤いが起きたのを今でも覚えている。「いや嗤いますけどね、お金の話しは大事なんですよ。」と言ったのだが、想いが届いていたかどうか。
今回の「評決」は法的拘束力などがないとのこと。
この「評決」にいたる議論がオープンであったといわれるのだが、どのくらいの国民がそこで交わされる意見や説明の背景を理解しているだろうか?小泉政権での「劇場型」「パフォーマンス型」の政治を批判してきた新政権の骨格が問われることはもちろん、新政権を選んだ有権者にもこの「評決」の行く末を見届け、もの申すべき時にはもの申し、その上で、結果を受け止める覚悟が必要であろう。パブリックコメントなどしても無意味だと思っているなら、それまでのことである。

本日のBGM: Black & White (Hiroshi Takano)