「この先10年も…」

戸田行きで1日学校を離れたので、採点も大童。
朝、出校して準備室で答案を整理していて、

  • 代休はどちらかに行かれたのですか?

と聞かれたので、国体の県代表選手の指導に埼玉まで行ってきましたと返答。おそらく、週末から家族サービスかなにかでどこかに出かけていたのだと思っていたのでしょう。驚かれました。普通はわざわざ休日を取るんだから、骨休めや英気を養うのに使うものだと思いますわね。でも、土曜日も朝から夕方まで三者懇談でしたからね。
空きコマと放課後を使って、試験最終日で出てきた高2の英語Gを併せて、高2二つと、高3一つの採点を急いで終わらせる。
あとは学力・英語力のプロファイルがまだまだ把握し切れていない高1の、英語1とOCの採点に少し時間をかける予定。
来週末の国体中国ブロックの監督委嘱状が県から届いていたので、必要書類を添えて、出張の手続き。島根は遠いなぁ。島根からしてみれば、山口も遠いのだろうけれど。
19日の夜帰ってきて、その翌日、海の日には博多で大学入試センター試験の説明会。自チームの練習がなかなか進まないのがもどかしい。まあ、夏は長いのでじっくりといきますか。
夕方から三者懇談一件を終えて雨が来る前に帰宅。
妻が娘と出かけているので、一人メシ。
仮眠を取って、高1の採点を一つ終える。残すはあと一つ。
小休止して、リクエストのあった試験問題送付。自分の目の前にいる生徒にとって最も適したテストを作れるのはその教室の授業を担当している教師だろうと思うので、あくまでも他山の石です。その点、「靜流」は懐が深いというか、小回り、カスタマイズが利くので大変お世話になっています。
テスティングを学ぶことは重要ですが、理論と実践は自転車のような両輪です。(左右の両輪と考えると、両輪の直径が異なることでゴールにまっすぐ進むのがさらに困難になるので、「車の両輪」の比喩は極めて慎重に適用するべきだと思っています。)
誰かに支えてもらってなんとか進んで、独り立ちしてからもバランスを崩しながら進むもの。両輪の径が異なれば、漕いでも漕いでもなかなかスピードが出なかったりと、簡単には行きません。
今回、高2で、200語程度の英文の具体例の部分のみを空所にして、そこに、

  • 主題に照らして適切な具体例を想定し、日本語で答えよ。

という設問を入れました。これはテスティングの観点からはまったくもって問題外の外の外でしょうが、授業を進める上では重要な意味を持ちます。この後の展望・野望 (無謀?) では、テキストとは異なるが、主題から推論して適切であろうと思われる具体例でのサポートを私が英語で作っておき、適切なものを選ばせ、原文との対照で表現も学んでいく段階。ペアやグループで、オリジナルな具体例を英語で考える段階。提示された複数の具体例から、主題となるべき主張を英語で考える段階、などなどいくらでも柔軟に読解から作文までを「連携」させることが可能です。
主題の主張とそれを支える具体例の提示は読解でも作文でも不可欠な論理的思考があってこそ機能します。ですから、読解でディスコースマーカーの挿入などの指導をいくらやっても、その後、全文を音読筆写したり、論理展開がパラレルな英文に書き換えたりする作業を課すことで、自分の頭の働かせ方を揺すぶらなければ、「ライティング」の力にまでは醸成されていきません。
その発展途上で教師が生徒に課す数々の作業のさじ加減は、やはりその教室で授業をしている教師にこそできるのですから。教室という閉じた空間では、どんな教師も一つの「権威」であるということに自覚的でありさえすれば、自らの実践に誇りを持っていいと思っています。
金谷先生編著の『教科書だけで…』 (大修館) は八重洲BCでも平積みだった。隣には、靜先生の新著が平積みに。反響はあるのだろうが、そのエコーが問題の所在を浮かび上がらせたとして、現場の教員のすることは?という思いは残る。日本の「英語教育」の世界は、本当の意味で「進学校」の英語教員を揺すぶることができていないのである。確かに学校種はあまりに多様で、一筋縄ではいかないことは私もよくわかる。だとしても、

  • 現場に踏みとどまっていながら、しっかりと地に足をつけて進んでいる「進学校」の教師の声を真っ向から受け止める特集をまずは業界誌で、そして一般誌上で、さらには一般紙上でも展開する。

といったことをやらないと、指導要領の改訂の度にそっぽを向かれるか、受け流しやり過ごされてしまうだろう。
過去ログ (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20071114) を書いたときに、『英語展望』での金谷先生の司会ぶりが物凄く面白くて、多くの人がこんな風に地に足をつけて考えてくれたら、と思っていたが、この座談会からもう1年半以上経つのであった。そう考えると、今回の『教科書だけで…』での指摘や提言は物足りないし、食い足りないし、後退していると言えなくもない。出版元の大修館が出している、業界誌『英語教育』では、近年、真っ向から大学入試を考えたり、問い質したり、斬ったりする特集は組まれていない。大修館の「21世紀叢書」に入っているが、むしろ本来は、1999年になくなった『現代英語教育』 (研究社) 的な切り口であることに注目すべきだろう。それから既に10年が経とうとしていることを踏まえるとやはり「大後退」だと思う。が、しかし、英語教育界の「身内体質」「身贔屓体質」を揺すぶるような特集が、この雑誌で組まれることは恐らくないのだろう。
「裸」でも「驢馬の耳」でも王様になって権力の座にいればもう安泰というわけには行かないはずなのだが、ここでも「はず」という考え方がそもそも精神衛生上よろしくないのですね、倫太郎さん。

明日の高3は1限から平常授業。高1、高2はテスト最終日で3限から平常授業。いつものように明け方に教材研究とハンドアウト、ワークシートの印刷です。
七夕の夜は生憎の雨でした。1年後にまたお会いしましょう。

本日のBGM: 10 years (渡辺美里 & 大江千里)