日記、ブログ、力こぶ

本業で3日間の宿泊合宿より帰宅。かつての五輪選手なども含め日本の各種スポーツのトップレベルのコーチと情報交換。制度が変わり、ワークショップやディスカッション中心。疲れました。
今週の更新頻度が低かったのはそういうわけなのです。
『植草甚一日記』(晶文社)が復刊されていたので購入。この巻の解説は鶴見俊輔が書いているのだった。

努力なしにむこうからこちらの心の中に入ってくる、不思議な文章だった。
自分はこのことをこう書いているのだ、というふうに、筆者が舞台の前に出て何か言うのと、まったく違う文章だった。
その平坦な文章は、戦争中の日記によくあらわれている。
ぜんぜん力こぶが入っていないのだ。
毎日の出来事が普通に書き込まれている。
こういうふうに生きなければならないというふうな、心がまえのことなどはほとんど書いてない。
力こぶを入れない、そういう生き方が、あたりまえのことのように、そこに書かれている。当時としては、それはあたりまえのことではなかったのだ、私の記憶では。
(鶴見俊輔、『植草甚一日記』解説、pp.251-252)

鶴見の目指すところが植草のスタンスや文体に重なるのだろう。
今や、ブログ大流行。誰もが、「力こぶ」あふれる「日記」を公開している。植草の日記とはまったく対極にある。「力こぶ自慢」と言い換えても良いかも知れない。
自分の文章を書くにあたっては、ことさら力こぶを作らなくてもいいだけの、あたりまえの「姿勢」を自分のものとしたいものである。いざというときに必要なのは、「力こぶ」ではなく「力」を出すことなのだから。
これは『誇大自己症候群』(岡田尊司著;ちくま新書)を読んでいる時にも感じたこと。
著者の岡田氏は、どういうところに誇大自己症候群の兆候が現れるか、という10項目を指摘している。お互いの顔の見えにくいネット社会やその反動で過度の対人ストレスにさらされる可能性のある現代社会に於いては、誰しも「自分のことに当てはまるかな」と内省を求められる内容である。
以下抜粋。(pp.206-207)

1. 自分のこと、自分の関心のあることばかり話したがる。逆に、自分のことが話題になるのを極力避けようとする。
2. 大げさな表現や大きなことを口にしたがる。
3. 理屈っぽく、理詰めで話をする傾向がある。すぐに法律や専門的な知識を持ち出して、物事を論じようとする。
4. 過度に丁寧だったり、過度に傲慢な態度をとる。最初は緊張が強く、よそよそしくて警戒的だが、いったん話し出すと、ぺらぺらとよく喋り、急になれなれしい態度を取る。まだ、よく知らないのに、過度に相手のことを理想化したり、誉めたりすることもある。
5. 少しでも自分の言ったことにケチをつけられたり、軽くあしらうような言い方をされると、そこにこだわった反応を示したり、顔色が変わる。
6. 自分のやり方にこだわりが強く、融通が利かない。物事の見方や関心、視野、活動領域、価値観が過度に固定し、それを広げようとしても強く抵抗する。潔癖で完全主義の傾向が見られる。
7. 家族や身内を過度に理想化しているか、過度に嫌っている。
8. 些細なことで機嫌を損ね、立腹する。
9. 気まぐれに、考えや決定がころころ変わる。だが、相手が決めることは好まず、自分が決定権を持とうとする。
10. 相手によってひいきをしたり、態度が違う。従順で思い通りになる相手は、お気に入りであるが、自分の意志を持った存在には批判的で激しく嫌う。


自己評価では5項目当てはまっている気がする。軽く(?)ヤバイ。
コミュニケーションスキルを磨く前に、心の平静・平衡を取り戻すことが必要か。
だからといって、「めざせ!脱、力こぶ!!」とか力んでしまっては本末転倒。
ブログ時代の日記、むずかしいなあ…。
英語も英語教育もしばし忘れて過ごした週末でした。