メディアは相変わらず、北島の二冠二連覇、フェンシング界初のメダル獲得、などドラマに仕立てることに躍起。競技そのものの素晴らしさをどう伝えるか、4年前と何も変わっていない。まずスポーツメディアに関わる者はフェンシングの太田選手を「ニート剣士」とか「浪人」とか形容している自らの品の無さを恥じよ!
北京五輪の体操競技男子個人総合で、いくつかミス、アクシデントを見た。大怪我をしてもおかしくない高速の動きの中での落下。その後、さも平然と残りの演技を続けてしまうこの人たちが常人でないことだけは確かだ。
本業の世界では、普段練習する水域が、ダム湖やコースなど人工の水域と、河川・河口・内湾などの自然の水域とで技能に著しい差が出ると考える人たちがいる。これって、学習ストラテジーの話と似ているようなので、ちょっと考えてみたい。
- 海や河口など波の高い、波の激しい水域で漕いでいると体幹やバランス感覚が鍛えられて艇の操作が上手くなり、速くなれる
というのは必ずしも正しくない。なぜなら、同じ水域で練習しているにも拘わらず、速くならない漕手もいるから。
- 体幹やバランス感覚が鍛えられ、艇を巧みに操作し、艇を効率よく運ぶことができるようになった漕手が、波の高い、波の激しい水域でも漕げるので、静水ではより速く漕げる
ということなのでしょう。コロンブスが先か卵が先か、ですよ。語学学習で取りざたされるストラテジーも似たようなものです。
そういえば先日、数学科の先生から
- 「多読」と「精読」って反意語ですか?
という極めて本質を突く質問を受けたのですが、センスのいい問いだと思いました。私の考えでは、この2つは対義概念を成しえません。「多読」の対義概念は「少読」あるいは「多書(聴・話)」であり、「精読」の対義概念は「粗読」あるいは「精書(聴・話)」ということになるでしょう。このような概念化は決して、SLA的ではないし、日本以外の外国語教授法では扱わないのかもしれませんが、地に足のついた英語学習・英語授業を成立させるためには避けて通れないのではないかと思っています。当然、「速読」には「遅読」「速書(聴・話)」となるでしょうか。
語彙・構文・論理構成の自動化ができているから、部分の理解に埋もれることなく大まかに主題を掴むことができるわけで、大まかに理解しようとするから、語彙・構文・構成の自動化ができるわけではないのです。Top-topでもなく、bottom-bottomでもないリスニング・リーディングでの処理をいかに身につけさせるかが授業という場なのでしょう。標準的というか平均的中高生は、語彙と構文をすべて身につけてから「さあ、読解に移りますよ」などと言っていられないので、やはり、全部授業で扱いながら行きつ戻りつ、土台を積み上げ、柱を立て、屋根を葺き、壁を塗り…というような泥臭い作業をしているわけです。
よく、SFCの超長文やかつての上智の長文を持ち出して、入試問題の設問も構文解析的な読みを要求しているのではなく、筆者の主張をわしづかみにするような読みを求めているのだなどという人がいるのですが、読解にしろ、聴解にしろ、選択的理解を要求する教師に習っている(倣っている?)学習者には、決定的な弱点があります。教材作成者・テスト出題者あるいは授業者に「選択してもらった観点」を示されない時に、top-downで処理ができないということです。構文解析に頼らない代わりに、いつも誰かに与えられた設問や読解・聴解のポイントを頼りに、擬似的にtop-down処理をクリアーしているようなものです。読み手・聴き手が初見(初聞)の英文を選択的に理解するためには、まず、部分の記述から全体を貫く主題を仮説として打ち立てる必要があるわけで、こればかりは、いくらディスコースマーカーを覚えても即効性はありません。そのマーカーの前後でうんうん呻って、脳で汗をかく段階が必ず必要になるでしょう。その上で、自動化を促進するために復習やトレーニングとして音読やシャドウイングが援用されているのだと理解しています。ですから、設問を与えてその設問に答えられたからといって、本当に読めているかどうかはわからないのです。例えば、私がTOEICのリスニング問題を解く時は、何のテストストラテジーも使わず、最初から最後まで英語を聞いて、それから設問を見て、正解を選んで、次の問題へ、と進みます。(もっとも、私は一回しかTOEICを受験したことはないのですが)これは細部も含めてほぼすべてが聞こえて分かっているからできるわけです。私の場合は途中まで聞いて、テーマはこれだとか、キーワードがこれだな、ということは分かったとしてもやはり最後まで聴いています。実際の運用では大まかに主題が分かればいいのだ、という人は、タイトルや設問抜きで聴き取りをやってみるとか、あまり慣れない外国語で読解をしてみるといいでしょう。大まかな「選択的」リスニングをしていると思っている人のほとんどが、聞いている英文からキーワードを選択して聞き進めているのではなく、予め与えられた設問や選択肢から情報を取捨選択して、これから聞く英文の主題の予測をしているにすぎないのです。
あとは、いつも言っていることですが、人から与えられた設問に頼るのではなく、「何に答えられればその英文を理解した・把握したと言えるのか?」という問いを自ら作る練習の方がよほど読み取りの力・聴き取りの力をつけることに寄与します。その段階を踏まえているのであれば、あとは聴解・読解でのオーラルサマリーに進もうが、多量に英文に触れる段階に進もうがそれは、その人の教える・学ぶシラバス任せとなるでしょう。
私が、『英文版・高ため三部作』を作ろうという趣旨が分かって頂けるでしょうか?
私が本当に必要なのは、読解力の構成概念・下位概念を踏まえて、ある程度の段階性・系統性を満たすように集められた読解素材文なのです。
などということを考えていたら、あっというまに夕方に。
加藤先生とkarishimaさんのメールに励まされ、自分の英語のブラッシュアップも兼ねて、英作文・ライティングの教材の精査。
まずは、岩田一男、長谷川潔、中尾清秋の著作から。
「ヨコ糸」をきちんと紡ぐことにもう一度正面から向き合っておきたい。今の私の興味関心は、大学入試頻出問題による和文英訳・整序完成などの結果産出される英文のデータベース構築ではなく、日本語による表現にとってのミニマムエッセンシャルズとしての語彙と構文を踏まえた、等価あるいは相似形としての英語表現と言えばいいだろうか。そのためには日本語教育の専門家の方に、いわゆる英作文、和文英訳教材で使われている「日本語」の系統性さらには妥当性をチェックしてもらえたらいいのにな、と思う。どなたか協力して下さる方がいましたらお願い致します。
日暮れ時に、娘と散歩。蚊に刺された。
本日のBGM: Some things just stick in your mind (Vashti Bunyan / Singles & Demos 1964 to 1967)