「能ある豚は星を見ない」

  • 戦後のこれまでの日本の英語教育はことごとく上手くいっていない。根本的にダメである。そのダメな英語教育のもの差しで、「優秀だ」とみなされてきた君たちは本当に英語ができると言えるのか、疑ってかかった方が良い。

英語科教育法の授業第一回での恩師の言葉。大教室で概ねこのようなものだったと記憶している。私の周りでも何人か、この言葉で嫌気がさし、教職の履修を止めた者もいた。私はといえば、入学以前の高校生の頃、すでに『英語教育ジャーナル』(三省堂)でこの教授のことは知っていたので、これがあのW氏か、という感慨があった。そして、この「感慨」が本気で英語教師を志す契機となったとも言える。当時年間合計10か月にも及ぶ合宿生活のG大端艇部員であるからして、専攻の授業で単位を落とさないことそのものが大変で、お世辞にも真面目な学生とは言えなかったが、それでも教職関係の授業に出た時には必ず一番前の列で講義を受けるようにしていた。英語教育を変えるには入門期に力のある、本物の教師を、ということで恩師も「中学校」での指導者養成に力を入れていた。一学年上に、久保野りえさん、一学年下に大内由香里さんという俊英才媛に挟まれた学年ではあったが、みな意欲に燃えて「日本の英語教育を変えるのは自分たちだ」と思っていたと思う。

現任校の高校入試問題を作成する傍ら、県立高校の英語の入試問題を10年分くらい眺めていた。計量的な分析はしていないが、一見して平成18年度のものが要再考と思えた。言語のテストとして気になる部分が多い。「コミュニカティブ」な要素を盛り込んだという意図か?関係者の見解を聞きたいものだ。
今一度、英語力とはなんなのか、中学・高校・高専・大学など英語教育に関係する叡智を結集して「わかっていること」をはっきりと世に示すことが大切ではないか。「所詮わかっていることなどたかが知れている。」などと斜に構えず、それを呑み込んだ上で、「実感しうる最も尤もらしいもの」と折り合いをつけていくことが突き抜けるヒントとなるような気がする。CEFRの受け売りではなく、自前の、地に足のついた基礎研究、質的研究をしてくれる研究者が求められていると感じている。
もう一つ、「言語教育学」「応用言語学」のフィールドの専門家だけでなく、「教育学」「社会学」「政治学」といった分野の専門家との接点をもっと作る必要があると感じる。

  • 「現行の指導要領」の何が上手くいって、何が上手くいっていないのか、上手くいった原因はどこにあり、上手くいかなかった原因はどこにあるのか?

行政だけとってみても変数は多い。トップダウンでの改革で、本当にボトムに行き渡ったのか?5年に渡る悉皆研修も終わった。

  • オワタ

なのか?誰がその成果を検証したのか?PISA型学力云々の前に、まずそこではないのか?
『英語教育』(大修館書店)などの業界誌や学会では、英語教育政策立案の当事者として菅正隆氏を前面に出してくることが多い。本当にそれでいいのか?いいのかというのは彼の能力を問うているのではない。英語教育よりももっと上のレベルの教育行政や政策立案の責任者を土俵に上げる努力を英語教育界は怠ってきたのではないかという問いかけである。結局、流行を取り入れるにしろ、批判にしろ、議論にしろ、何十年も身内だけの狭いフィールドで行ってきただけではないのかという内省である。教育界自体が実は世間からまともに相手にされていない中で、英語教育はその教育界からも相手にされていないとしたら?

そんな思いを持ちながらも、自分の現実、自分の実作。
地域に根ざした英語教育のありようを考え、自分の現任校での日々の英語授業を成り立たせること、そして生徒の日々の言語生活を揺すぶること。

広島の投野先生の講演よりも前から、ずっと、発音・音声指導に関して考えていた。
『エースクラウン英和』(三省堂)でも、カナ発音表記が採用されているのだが、私の担当した「4技能基礎トレ」のページでは、カタカナ語の見直しを第一に扱った。フォニクス以前に何をやっておかねばならないか?まずは

  • 長音記号「―」で表されているもの
  • 促音「ッ」で表されているもの

の徹底的な見直しが鍵となるだろう。英語のつづり字が読めない者にとって「足場」とは何か、と考えてのカタカナ語の利用である。
「ー」と「ッ」が必ずしも英語の音を表していないことを意識できれば、「母音」と「音節」の知覚に繋がり、「リズム」が実感できるのではないかと思っている。問題は「音」であり「声」。最新の音声学における新たな知見がブレークスルーとなることが多いとは思うが、今のところは、踏みならされた道をもう一度自分の足で辿り直しているところでもある。

  • 安井稔『英語教育の中の英語学』(大修館書店、1973年)
  • 長澤邦紘『教師のための英語発音 呼吸法を重視した訓練メソッド』(開文社出版、1987年)
  • ジェフリー・K・プラム& ウィリアム・A・ラデュサー『世界音声記号辞典』(邦訳、三省堂、2003年;原著(第二版)、The University of Chicago Press、1996年)

安井氏が、第一章「英語教育における語学的基礎」で述べているような内容は、日本にいても十分に血肉化できる基礎基本。(もし、このあたりが覚束ない若い世代の方がいたら、労を厭わず先輩に尋ねて下さい。我々の世代も、水戸黄門のテーマ宜しく追い越されるためだけにいるのではないのですから。)
長澤氏は今度の英授研でワークショップがある。県の合宿がなければ行きたいのだが、ワークショップの内容を会員にDVD販売とかしてくれないかしら…。
『…辞典』はある「音」について共通の言語で議論をする際に必要になろうかと思う。この辞典はIPAだけでなく、北米の音声表記の流儀をまとめた功績は大きいだろう。邦訳はみな言語学者でありながら英語教育以外の分野の方たちによるもの。(世界有数のフィールドワーカーでもある中川氏には20年くらい前に、洗濯機の脱水機が止まる時の音の真似を聞かせてもらったことがあったなぁ…。)

引っ越しで行方不明になっていた、木下順二『日本語について』(抱樸舎文庫;1997年)を再度購入。
『ユリイカ』のジョジョ特集もついでに購入したことを、「ありのまま話す」けど、これって「無駄」じゃないから。
気がつけば今日はJohn Lennonの命日だった。生憎の雨。

本日のBGM: Amateur (Aimee Mann)