流星群とも無縁の遅い朝。東北では壮観だったそうな。
Crowded House再結成ライブレポ from フィラデルフィアが知人から届く。
アメリカにも行けず、サマソニにも行けず、そんな私は宮沢賢治が嫌い…。
『英語教育』9月号で米山朝二氏が「原文の精読をお薦めします」(「海外論文紹介:ライティングに於ける訂正の効果」, p.89)といっていた、Sachs & Polio in SSLA 29 (http://journals.cambridge.org/action/displayFulltext?type=1&fid=676828&jid=&volumeId=&issueId=01&aid=676824 )を全文読んでみた。結局、おもしろいのは「研究方法の精査」という問題をどう考えておくのか、という研究者の姿勢だけだ。極めて良心的な研究方法と非凡な研究者としての姿勢に則った凡庸な研究結果といえようか。
先行研究の成果と異なる実験結果を得てからの彼らの姿勢から学ぶ前に、ライティング指導そもそもの出発点を見直しておくことを指摘しておきたい。
Appendixでは、課題となる絵、被験者の産出した英文と、reformulationの例、think-aloudとそれを経たrevisionの例はでていたのだが、error correction自体の実例は紹介されていない。示されているreformulation例も、この論文では一文ごとに左右対照でどの英文がどのようにreformulateされているのかわかるようにレイアウトされているが、実際の研究では、reformulateされた英文のみがベタ打ちで被験者に返されているのだ。教室でライティング指導を長く行ってきた教師なら、この違いを見た瞬間に直感で、なぜ、今回の研究が上手くいかなかったのかを悟るのではないだろうか。
また、reactivityを否定的に捉えるのであれば、reformulationという概念そのものから疑わなければならないだろう。retrospective monologueにしたところで回数を経ることにより、被験者がその手法に習熟して本来の気づき(というものがあるとして)と誇張・脚色・歪曲・思いこみ、はたまた捏造とが混交することは避けられないのだし、think-aloudなどのverbalizationの潜在的な欠陥を飲み込まない限り、noticingとかawarenessといった概念は裏打ちできないのだから。
verbalizationで内省を顧みるという手法そのものにも意味はあるだろう。とすれば、verbalizingはtarget languageで行うというのはもっともらしい考え方である。しかしながら、そのverbalizing自体がtarget languageでできる習熟度の学習者を被験者とした研究が、日本の教室現場で役に立つとは正直思えないのだ。
今日は午後から、大学生の練習を見に、思いの外激しい雨を潜り抜け、湖まで。アップのストレッチの様子を見る。腰に不安を抱えている選手に、腹横筋の収縮エクササイズを指導。案の定、右側がほとんど反応していなかった。ペアを中心に約2時間の乗艇を見る。ペアは頭の位置を終始注意。あと、イージー・オールがだらしないのはいただけない。
日が傾いてから暮れるまでが早い。帰宅は8時過ぎ。
昼食が遅かったので、夕飯は冷や奴と板わさにビールで済ます。
嬉しい知らせが二件。
- 前任校での教え子が女子チームとしては日本一のW大に進学して本業の世界に身を投じたのだが、ローカル大会とはいえ初優勝!! どの競技であれ結果が出ないと正直辛いものですが、大学から始めて2年目でのタイトル。これでまた新たな目標に向かって漕ぎだしてくれるでしょう。
- 新人らしからぬ力量で講師生活をスタートしたK先生から、来年度の専任が決定との知らせ。不安と期待が入り交じるだろう中、「『(若いうちは)若さに把まれ』ですね」という健気な言葉が。東京を離れる前の最後のFTCで紹介した言葉を覚えてくれていたのだった。中村翫右衛門『芸話 おもちゃ箱』(朝日選書、1982年)の中の言葉です。私の方は、「年とともに必要以外のものを捨てろ」という厳しい言葉の方と向き合いたいと思います。
TVをつけると、ZEROに嵐の櫻井君が出ていた。いままで気がつかなかったなぁ。報道人に憧れるのか?ドラマに映画、恋愛と大活躍の松本君、二宮君にはない魅力をアピールということなのか?
本日の心のBGM: Not the same (Ben Folds)