英語教育の理念を探して(3)

国際教育交流馬場財団が1997年から続けている、「高校生ワールド・リーダーズサミットへの高校生派遣事業」というものがあるのをご存じだろうか?元々は日米高校生交換プログラムだったものが、米国の高校生を対象とする企画に便乗する形で、広がったものである。今年度は5名の代表であるが、初年度の97年は16名もの高校生を代表として送り込んでいた。(詳しくは次のアドレスからトップページ→推進事業3をご覧下さい、http://www.babaf.jp/

専任として英語に特化したカリキュラムを持つ公立高校に勤務していた頃、学校のPRと生徒の動機付けを考え、このプログラムに生徒を送り込むことを画策していた。代表選出には至らずに、その後学校も換わりこのプログラムのことも半ば忘れていた。先日、書棚から97年のPresidential Classroom の報告書が出てきた。このような企画の報告書には必ず、参加した高校生の声が載っているもの。では、どんな声が発せられていると予想できるだろうか?一般的には、

  • 感動した!
  • 世界各国の高校生の、英語コミュニケーション能力の高さに刺激を受け、もっと英語力をつけなくては、と思った。
  • 言語に限らず、積極的に行動する態度に刺激を受けて、もっとリーダーとしての行動力をつけなくてはと思った。
  • 語学だけでなく、政治経済などを広く深く学ぶことの重要性を再認識した。
  • この機会を与えられなければ出会えないような生涯を通じての友人が得られた。
  • ホストファミリーへの感謝。
  • プログラムに参加した他の生徒への感謝。
  • 財団や後援者への感謝。

というようなところだろう。高校生にして既に紋切り型思考である。たとえば、

  • このサミットを終えた今、私自身もの凄い感動と、満足感でいっぱいだ。
  • 私の人生でこの2週間はほんの一時にすぎないけれど、一生かかってやっと得られるような貴重な経験を凝縮したような、充実した2週間でした。
  • 一人一人自分の意見をしっかり持っていて、それを主張しようという強い意志も伝わってきました。

ということで、報告書の中から、紋切り型ではなく異質なものをいくつか抜粋。

  • とにかく、working group中の議論では、新しい創造的なideaが出てくることはなく、結局は全体のsummit meetingでの発表の最後でXXちゃんが、Only one step is better than none.などと捨てゼリフを吐く羽目になった(彼は結構得意げだったのが滑稽)のだが、不満足な結果=果実だけをとらえていても仕方ないので、その過程に注目すれば、幾分かは見るべきものがあったといえよう。それこそ、Each step is more important than the aim.なわけだ。(中略)それと、参加者がほとんどアメリカ人とカナダ人(似たもの同士)であったのには本当にがっかりした。スペインとかドイツとかいっても、米国にすでに移住していたり留学していたりする類が多いし、イギリスや韓国はごく少数しか参加者がなかった。これではworld summitとは言いにくい。せめて、今回の参加国プラス中国、イラン、インド、フランス、トルコ、サウジアラビア(またはエジプト)、イスラエルからそれぞれ最低5名の参加者がいてほしいもの。
  • 希望する国には全て同時通訳をつけること。セミナーだけでなくワーキンググループ等のミーティングにもです。確かに通訳がつくと英語で話す訓練をする時間は短くなってしまうでしょうが、英語をマスターする機会は他にもあるけれど、世界中の高校生と討論できる機会は多分これ一度きりです。だから言いたいことをきちんと言い、相手の言うことをきちんと理解することの方が大切だと私は思います。また、英語が話せないからこのサミットに参加できなかったという人も他国には大勢いたと思います。誰もが留学などのできる環境にあるわけではないのですから、これは条件が不平等です。英語力に関係なく、世界の様々な問題に少しでも多く関心を持っている人が選ばれるべきです。

プログラムの根幹に関わる重要な問題点を参加者が指摘しており、それを報告書に掲載しているのは素晴らしいことだと思う。多文化主義と口で言うのは簡単だが、このような日本各地から優秀な高校生を選抜したプログラムにも、英語支配の根はしっかりと伸びている。
異質、というよりは心配になったのが次の感想。

  • 訪れたところで一番心に残っているのはホロコースト・ミュージアム。初めてああいうところに入った。激しい事実をずっと見ていたら悲しくなった。3時間くらいいたように思うが、時間があまりにも足りなすぎる。特にあまりこの大虐殺について知らない人にとっては、あのミュージアムに入るだけで事細かに学べると思う。(中略)もう一つ、自分でまた行ってみたいと思ったのが、スミソニアン・ミュージアム。すごーく広いし、内容が盛り沢山だし、何日あっても足りないと思う。

なぜ、米国でホロコーストを学ぶ必要があるのか、という視点のない感想。その対極としての南京大虐殺と広島・長崎を日本からの代表としてどのように位置づけているのか。97年といえば、スミソニアン博物館エノラゲイ展示問題が世論をにぎわせた95年からわずか2年しかたっていないのである。
このプログラムへの参加生徒は学校長の推薦を受け、以下のような基準で絞り込まれる。

  • 成績優秀者
  • 英語力があり、向上心の強い生徒
  • 国際社会に生きる国際人、地球人として異文化を理解しようとする生徒
  • 積極的に自分の意見を述べ、人の意見を聞くことのできる生徒

書類選考の結果、英語による面接を経て代表者が決定される。
財団のwebsiteではこれまでの参加高校名のリストが記されている。そのほとんどが首都圏の高校である。英語デバイドの波及効果はこんなところにも現れているのかもしれない。
どこまで続くか、第三弾。今回は少し角度を変えて考えてみました。もともとこのタイトルも映画『ミスターグッドバーを探して』から拝借したものなので、身も蓋もない結末になるやもしれません。もっとも、井上陽水の歌のように、探すのをやめれば見つかるかもしれないのですが…。